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作った左打席(松井稼頭央)

2007-10-29 21:16:52 | 他スポーツ
昨日のワールドシリーズ第3戦で3安打の活躍を見せた、コロラド・ロッキーズの松井稼頭央選手の思い出です。松井はPL学園からドラフト3位で西武に入団しています。PL学園では投手でしたが、身体能力の高さと野球センスを評価した西武は、最初から野手として育てるつもりで獲得しました。

この入団と同時に、両親が「グラウンドの中央で稼ぎ頭になりなさい」という意味を込めて改名したのが、現在の名前の稼頭央の由来です。当時の西武の監督は、育成に定評のあった東尾監督で、森前監督時代の主力選手を少しずつ入れ替えていたタイミングでした。優勝が早々と絶望になった1996年、東尾監督は若返りを図ろうと、後半戦からそれまでのレギュラーの田辺を外して、松井にチャンスを与えました。

9番ショートで出場した松井の成績は2割5分、2本と決してレギュラーを確約できる成績ではありませんでした。しかし、翌年のキャンプで、東尾監督から特別強化指定選手に選ばれて期待を集めた松井は、大きな挑戦をしました。それは、スイッチヒッターへの転向です。その前年の、右投手相手の打率が1割台だったため、それなら左打席に立たせて足を生かした方が打率を稼げるだろうという、東尾監督の配慮でした。

このコンバートが今日の松井を生んだと言ってもいいと思います。ただ、松井の優れている点は、スイッチヒッターにありがちな、走り打ちのレベルに満足しなかったことです。松井は西武球場の地下にある筋トレ室で、試合の後も筋力強化に励みました。その結果、後から作った左打席でも、右打席と同じスピードの振りができるようになりました。

その結果、左右両方の打席でホームランが打てる打者になり、年間30本を記録できるようになりました。また、松井は守備も高いレベルでした。ショートの深い位置からでも刺せる強肩で、西武の守備を支えました。

いつかはメジャーに行くだろうと覚悟はしていましたが、2004年にニューヨーク・メッツに移籍したときはちょっと寂しかったです。メッツでは苦労しましたが、ロッキーズに移って二塁のポジションを手中にして、ワールドシリーズまで出場できたのは嬉しい限りです。
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