こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

それぞれの時間

2012年11月20日 | 日々思うこと、考えること
最近、腕時計をしない人が増えているらしい。
携帯電話を持つようになったということもあるだろうし、PCのキーボードを打つとき、腕時計は結構邪魔になる。私の場合は、ポケベルを持つようになった頃から腕時計はしなくなったように思う。
今では、ほとんどしない。
高三の息子も腕時計はしない。学生は時間が大切だと思うのだが、高校は携帯を持っていていいので、時間がわからない時は携帯で用事が足りたのだろう。
ところが、大学受験をすることとなって腕時計をしなくてはならなくなった。中学入学のお祝いに買って、高校受験のときに使っていたG-SHOCKでいいのではないかと思ったが、なんでも、あれは機能がありすぎてよくわからないので困るとのこと。何が困るかと言うと、試験官の時計に合わせるときに機能がたくさんありすぎると間に合わないらしい。長針と短針と秒針さえあれば十分なので、そういったものを買って欲しいと言われた。
一足早い、クリスマスプレゼントということで、仕事帰りに家電量販店で、そう高くない腕時計を購入して、プレゼントした。

考えてみると、時間というのはそれぞれの人がそれぞれの局面で固有に持っている。そして次々と時間の基準は移っていく。
朝起きるときは、目覚まし時計の時間に従うが、しばらくしてラジオをつけたらラジオの時間に支配される。テレビをつけたら、テレビ画面中の時間。何も時計だけではない、コーヒーメーカーでコーヒーができるまでの時間、駅に行くまでに引っかかる信号機の時間、電車の運行時刻。
病院に入ったら、始業、終業を知らせる音楽、月に一度時刻合わせをしなくてはいけない部屋の時計。

時計、機械が無くても同じだ。
迅速の予約の入っている外科手術の進行を緊張しながら待つ時間。迅速診断の結果を待つ患者の時間。
通勤の時に歩く道路、無人の原野、どちらにも時計はないが、太陽は昇って沈む。
宇宙空間にいたとしても、ヒューストンの時間、宇宙船内の時間に支配される。

宇宙が膨張し続けている限り、たぶん、私たちは時間の進行から無縁でいることはできない。

久しぶりに腕時計をしてみたら、自分だけの時間がここにあるという気がして、妙に嬉しかった。

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