「私は、あの時息子の味方だっただろうか」と思うことがよくある。
高校受験で、上位志望校に不合格となった時、私は心のどこかで落胆していた。でも、一番落胆し、一番心細かったのは受験生本人、すなわち息子であって周りの人間ではなかった。私は、落ち込む息子に対してどんな言葉をかけたかあまり覚えていない。通りいっぺんの励ましの言葉をかけはしただろうけど、息子の絶対的な味方としての立場を保っていたかというと疑問が残るのだ。
どんなに結果が悪くても、がっかりしてはいけなかった。息子は精一杯頑張ったのだから、そのことを評価してやればいいだけだったのに、おそらくそうはしなかった。
”何がダメだったの”とか”もう少し、やっておけば”なんて言葉は禁物だ。そんなこと、本人が一番わかっていることだ。少なくとも学校や塾の進学指導をしてくれている先生に任せたらいいことで、親が言っても仕方のないことだ。
信じてあげるしかない。そして、信じるといっても、それは合格を信じるのではなく、子供の努力を信じることだ。努力をする才能の有無なんて、蛙の子は蛙で、自分の子供だと考えたら、それがどの程度のものなのか容易に想像がつくだろう。
受験は孤独だ。仲間がいてもいなくても、評価されるのは個人個人。もし、親として努力をしたいのであれば、それは表面的な激励ではなくて、”どうやったら、この受験を親子の絆を深めるための良い機会にしたか?”ということを一生懸命考えることだと思う。
支えとなること