今日はネタがないので、昔話から1997年9月に行われたW杯最終予選の日本対韓国の思い出です。21年経った今でも、この試合のことはいつでも思い出せます。理由は、当時国立競技場のスタンドに自分がいたからです。当時の試合は、日本サッカー史上に残る大観衆を飲み込み、異様な雰囲気の中で行われました。国立競技場のスタンドは、通路まで人であふれ、身動きが取れないほどでした。
この韓国戦の前、Jリーグの平塚(現湘南)でプレーしていたブラジル人FW、呂比須ワグナー選手の帰化が認められ、即代表入りを果たします。今の、レベルの上がった日本代表では考えられないでしょうが、当時はJリーグでプレーする外国人選手が帰化すると即代表入りくらいのインパクトのある出来事でした。加茂監督は呂比須をいきなりスタメンで起用し、カズと2トップを組ませてきました。
これに対し、当時の韓国代表は、3バックマンツーマンの根性サッカーが主流でした。車範根監督は、カズに崔英一を、呂比須に李敏成をマンツーマンでつけ、さらに攻撃的MFの中田英寿や名波浩にもマンツーマンをつけてきました。この根性サッカーの前に、日本は苦戦しましたが、マークのついていなかったボランチの山口を上げるとチャンスになり、先制点はその山口の鮮やかなループシュートでした。
しかし、この日本サッカーの歴史にも残るほどの雰囲気に、加茂監督は飲まれてしまったようでした。今でも忘れない采配ミスは、1-0のリードを守ろうとして、FWの呂比須を下げてDFの秋田を入れた采配です。当時、秋田に対して高正云をマークせよとの指示でしたが、その高正云が交代していたという、ありえないようなミスでした。
これで、マーカーがいなくなった李敏成は上がって来られるようになり、まず徐正源のゴールで韓国が同点に追いつくと、その李敏成がミドルシュートを放って韓国が逆転し、1-2と韓国の勝利で終わります。勝てた試合を監督の采配ミスで落とした、実にもったいない試合になってしまいました。
今、振り返ると、この最終予選は韓国に勝つことが目的ではなく、予選を通ることが目的です。今の自分だったら、2位に入ってプレーオフを勝てばいいと切り替えたでしょう。しかし、まだ若く、代表の予選を応援するのが初めてだった私は、この敗戦にショックを受け、あてもなく近所の街を歩き回っていた、苦い記憶があります。
この韓国戦の前、Jリーグの平塚(現湘南)でプレーしていたブラジル人FW、呂比須ワグナー選手の帰化が認められ、即代表入りを果たします。今の、レベルの上がった日本代表では考えられないでしょうが、当時はJリーグでプレーする外国人選手が帰化すると即代表入りくらいのインパクトのある出来事でした。加茂監督は呂比須をいきなりスタメンで起用し、カズと2トップを組ませてきました。
これに対し、当時の韓国代表は、3バックマンツーマンの根性サッカーが主流でした。車範根監督は、カズに崔英一を、呂比須に李敏成をマンツーマンでつけ、さらに攻撃的MFの中田英寿や名波浩にもマンツーマンをつけてきました。この根性サッカーの前に、日本は苦戦しましたが、マークのついていなかったボランチの山口を上げるとチャンスになり、先制点はその山口の鮮やかなループシュートでした。
しかし、この日本サッカーの歴史にも残るほどの雰囲気に、加茂監督は飲まれてしまったようでした。今でも忘れない采配ミスは、1-0のリードを守ろうとして、FWの呂比須を下げてDFの秋田を入れた采配です。当時、秋田に対して高正云をマークせよとの指示でしたが、その高正云が交代していたという、ありえないようなミスでした。
これで、マーカーがいなくなった李敏成は上がって来られるようになり、まず徐正源のゴールで韓国が同点に追いつくと、その李敏成がミドルシュートを放って韓国が逆転し、1-2と韓国の勝利で終わります。勝てた試合を監督の采配ミスで落とした、実にもったいない試合になってしまいました。
今、振り返ると、この最終予選は韓国に勝つことが目的ではなく、予選を通ることが目的です。今の自分だったら、2位に入ってプレーオフを勝てばいいと切り替えたでしょう。しかし、まだ若く、代表の予選を応援するのが初めてだった私は、この敗戦にショックを受け、あてもなく近所の街を歩き回っていた、苦い記憶があります。