こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

病理医の愉しみ

2011年01月30日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
仕事をすればするほど、経験値が上がる、というのはほとんどすべての職業共通のことだ。
だが、体力を要する職業では、年令とともに仕事の能力は下がる。

医者も体力を要する科、さほど必要としない科というものがある。
病理はそのうち、体力をさほど必要としない科だろう。
もちろん、剖検は大変だし、切り出しも老眼との戦いだ。それでも、顕微鏡を見ている間は椅子に座っていられる。
接眼レンズの向こうは自分だけの無限の世界が広がっているので、楽しい。診断書を書く、という”仕事”さえなければ、2,3時間はずーっと顕微鏡を覗いていられる。
細胞1個1個の違いを見て、趣きのある分裂像を発見して興奮する。少し前にみた、副腎腫瘍なんてのも、良悪性の”判断”を求められて診断に難渋したものの、腫瘍そのものを見ていると、いろんな所見が見えてきて味わい深いものがある。

病理医の愉しみ、というのは標本をいつまでも見ていること、そして、年齢を経てその見方に幅ができることではなかろうか。
それが、病理医としての経験値であり、多くは蓄積していく。自分がサインアウトした標本の組織像は結構覚えているものだ。だから、病理医は結構いつまでたっても同じようなテンションで仕事ができる。

こんな私でも、そろそろ後輩にいろんなことを教えていかないといけないと思い始めている。
それは、やっぱり自分が蓄積してきたものが、たとえガラクタの山であっても、(優秀で、すごく吸収がよく、何でもそつなくこなす)後輩よりも多少は役に立つものがある、と思い始めているから。
それというのが病理の面白いところ、愉しいところ、のように思う。