昨日は、ズラタンの退団以外にも、長年浦和のGKコーチを務めた土田尚史さんの退任というニュースがありました。今後は地域普及のスタッフとなりチームには残りますが、埼スタのピッチで西川周作にボールを蹴る彼の姿は見られなくなります。土田といえば、草創期の浦和でGKとしてチームを支えたレジェンドです。
Jリーグの草創期は、連日のように駒場や国立競技場が満員になる人気でした。ガラガラのスタンドでプレーしていた日本リーグ時代からの急激な変化に、サポーターとどうやって関わっていくか、選手たちも戸惑う様子でした。そんな中、土田は異彩を放っていました。大原まで練習を見に行ったときに、厳しいGK練習をこなしながら、金網の外にいた私に「暑いよね?」と話しかけてくるなどフレンドリーでした。
GKの土田はピッチの最後方にいますが、サポーターはその後ろにいるので、時にゴール裏のサポーターの声でフリーの選手に気づくこともあったと話していました。つまり、いい意味でサポーターを利用したGKでした。いつかは忘れましたが、国立競技場のスタンドに向かって手を叩き、もっと応援してくれとサポーターに指示を送っていたこともあります。
土田は指示の声の大きさと、瞬間的な反応の速さを武器にするGKでしたが、ゴールキックがハーフウェイラインまでしか飛ばないという欠点もありました。本人曰く「中学生より飛ばない」ということでしたが、その不利を克服できる身体能力がありました。ファインセーブで流れを切るという意味では、ドラマ性のあるGKだったと思い出します。
土田は長年、ライバルGK田北とポジションを争っていました。この両者のどちらが好きかはサポーターの間で意見が分かれ、土田派と田北派で議論をすることもありました。そんな二人は、浦和がJ2に落ちて1年で昇格できた2000年、ともに現役を引退し、土田は浦和で、田北は横浜FCでコーチとなります。
今でも現役時代の記憶がありますが、それでも土田は51歳と、そろそろ次の世代にGKコーチを譲る時期と思ったのかもしれません。いつでも見られると思っていた人が来年から見られなくなるのは、どんな気持ちかわかりませんが、私のような古株サポには忘れられない存在です。

Jリーグの草創期は、連日のように駒場や国立競技場が満員になる人気でした。ガラガラのスタンドでプレーしていた日本リーグ時代からの急激な変化に、サポーターとどうやって関わっていくか、選手たちも戸惑う様子でした。そんな中、土田は異彩を放っていました。大原まで練習を見に行ったときに、厳しいGK練習をこなしながら、金網の外にいた私に「暑いよね?」と話しかけてくるなどフレンドリーでした。
GKの土田はピッチの最後方にいますが、サポーターはその後ろにいるので、時にゴール裏のサポーターの声でフリーの選手に気づくこともあったと話していました。つまり、いい意味でサポーターを利用したGKでした。いつかは忘れましたが、国立競技場のスタンドに向かって手を叩き、もっと応援してくれとサポーターに指示を送っていたこともあります。
土田は指示の声の大きさと、瞬間的な反応の速さを武器にするGKでしたが、ゴールキックがハーフウェイラインまでしか飛ばないという欠点もありました。本人曰く「中学生より飛ばない」ということでしたが、その不利を克服できる身体能力がありました。ファインセーブで流れを切るという意味では、ドラマ性のあるGKだったと思い出します。
土田は長年、ライバルGK田北とポジションを争っていました。この両者のどちらが好きかはサポーターの間で意見が分かれ、土田派と田北派で議論をすることもありました。そんな二人は、浦和がJ2に落ちて1年で昇格できた2000年、ともに現役を引退し、土田は浦和で、田北は横浜FCでコーチとなります。
今でも現役時代の記憶がありますが、それでも土田は51歳と、そろそろ次の世代にGKコーチを譲る時期と思ったのかもしれません。いつでも見られると思っていた人が来年から見られなくなるのは、どんな気持ちかわかりませんが、私のような古株サポには忘れられない存在です。
