こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

自然災害はすぐそこに

2012年06月20日 | 鎌倉暮らし
社会保障・税一体改革関連法案を巡って政局が動きそうではあるものの、財政破綻、内戦といった状況にまでは至っていない日本は、相対的に平時にあると言えよう。だからこそ、私コロ健もああでもない、こうでもないと日々思い悩むことができるわけで、去年の3月15日に平時と自然災害後の思いがごっちゃになった記事が書かれているのは興味深い。さて、個人的には比較的平穏そうに見えるここ数週間であったが、昨日の台風4号の通過で危うくその平穏が失われそうになった。

というのも、今朝目覚めて、わが家の猫の額ほどの庭の草木の様子を見ようと窓から顔を出して辺りを眺めていたら、なんと、裏山(というかお隣の庭先)の樹高15メートルはゆうに越えている大木が夜中のうちに強風でなぎ倒されているのがみえた。これにはたまげた。倒木の向こうにお隣の家が見える。

わが家に涼をもたらしていてくれた有り難い木で、根こそぎ倒れていて、痛々しい。
先日、植えさせてもらった山アジサイや、例のミントの姿も、なぎ倒された木の下で倒れてしまったシュロに隠れて影も形も見えない。

私の家の楓の枝も数本巻き添えを食らってしまったようだ。アジサイ達も痛々しい。

だが、わが家の方に倒れてこなかったのは幸いだ。これがわが家の屋根にでも直撃していたらと思うとゾッとする。崖の下に住むというのはこういうことかと実感するし、そんなことになっていたらお隣とはどういう話になっていたかと思うと、あまり良い気分ではない。

さて、ところ変わって都内。強風の中いつもどおり、病院まで歩いてきたらこれまたびっくり。
病院の手前の公園で桜の木がなぎ倒されている。

お気に入りのバラ園の上に根こそぎ倒れ込んでいる。

このうちのどれかだったのだろうと思うが、暴風雨の中頑張って立っていたのだろうに、と思うと涙をそそられる。


こうしてみると、自然の猛威というのは人の想定を軽々と越えていくものであることがわかる。
自然を甘く見てはいけない、と月並みなことをいっても、原発再稼働など、背に腹を替えられない状況になれば結局甘く見てしまうし、そうせざろう得ない。平時だなんだといったところで、自然がおとなしくしてくれている場合の話で、いざ、自分の身のまわりでことが起こってみないと、自然災害を実感として感じることもない。
自然災害はすぐそこにある。

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