こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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「初期臨床研修制度の評価のあり方に関する研究」と教室の歓送迎会

2011年07月15日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

初期臨床研修制度の評価のあり方に関する研究」が報告され、これをまとめた記事がm3.comにあったので、一部をそのまま転載する。
”同研究では、2004年度の臨床研修の必修化前後の医師を対象に、研修の評価やその後の進路などについて調査。
現在大学に所属している」のは、新制度修了者では45.5%で、旧制度修了者の57.7%よりも大きく下回った。医局については、新制度修了者では22.9%が「入局していない」と回答、旧制度修了者(6.6%)の約3倍に上った。
さらに、「学位」を「持っている」、あるいは「目指している」の合計は、新制度修了者は43.0%、旧制度修了者では77.0%で、両者に大きな開きが見られ、新制度修了者において「大学、医局、学位」を敬遠する動きが進んでいることが浮き彫りになった。”とある。

大学に所属している人の数と、医局に入っていない人の数に差があるのは意味がよく分からないが、外病院に出ている人の数とか、ごちゃごちゃしているのだろう。
いずれにせよ、「大学、医局、学位」を敬遠する動きが進んでいることは間違いなさそうだ。

さて先日、教室(病理ではこう表現することが多いかな?まあ、医局と同義)で歓送迎会があった。
新人さんも何人か(複数!)入って、教授も嬉しそうだった。
教室に入ってきた新人さんたちは、みんな学位を取る予定でいるわけで、上記の”「大学、医局、学位」を敬遠する”というトレンドとはちがう人たちだ。

で、大学を出てしまった私ではあるが、やっぱり、教室(医局)って、いいと思う。
病理だからというわけではなく、科によらず、医局というとろには幅広い年齢層の人が一緒にいるということに意味があると思う。上下関係が嫌だ、めんどうだ、と言っているようではなかなか人間が練れてこない。優秀な人に医学部に入ってもらわないと困るが、受験勉強しかしていなかった人間が、医学部に合格してそのまま医者になったような手合いが多いのがこの業界。そう考えると人間、嫌なこと、めんどくさいことに耐える力ということを、医者になってから学ぶのも大事だ。嫌なことをさけてばかりいて人間的に未熟なままだったりすると患者に寄り添うことのできない医者で一生を過ごしてしまったりする。あんまり患者に振り回されたくない医者が増えているのは事実だが。

教室なんて、入ったときにはOBをふくめれば、先輩は100人以上いるわけで、ペーペーとしては右を見ても左を見ても頭を下げなくてはならない。それに比べると市中病院にストレートで入れば、上はせいぜい部長1、医長3、スタッフ5、レジデントの先輩10人くらいで、自分より上は20人にも満たない。よその科はあくまでもよそ。同窓会なんて、無いし、OBに会うということもほとんどない。気楽なものだ。

今は、知力、体力、精神力とも充実しているかもしれないが、60歳くらいになったあたりで、自分に頼るべき足場がないと知ったらどうだろう?おそらく、自分で医局(派閥?)とか作りたくなるのではないか?だけど、それは到底できない。
それって、なんだか寂しいと思う。

それとも、そういうことを寂しいと思わない人が増えているだけか。

件の会の際、先輩の一人に「ブログ読んでるよー」と突然いわれてびっくりした。
コロ健「わかったっすか?」
先輩「当たり前だ」
コロ健「そうですか、ありがとうございます。今度ぜひコメントをお願いします」
なんて、会話もあったりして、そういうのも楽しい。


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