自分のことしか見えない人というのがいる。
若い人に多いと思うが、無理もない。まわりの大人に守られている間は自分以外のことを見る必要がない。自分のことを思い出しても、若い頃はずいぶんと視野が狭かった。
だが、大人になっても自分のことしか見えない人、というのには困る。成長の過程で、まわりの人との愛情、友情、反目、軋轢といったものを経験してこなかったのだろうかと思えるような人は、意外と多い。
人が考えることというのは、所詮その人の頭の中で考えたことであり、自分以外のことなど本質的にはわかるわけはないのだが、それでも他人のことを考えようと思えば、自分以外の人のことも見ていることになる。
できれば、自分以外の人のことも見ることのできる人間でありたい。
自分のことしか考えられない人というのもいる。
老若男女問わず、こういう人は多い。私自身も絶対にそうでないかと問われれば、そうかもしれないと認めざろう得ない部分もある。
というか、人間誰しも自分のことしか考えていないともいえる。
だけど、それでも他人のことも考えている人はいる。
やっぱり、愛情、友情を経験し、その逆のようなつらさも経験して、他人のことも考えることができるようになる。
こういったことは、利己的であることを強いる私たちの遺伝子に対する、人間の持つ、理性による反抗なのかもしれない。
今日、衆議院が解散となった。投票は12月16日。去年の夏の終わりに就任した野田総理。こだわっての解散、就任の時と同様、立派だった。
いよいよ選挙戦、二大政党制を目指した流れの逆を行くような小党乱立、合従連衡が始まるようだ。
民主党が”溶ける”ように、離党者が相次いでいるそう。
この人たちは、はたして、自分のことしか見えない人なのか、それとも大所高所に立って多くの人のことを見ているのか。また、自分のことしか考えられない人なのか、それともお国のために、国民すべての人のことを考えて、離党したのか。沈む泥船から逃げ出しているだけだとすると、自分のことしか考えられない人ということになるが、代議士たるもの、そうであって欲しくないと願うばかりだ。
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若い人に多いと思うが、無理もない。まわりの大人に守られている間は自分以外のことを見る必要がない。自分のことを思い出しても、若い頃はずいぶんと視野が狭かった。
だが、大人になっても自分のことしか見えない人、というのには困る。成長の過程で、まわりの人との愛情、友情、反目、軋轢といったものを経験してこなかったのだろうかと思えるような人は、意外と多い。
人が考えることというのは、所詮その人の頭の中で考えたことであり、自分以外のことなど本質的にはわかるわけはないのだが、それでも他人のことを考えようと思えば、自分以外の人のことも見ていることになる。
できれば、自分以外の人のことも見ることのできる人間でありたい。
自分のことしか考えられない人というのもいる。
老若男女問わず、こういう人は多い。私自身も絶対にそうでないかと問われれば、そうかもしれないと認めざろう得ない部分もある。
というか、人間誰しも自分のことしか考えていないともいえる。
だけど、それでも他人のことも考えている人はいる。
やっぱり、愛情、友情を経験し、その逆のようなつらさも経験して、他人のことも考えることができるようになる。
こういったことは、利己的であることを強いる私たちの遺伝子に対する、人間の持つ、理性による反抗なのかもしれない。
今日、衆議院が解散となった。投票は12月16日。去年の夏の終わりに就任した野田総理。こだわっての解散、就任の時と同様、立派だった。
いよいよ選挙戦、二大政党制を目指した流れの逆を行くような小党乱立、合従連衡が始まるようだ。
民主党が”溶ける”ように、離党者が相次いでいるそう。
この人たちは、はたして、自分のことしか見えない人なのか、それとも大所高所に立って多くの人のことを見ているのか。また、自分のことしか考えられない人なのか、それともお国のために、国民すべての人のことを考えて、離党したのか。沈む泥船から逃げ出しているだけだとすると、自分のことしか考えられない人ということになるが、代議士たるもの、そうであって欲しくないと願うばかりだ。

