こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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『医療』の定義、病気・・・医療を哲学的に考えてみる(3)

2013年08月08日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
広辞苑で『医療』を説明する際に使用する語、“医術”、“病気”、“治す”のうち、今回は“病気”について、定義してみる。

さすがはコロ健、病理医だけのことはあって、このブログの中でも“病気”という語を使った記事はたくさんある。そのなかで、もう、2年前の話だが、『真実への導線』(2011年07月01日)というタイトルの記事があり、そのなかで私は、

病気の真実を知ろうとすればするほど、真実は遥か彼方に去ってゆく。

と書いている。すなわち、“病気の真実”がなにかなどということはわからないのである。

だが、5年前の、『さ、明日から仕事!』(2008年08月13日 )というたいトルの記事の中では、

病気の本質を知りうる臨床医、という点では病理医に勝る者は無い。

などといって、病理医である自分を鼓舞してもいる。かといって、“病気”の本質を理解していたわけではない。

頼みとする広辞苑には「生物の全身または一部分に生理状態の異常を来し、正常の機能が営めず、また諸種の苦痛を訴える現象」とある。だが、どのような状態が異常なのか、正常の機能とは何か、と言ったようなことについてはわからない。
幼小児期と成人期、老年期における諸臓器の働きは自ずと異なる。また、正常とはなにか、についても、定義は難しく、きりがない。
かように、“病気”を定義することは不可能に近いことなのだが、人は“病気”というものがどのようなものなのか、言葉にすることはできないが、わかっている。

ということで、“病気”は“病気”であり、それ以上でもそれ以下でもない、ということで話をすすめることにする。

さて、次は、“治す”である。