払ってもらえるのかわからない年金は払わず、将来働けなくなり収入がなくなったら生活保護をもらえばいいと考える人がいるらしい。このことについては、以前よりあちこちで話題になっているようで、いまさら私がどうこう言うようなものではないのだが、いまの私(2012年、48歳)がこのことをどう考えていたかを振り返るために、記録しておきたい。
私は、サラリーマンなので、月々年金を払っている(らしい)。
払っているといったところで、天引きなので、手取りが減っているだけで、払っている感覚は乏しい。給与明細を見て、年金分がひかれている(らしい)ことをみて、「この額ももらえていたら、家のローンがたすかるのに」とは、いつも思うが、しょせんかなわぬこと、税金と同じだ。かくなる上は、年金を払う原資となる給料を月々もらえるだけで、十分幸せなのだと考えるようにしている。
社会というシステムがあるから、働く場があり、対価としての給料がある。これだけだと、税金と同じだが、年金についての考え方としてはこれに加えて、上の世代の人たちに育ててもらったので、働けなくなった人を支える。ということなのだろう。
この場合、少子化、産業構造の変化による就職難等は除いているのは言うまでもない。
一方、生活保護。厚生労働省の定義では「資産や能力等すべてを活用してもなお生活に困窮する方に対し、困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障し、その自立を助長する制度」である。受給者は200万人を超えて過去最高とのこと。こうなってくると、この制度を”利用しなければ損”と考える人が出てきてもおかしくない。制度がある以上、それを使う権利はすべての国民にある。そして、その制度を本当に必要とする人がいるが、では、その“本当に必要”とは、どんな人たちに当てはまるのだろうか。
引用した朝日新聞の社説(後記)にあるとおり、問題は一筋縄ではいかない状況にまで追い込まれている。
戦争という不幸な時代のあとに訪れた幸せな時代に設計されたシステムは、すでに破綻している。
だからといって、大転換できるかといっても、容易ではない。
現首相は社会保障と税の一体改革を目指している。たしかに、素人目にもそうしないといけない状況だ。
結局、いろいろ考えても私には解決策も何も見えてこない。
聖域なき構造改革では、みんなで郵政民営化になだれ込んだ。その結果はまだ総括されていない。
こんどの、社会保障と税の一体改革は果たしてどうなるか。
政治の試行錯誤の一つではあるが、(民主主義なので)大多数にとって
良い結果となって欲しい。
10年後、このブログのこのページを見つけることがあれば、コメントを入れてみたい。
生活保護―たたくだけでは無責任(朝日新聞 2012年6月3日付 社説)
人気お笑い芸人の母親が、生活保護を受けていたことをきっかけに、大量の報道がテレビや週刊誌にあふれている。息子が高収入なのに、その親が困窮して保護費を受け取ることが、道義的な責任を問われるのはやむをえまい。
だが、「親族の扶養義務をもっと厳しく履行させよ」と行政を批判するだけでは、本質的な改善は望めない。生活保護の行政は、世間の厳しい目と、「最後のセーフティーネット」を運用する重責にはさまれ、困難さを増している。要員不足や弱体化を直視し、強化策を探るべきだ。生活保護は、自治体の福祉事務所が担当する。ケースワーカーが本人の収入や資産、親族による扶養可能性などを調査したうえで受給資格を判断する。ただし、明らかに扶養できそうな親族がいても、「できません」と断られたら、それ以上の調査はできない。そこで厚生労働省は、扶養義務者に「できない」理由を説明させることを検討する。家庭裁判所の調停や審判によって扶養料の支払いを求める方法も、使いやすくする意向だ。
しかし、行政の権限を強化しても、機械的な運用はできないし、やるべきでもない。困窮している人は、すでに親族とのあつれきを抱えている場合が多い。扶養義務のある息子が日頃から母親との仲の良さを公言していた今回は、珍しい例と考えるべきだ。扶養を求められた親族との関係が悪化する可能性も高いだろう。そのために、困窮した人が保護申請をためらう副作用も予想される。申請を無理に門前払いする「水際作戦」が、餓死や孤独死を生んできたことを忘れてはならない。
核家族化など血縁関係が薄まるなかで、どこまで身内に頼れるのか。一律の基準はなく、これまでの交際など様々な事情を考慮して慎重に判断する必要がある。ケースワーカーに経験と熱意が必要であるゆえんだ。だが実際は、肉体的・心理的な負担から公務員の間で希望者は少なく、若手がいきなり配置されることも多い。しかも受給者の急増で、1人あたり平均96世帯も担当する(09年度)。不適切な受給をさせず、かといって本当に困っている人を見逃さず、受給者の自立も支援する――。現場への要求を膨らませるばかりでは無責任だ。貧困層が増えるなか、ケースワーカーが置かれている状況を改善しない限り、適切な保護行政など望むべくもない。