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悲運の好打者(片平晋作)

2007-10-17 18:03:06 | 他スポーツ
今夜は代表のエジプト戦ですが、平日夜の試合の即日更新は、勘弁して頂いていますので、中継ぎ記事の野球ネタです。

昨日、西武ライオンズの来期のコーチングスタッフを見ていたら、懐かしい名前が二軍監督にありました。その監督の名前は片平晋作さんと言います。片平は元西武の選手で、長身でひょろっとした体型で、毎年2割8分、15本は期待できる安定したバッターでした。ただ、西武の生え抜き選手ではなく、南海ホークス(現ソフトバンク)からトレードで西武に来た選手でした。

片平はその安定した好成績と、3度の日本シリーズ出場の実績があるにもかかわらず、私のイメージは悲運の好打者というものがあります。まず、最初の不運は、初めて日本シリーズに出場した1982年でした。片平が守るはずの一塁のポジションは、当時は日本シリーズにDH制がなかったため、普段DHに入っている田淵をコンバートされてしまい、片平はスタメンを外されてしまいました。

3度の優勝を果たしながら、片平の印象が薄いのはそのためです。また、片平は1987年に西武からトレードされて大洋(現横浜)に移るのですが、その理由も不運なものでした。それは、当時のドラフト1位、清原の入団でした。清原も一塁しか守れませんから、必然的に弾かれるのは片平になります。

それでも、その年は片平もDHで試合に出て、何とか頑張っていたのですが、DHにはもっと打てる外国人をという球団の方針で、トレードに出されてしまいました。結果的には、清原は1年目から3割30本の活躍で、当時の森監督の起用は正解だったのですが、片平の悲運さは、これでよりイメージが強まりました。

ただ、片平も一塁しか守れないことが不運を招く要因になったことは、わかっていると思います。外野ができればポジションは三つありますし、二塁や遊撃がこなせれば内野の四つのポジション全てをこなせることになり、出場機会を増やせますが、一塁しか守れないと、打撃で相当高いレベルを要求されます。

一般的には良い成績に見えても、一塁しか守れない選手にしては不十分ということになったのでしょう。しかし、今回二軍監督の話が来たのは、片平の西武時代の活躍を、球団が認めていたということでしょう。是非、二軍から良い選手を送り出して、指導者としても良いことを証明して欲しいものです。
コメント (2)
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