こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

間抜けに感じるのは私だけか

2013年08月03日 | 日々思うこと、考えること
夏休み中は仕事はもとより、こんきもまでお休みした。
読書をちょっとした以外は何もしなかった。あと、適当に日焼けをした。
ところが、”適当”のつもりだったのだが、そうはいかなかった。

休みも終わり、心機一転、来週からは暑さに負けず、頑張っていこうと、伸びていた髪の毛を刈ってもらいに床屋に行った。多少、刈り上げてもらったのだが、顔の輪郭を縁取るように日焼けの跡がくっきりと出てしまった。

やや、間抜けな顔である。

だが、どう間抜けなのか、ここでいう、『間抜け』とはなにか考えてみた。

私は、日焼けの跡がついてしまった自分自身の顔を間抜けなものだと思うが、間抜けなことをしようとしてこうなったわけではない。
日焼けした短髪の中年オヤジを目指していただけで、こんな顔になることは想定外であった。だから、間抜けなことをしたわけではない。

では、どの”私”が、この日焼けの跡がついてしまった私を間抜けに思っているのか。

ここで、”私”というものをいろいろな人に当てはめると、この私を間抜けと思わない人もいるだろう。

今日、散髪してくれた床屋はどう思っただろう。
この時期、こういった客は少なからずいるだろう。仕事の結果としてこういうことになることは別に何とも思うまい。床屋から家に帰る道すがら、誰も私のことを指さし笑ったりしなかった。そうすると、この風貌、人の笑いを誘うほどのものではないらしい。

とすると、果たして今のこの私の状態というのは間抜けか。

間抜けであることを恥ずかしいと思うとすれば、これは羞恥心の表れであるが、そもそも間抜けでないと思えば恥ずかしくもない。

案外、こんなことを間抜けだと思って、恥ずかしく思うこと自体、あまり意味のないことなのだろう。