こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

病院というところ

2013年04月25日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
病院というシステムは、病める人を癒し、治すために成り立ってきたものだ。注)

人はだれしも、いつも健康でありたいと思っていて、病むことを忌み、嫌う。もし病んだ時にはなるべく早めにその元を治して欲しいと考えている。
そのために、病院に来て、医者の診断、治療を仰ぐ。
現状より健康になりたいという人は、スポーツジムに行ってマシンやプールで汗を流したり、ウォーキング、ランニング、サイクリングをせっせとこなす。心を休ませたければ、観光地に行ったり、湯治に行けば良いだけの話である。
病院というところに来たい人、というのは、基本的にはいない。好き好んで、病院になど来る人というのはいないのだ。だから、自分自身が病気であったり、検査であったり、お見舞いであったり、病院に来ている人というのは、ほとんど人が仕方なく、やむを得ず来ているということになる。
ただし、産科で赤ちゃんが生まれたときは別である(だから一時期、私は産科医になりたいと思っていた)。

誰も来たくないところ、などというところはそれほど良い場所とはいえない。
従って、病院は負のエネルギーが多いところといえるし、そういうところに、私たち医療従事者というものは勤務している。
当たり前のことだが、なかなか気がつかないことだ。
そういう意味では、精神的にもしんどいことは多い。
病理医をやっていても、しんどいことは多い。診断の正確さを求められるのは当然だが、そこで私たちがする診断によって、患者さんの治療方針が決まっていくとなると、その責任はいつもいつも重大である。病理外来で、患者さん本人や、ご家族に病気・病状を直接説明するときもある。

だけど、私たちは、その道を選んだのだから、負の場所で負の存在であってはいけない。
そういうところで、常に明るく、ポジティブな存在でなくてはならない。

病院というところが、どんなところで、どうあるべきか、毎日、忘れずに考えて仕事をしないといけない。

注)西欧ではもともと教会に附属した巡礼、浮浪者、貧しい病人、困窮者の収容所(hotel)に医師が常駐するようになって、近代的な病院(hospital)になった(川喜田愛郎「医学概論」より)。