もうすぐ、終戦の日がやってくる。
この時期になると、きまって新聞、テレビに盛んに戦争のことを考える記事、番組が増える。
例年のことではあるが、最近、報道内容に少し変化が生じていると感じる。
従軍した人たちの恐怖というものについてのことが、目につく。戦争に駆り出されたものの、無事帰還することのできた人たちが、その時の恐怖を語っている。彼等は決して進んで戦争に参加した、勇猛果敢(に見える)人たちではなく、戦争によって人生を踏みにじられた人たちだということがわかる。
私は閉所恐怖症の気があり、少々参っているのだが、そんな私に比べ、軍隊に入れられた人たちの閉塞感は比べものにならないほどの恐怖だったろうかとも思う。各種報道がこのような傾向にあるということを強く感じたのは8月4日に教育テレビで放送された日曜美術館『版画家 彫刻家 浜田知明95歳のメッセージ』という番組だった。
どこにも逃げられず、人を殺すことでしか生き延びる道の無い恐怖、絶望感は筆舌に尽くしがたい。
その放送以来、新聞やテレビ報道をみていると、皆、怖かったのだ、というその時の気持ちがつまびらかにされてきた。
終戦の頃には、神風特攻隊として、「死ぬために生きている」若者がたくさんいた。
米軍にしても似たような思いをしている兵士は数多くいただろう。
前線で戦う兵士のみならず、ホロコーストも、東京大空襲も、広島への原爆投下、長崎への原爆投下も同じように、絶望と恐怖しかなかった。
戦争は絶望と恐怖しか生み出さない。
今日、“「生活満足」18年ぶり7割台”という報道があった。
この満足は、平和が前提であってのものであることはいうまでもない。
いろいろなことを考えているようなつもりでいて、戦争のこと、すなわち先の大戦のことも今、世界のどこかで起きている紛争も、遠いところで起きたこと、起きていることで、私には関係のないことと考えていた。
近隣国との武力衝突も起こりうる、などという悲しい観測もあるが、武力が抑止力以上のものとなっては決していけない(本来、武力は不必要なものだが、ナイフ1本まで無くすことは現実的にできない)。
そもそも、衝突するのは誰か?衝突に巻き込まれることだってある。それは、私かもしれない。
私は、その恐怖の中に進んで入っていく気はない。だから、それを人にやらせる気も起きない。
争いによって、人が傷つくこと、命を落とすこと、というのはあってはならないことであり、戦争はしてはいけないことだ。
自分が当事者になった時にどう感じ、行動するか、常に考えていなくてはならない。
どんなに小さなことであっても、戦争を起こさないためにやれることは必ずある。
日々、それを探しながら生きていくことが必要だ。
朝日新聞デジタル(8月11日)
内閣府が10日に公表した国民生活に関する世論調査で、生活に満足している人が18年ぶりに7割台に乗った。内閣府は「経済改善の表れ」としており、アベノミクス効果もありそうだ。
20歳以上の1万人を対象に6月に調査し、6075人が回答。生活への満足度を「満足」「まあ満足」と答えた人は計71%で、前年比3・7ポイント増だった。「不満」「やや不満」は同4・4ポイント減の計27・6%。住生活、食生活、レジャー・余暇生活、自己啓発・能力向上の4項目で、不満とする人は過去最低だった。
ただ、所得・収入は前年同様、不満と答えた人(計49・8%)が満足と答えた人(計47・9%)を上回った。改善の実感はまだ懐具合には及ばないようだ。
この時期になると、きまって新聞、テレビに盛んに戦争のことを考える記事、番組が増える。
例年のことではあるが、最近、報道内容に少し変化が生じていると感じる。
従軍した人たちの恐怖というものについてのことが、目につく。戦争に駆り出されたものの、無事帰還することのできた人たちが、その時の恐怖を語っている。彼等は決して進んで戦争に参加した、勇猛果敢(に見える)人たちではなく、戦争によって人生を踏みにじられた人たちだということがわかる。
私は閉所恐怖症の気があり、少々参っているのだが、そんな私に比べ、軍隊に入れられた人たちの閉塞感は比べものにならないほどの恐怖だったろうかとも思う。各種報道がこのような傾向にあるということを強く感じたのは8月4日に教育テレビで放送された日曜美術館『版画家 彫刻家 浜田知明95歳のメッセージ』という番組だった。
どこにも逃げられず、人を殺すことでしか生き延びる道の無い恐怖、絶望感は筆舌に尽くしがたい。
その放送以来、新聞やテレビ報道をみていると、皆、怖かったのだ、というその時の気持ちがつまびらかにされてきた。
終戦の頃には、神風特攻隊として、「死ぬために生きている」若者がたくさんいた。
米軍にしても似たような思いをしている兵士は数多くいただろう。
前線で戦う兵士のみならず、ホロコーストも、東京大空襲も、広島への原爆投下、長崎への原爆投下も同じように、絶望と恐怖しかなかった。
戦争は絶望と恐怖しか生み出さない。
今日、“「生活満足」18年ぶり7割台”という報道があった。
この満足は、平和が前提であってのものであることはいうまでもない。
いろいろなことを考えているようなつもりでいて、戦争のこと、すなわち先の大戦のことも今、世界のどこかで起きている紛争も、遠いところで起きたこと、起きていることで、私には関係のないことと考えていた。
近隣国との武力衝突も起こりうる、などという悲しい観測もあるが、武力が抑止力以上のものとなっては決していけない(本来、武力は不必要なものだが、ナイフ1本まで無くすことは現実的にできない)。
そもそも、衝突するのは誰か?衝突に巻き込まれることだってある。それは、私かもしれない。
私は、その恐怖の中に進んで入っていく気はない。だから、それを人にやらせる気も起きない。
争いによって、人が傷つくこと、命を落とすこと、というのはあってはならないことであり、戦争はしてはいけないことだ。
自分が当事者になった時にどう感じ、行動するか、常に考えていなくてはならない。
どんなに小さなことであっても、戦争を起こさないためにやれることは必ずある。
日々、それを探しながら生きていくことが必要だ。
朝日新聞デジタル(8月11日)
内閣府が10日に公表した国民生活に関する世論調査で、生活に満足している人が18年ぶりに7割台に乗った。内閣府は「経済改善の表れ」としており、アベノミクス効果もありそうだ。
20歳以上の1万人を対象に6月に調査し、6075人が回答。生活への満足度を「満足」「まあ満足」と答えた人は計71%で、前年比3・7ポイント増だった。「不満」「やや不満」は同4・4ポイント減の計27・6%。住生活、食生活、レジャー・余暇生活、自己啓発・能力向上の4項目で、不満とする人は過去最低だった。
ただ、所得・収入は前年同様、不満と答えた人(計49・8%)が満足と答えた人(計47・9%)を上回った。改善の実感はまだ懐具合には及ばないようだ。