こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

さよならキンキン

2010年12月19日 | 家族のこと
家に帰ったら、金魚のキンキンが死んでいた。

一週間前から水槽の底に沈んで、エラだけがかろうじて動いていた。

ナイトの主治医の先生に聞いたところ、
「金魚は、そうなるともうダメなんですよ。点滴があるというわけでもないんでね。」
そういわれてからも、一週間がんばった。

だけど、水槽の底で動かなくなってしまった。

息子が小学5年頃から飼っていたので、5歳。
いつも、居間の水槽で泳いでいた。惜しむらくは、元気なときに写真を撮っておかなかったこと。

最期は、妻が看取ってくれた。
息子が庭に埋めてくれた。

さようなら。キンキン。

BGMは何が?

2010年12月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
術中迅速診の結果を手術室に知らせに行くと、音楽がかかっていることがよくある。

専用回線を使わずに、手術室まで行って結果を知らせる、というのは、よっぽど診断が難しい場合で、脳外なんかが多い。そんな時は、脳外の担当医と直接話す。マクロの所見とミクロの所見を合わせることで、彼等の考えと私たちの考えを擦り合わせ、診断を決定することで、”今やっている手術”の術式が決まっていく。

その、脳外の医者がカンツォーネが好きで、夜10時頃でも結構な音量で流している。
長い外科手術、お気に入りのBGMを流しながら行うのは、適度に緊張がほぐれていいだろう。


病理でも、BGMを流しながらやることもある。
だけど、それは今日みたいに、休日出勤で、さらに誰も部屋にいない時、と私はそう決めている。

教室にいた頃、クラッシック好きの先輩がいて、ずーっとBGMとしてクラッシックが流れていた。
センスも良くて、毎日楽しかった。ところが、後輩で近代音楽が好きなやつがいて、結構な音量でカルミナ・ブラーナやアルボス〈樹〉を流されてまいったことがあった。そんなで、病理の鏡顕室のような閉鎖空間内で自分の好きな音楽を流すのは、一緒の人に悪いと思って、一人の時だけにしている。

さて、その音楽だが、試験勉強と一緒で、日本語の歌詞がついているのはどうもダメだ。洋楽も一曲が短くてダメ。終わるたびに、思考の連続性が途絶えてしまう。

ここ10年くらい、病理診断の友として私が愛用しているのは、やっぱりモーツアルト。すぐ診断のつくものから、1症例1時間くらいかかるものでも、流れていて、思考を邪魔しない。今日は、ベートーベンを流してみたのだが、ところどころで、曲に注意が行ってしまうし、好みの曲があると、何度か繰り返して聞いてしまうので、少しだけ注意が散漫になる。

モーツアルトだと、なにを流していても、「気がつくとすでに終わっている」空気のような状態なので、気持ちいい。車だと眠くなったりすることもあるが、顕微鏡をのぞいている限りは眠くもならないし。

そういえば、気がつくと日がくれている季節になった。
さあ、明日は元気よく出勤できるかな?