Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

持ち味を消された(7/15山形対浦和)

2015-07-16 19:13:50 | 浦和レッズ
夏の暑い時期の山形のアウェイは、いつも暑さの影響で消耗戦になります。山形で会心のサッカーで勝った記憶はなく、勝つとすればセットプレーの1-0かなと予想していたので、結果のスコアレスドローは予想通りです。

ミシャのサッカーは、アウトサイドは攻守両面に動く、1トップ2シャドーには機動性を要求する、ストッパーも攻撃参加するなど、選手にとってはきついサッカーです。強行日程のこの試合で、体調不良の梅崎に代わって李忠成を起用した以外は前節と同じメンバーを並べたミシャ采配は、裏目に出ました。

また、山形も守備では高い集中力を見せました。浦和が誇る右アウトサイド関根に対し、数的優位を保ってほとんど攻撃に絡ませず、関根をベンチに追いやるほどでした。山形ではアンカーのアルセウが良かったと思います。山形は5-3-2ですが、中盤の守備の仕事の多くはアルセウです。

このアルセウがバイタルエリアに立ちふさがり、いいときの浦和が見せるバイタルエリアでのダイレクトパスをほとんど出させませんでした。サイドもバイタルエリアも封じられては、浦和の勝機は森脇のミドルくらいですが、GK山岸範宏が好守を見せました。

この試合は山形が勝っていてもおかしくない内容でした。高い位置からプレスに行くこともありましたし、西川周作のフィードミスなど、浦和が一瞬見せた隙にディエゴとロメロ・フランク、宮阪らがチャンスに絡みました。

ロメロ・フランクが決定機を決めていれば山形が勝てた試合でした。山形としては5バックで浦和の前を封じ、2トップとサイドのMF宮阪、松岡でチャンスを狙う、前回の埼玉スタジアムでの対戦で見せた攻守両面の策が、あと一歩のところで的中するところでした。

浦和は、チームコンディションが想像以上に厳しかったので、ズラタンのスタメン起用などの変化があっても良かった試合でした。同じメンバーで戦うことは不可能ですから、理想は誰が出ても強い浦和でしょうね。それでも、負けなかったことは大きいと、次の広島戦に期待です。
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戻ってきたバレー

2015-07-15 18:29:52 | 他チーム
今日は浦和の山形戦ですが、平日夜の試合の即日更新は例によって勘弁していただきます。穴埋めネタとして、いつか書こうと思って書くタイミングを逃していた、甲府FWバレーを取り上げます。2001年に、当時J2の大宮にC契約で入った18歳の若僧は、今や実績十分の33歳のベテランです。

甲府にとっては、バレーはレジェンドです。2004年のJ1J2入れ替え戦のアウェイ柏戦で、自ら6ゴールの活躍で甲府をクラブ史上初めてJ1に上げています。この活躍で価値が高騰して、G大阪、アルアハリ(UAE)とキャリアをステップアップすることになりました。

バレーはブラジル人で、あだ名を多用するブラジル人らしく、そのバレーの名前は好物にしていた「バレーコーラ」という飲み物が由来です。ちゃんとしたチームでプレーしたのは17歳という遅いスタートで、大宮に移籍した理由も「実家の母にいい家を建てたい」理由でした。

バレーは190cmの長身ですが、ポストプレーヤーではなく、テクニックで勝負するFWです。大宮時代、敗色濃厚な展開でバレーめがけてロングボールを蹴るとほとんど機能しませんでした。甲府時代の大木監督も、最初は3トップの真ん中に置いていましたが、機能しないので左ウイングに回すと大活躍を見せました。

バレーは、ゴール数は多いですが、シュート数あたりの決定率は当時得点王を争った、エメルソン、ジュニーニョ、前田遼一などの他のFWより極端に低いという特徴があります。シュート数は多いので、「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」のFWです。

こういうタイプは途中出場で結果を出すのが難しいので、ある程度スタメンを確約してくれるチームに行かないと結果は出にくいです。欧州に行かず、UAEに行ったのはある程度スタメンを確約してくれたのだろうと想像しています。

埼玉スタジアムには7/29に来ます。平日なので生観戦は難しいでしょうが、映像でも見れば何かを感じるかもしれません。楽しみに待ちたいと思います。
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大型二塁手(浅村栄斗)

2015-07-14 19:47:15 | 他スポーツ
最近、4連敗中と元気のない西武ライオンズですが、今季3番に定着した浅村栄斗選手は満塁ホームランを放つなど気を吐いています。一昨年の一塁手から、昨年二塁手にコンバートされた浅村ですが、今季は守備もうまくなっています。

西武の二塁手は山崎、辻、片岡と守備の名手が続いてきました。このポジションに、打力が売り物の浅村をコンバートした伊原監督の決断には驚きました。浅村本人の将来のためには、一塁手だと相当高いレベルのバッティングが要求されるので、二塁手ができるようになっておいた方が選手寿命は延びるだろうと思っていました。

しかし、名手片岡の後釜だったので、昨年の浅村のプレーは「片岡なら取れた」と厳しい目で見てしまうこともありました。打率も一昨年の打点王の活躍からは低下し、もし守備が負担だったなら一塁手に戻る可能性もあるかなと予想していました。

しかし、浅村はちゃんと二塁手としての守備に意欲的に取り組んでいました。昨年オフに肩を手術した影響で、キャンプ序盤はバッティング練習を控えていたので、その時間を利用して守備力向上をテーマに練習に取り組みました。その結果、下半身が強くなって守備範囲が広がり、バッティングにもいい影響が出てオールスターにも選ばれる活躍ぶりです。

浅村は、大阪桐蔭高校時代は一番打者でした。高校で四番を打っていないということは、プロには一、二番を打つつもりで入団してきたでしょう。事実、中島裕之がメジャーに移籍したときは「空いたショートのポジションを狙いたい」と口にしていたほどです。

しかし、その初球から思い切りフルスイングするバッティングは中軸向きで、今や西武に欠かせない中心打者です。意外なのは体重が90kgあることです。先日、西武ライオンズの名鑑を調べていると、身長から100を引いた数字より体重の方が大きい選手がほとんどです。

ファンにとっては長年の娯楽なので、半年間毎日のように野球をすることは当たり前のように思っていましたが、選手は相当鍛えないと毎日プレーできないことが、この事実に現れています。



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時代を動かした大関(千代大海)

2015-07-13 22:02:51 | 他スポーツ
夏場所のときに、何枚か撮っていた土俵下の勝負審判の親方衆から、元大関千代大海の佐ノ山親方の思い出です。千代大海は優勝3回、大関在位65場所の最長タイ記録を持つ、歴史に名を残した大関でした。

ただ、素直に千代大海が強かったかというイメージかといえば、そんなことはありません。千代大海のような突き押しの上位は、当時はいなかったので、格下に強く序盤を8連勝や7勝1敗で乗り切ることが多く、はまれば快進撃もありましたが、ワースト記録のカド番13回をどう評価するかは意見が分かれると思います。

大関としては不名誉な、カド番の7勝7敗(把瑠都に勝って辛くも脱出)や、皆勤した大関のワースト記録の2勝13敗もあります。それでも、大関が最高位の力士は、どうしても晩年のカド番の連続のイメージが強くなってしまうもので、強かった時期は確実にあった大関だと思います。

一番印象に残っているのは、初優勝のときです。当時、関脇だった千代大海は、千秋楽を前に横綱若乃花を星の差一つで追う展開でした。運命のいたずらで、千代大海と若乃花の一番は千秋楽に組まれました。千代大海は、本割、決定戦を連勝すれば逆転優勝できる条件でした。

当時はラジオ中継を聴いていたので、残念ながら取組内容までは覚えていませんが、本割を勝った千代大海は、決定戦に勝負を持ち越します。その決定戦、立ち合いから押し込んだ若乃花の完勝のような内容でしたが、土俵際でもつれて物言いがつき、協議の結果取り直しになります。

その取り直し一番を勝利した千代大海は、見事優勝と大関昇進を勝ち取ってみせました。少年時代は不良で、九重部屋に入門したときは頭に剃り込みが入っており、九重親方(元千代の富士)は「そんな頭では入門は許さない」と言い、千代大海が坊主頭に剃ってようやく入門が許されたエピソードがあります。

しかし、ただの不良ではなく、大相撲の激しい稽古に耐えられる根性があった、強い男でした。おそらく、千代の富士の定年後は九重部屋を継ぐと思いますが、弟子を育てることを期待したいですね。
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鄭大世、清水入り

2015-07-13 18:28:34 | 他チーム
最近のサッカーニュースでは、柏FWレアンドロの神戸移籍と、水原(韓国)FW鄭大世の清水移籍が話題でした。今回は鄭大世を取り上げます。鄭大世は元川崎Fのストライカーで、体の強さで相手に競り勝つポストプレーヤーです。スピード型はシーズン途中でコンビネーションを合わせるのは難しいと判断して、アーリークロスでも競り勝てる鄭大世の得点力に期待した獲得でしょう。

鄭大世は、12日まで水原との契約が残っていたので、土曜日の神戸戦には出ていませんでした。水曜日の試合から出場可能です。清水は鄭大世自身の得点のほかに、鄭にマークが集まることによる大前の得点にも期待しているでしょう。

鄭大世はご存知のように、朝鮮民主主義人民共和国(以下共和国)の代表FWですが、在日韓国朝鮮人の特別枠で外国人枠に入りません。ただ、川崎時代の力を今でも維持しているかは、懐疑的です。理由は、アジア3次予選や東アジアカップ、アジアカップで見た共和国代表での彼のプレーが良くなかったからです。

もちろん、共和国の代表戦には負傷明けで出場していたことが多かったので、ベストコンディションを取り戻していれば活躍の可能性はあります。どうしても残留したい最下位清水にとっては、重要な勝負手です。

もちろん、川崎時代は本当にいい選手でした。ジュニーニョ、マギヌン、中村憲剛らいい選手がいて、堅守速攻のスタイルを確立していた川崎では、彼は一人異質なキャラクターでした。たとえチームが劣勢でも、ロングボールに競り勝って決勝点を得て勝利した試合もあります。

印象的なのは、ドイツのボーフムに移籍して川崎を去るときの退団セレモニーです。彼の風貌を「単純明快な容姿(PCの顔文字で書ける)」と紹介していたのは大爆笑でした。本人も気に入って自分のブログで使っていたと聞きます。

そんな川崎サポに愛された彼が、敵として等々力に来たらどんな反応なのだろうと、直接対決を注目しています。
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山形戦プレビュー

2015-07-12 16:08:26 | 浦和レッズ
昨日の松本山雅戦の勝利の余韻が残っていますが、J1は水曜日にも試合があり、浦和はアウェイの山形戦です。山形は盆地特有の気候で、夏場は相当暑く、浦和にとっては決して相性のいいアウェイ戦ではありません。

昨日の山雅の6-3-1にも驚きましたが、今度の石崎監督も策士で、何か変わったことをやってくる可能性はあります。柏時代に、全然動かないフランサを機能させて、上位に躍進させた実績もあるベテラン監督です。当時のノウハウを知る、李忠成が浦和にいるので、李経由で多少は情報も入っているとは思いますが。

山形といえば、元浦和GK山岸範宏が在籍しています。開幕直前の特番で、「プレーオフで昇格したチームの残留の例はない」と自分でジンクスを認めていましたが、今季は残留争いは混戦になっており、山形にも十分残留の目は残っています。それを実現するのが山岸の使命になると思います。

前回の埼玉スタジアムでの対戦では、山形は5-3-2という布陣でした。5バックで引くのはどこのチームもやってくる浦和対策ですが、アンカーにアルセウを置いて、アルセウが散らしたボールにサイドのMFが上がって攻撃に絡むという、攻撃にも枚数を割けるサッカーで浦和を苦しめました。阿部勇樹のミドルシュートが出て辛くも1-0で勝ちましたが、この相手の策は印象に残っています。

浦和はこの山形の暑さで、足が止まるのが怖いです。特に、1トップ2シャドーの興梠、武藤、梅崎は皆、機動力で勝負するタイプなので、山形盆地の暑さで足が止まると攻撃が機能しなくなる恐れがあります。思い切って1トップにズラタンを置いて、早めのクロスで勝負しても面白いと思います。

山形のキーマンはディエゴです。彼は東京V時代に、今のブラジル代表MFフッキ(現ゼニト・サンクトペテルブルク[ロシア])と一緒にプレーしています。日本人選手は信頼できないと、強引にどんどんドリブルで持ち込んでいたフッキが、唯一心を許していた味方がこのディエゴでした。どちらかといえばトップ下タイプですが、シュートレンジも長く、ワンチャンスで決める力を持っていると思います。
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敵将反町監督の「6-3-1」(7/11山雅対浦和)

2015-07-12 13:26:45 | 浦和レッズ
昨日の浦和レッズのアウェイ、松本山雅戦はテレビ観戦でした。チケットが10分で完売するほどの注目カードでしたが、確かに浦和の応援もテレビ越しですが響いてきました。

試合は敵将、反町監督の手が驚きでした。浦和の攻撃時の布陣、4-1-5に対抗するために、5バックにしてくるチームはよく見ますが、山雅は5バックの後ろに、フリーマンの安藤(36番)を置く、6-3-1という超守備的な布陣で入ってきました。おそらく、前半は0-0で耐えて、勝てそうな展開になったらベンチにいるオビナ(9番)を投入しようという考えなのでしょう。

そういう意味では、その6バックの山雅から、武藤のゴールで先制しておいたことは効いてくると確信しました。もし、相手が中途半端に出てくれば、大量得点も狙えそうと思ったからです。このゴールは、相手左アウトサイドの17番が関根をマークしていたので、関根を内に絞らせて空いたスペースに森脇が飛び出したのが効いた、ミシャの狙い通りの手でした。

しかし、山雅は6バックを変えませんでした。前半は0-1でもいいと割り切って、興梠、武藤、梅崎にはスペースを与えないという厳しいマンツーマン守備でした。興梠はこの守備に徹底的に消され、武藤もいつものように引いて受ける形が難しいと判断したミシャは、あえて前線を思い切ってシャッフルして、梅崎をボランチにしたり武藤を右アウトサイドにしたり相手の混乱を狙いました。結果的にはこの手が効かなかったことが、このゲームの苦戦の理由になります。

後半、浦和はマークされていない柏木をうまく利用して、柏木の突破から興梠のゴールで2-0とします。これで、山雅は切り札オビナを出さざるを得なくなります。オビナは確かに強いFWですが、スピードがないのでカウンターを恐れる必要はないと、余裕で見られると思っていました。

ここからが、山雅の浦和対策の真骨頂でした。浦和がセットプレーに比較的弱いこと、オビナにはポストプレーでキープさせること、カウンターは前田を使うことと、徹底した対策で浦和から酒井のゴールで1点返し、なおもセットプレー主体で攻めました。まさかここまで苦しむとはという試合になりましたが、何とか逃げ切って2-1で勝利します。

これからは、相手がどんな対策を立ててくるか、それでこんな冷や汗ものの試合を見ることになるかもしれないと、そんな覚悟を持った2ndの開幕戦でした。
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堅守速攻を選択したアメリカ(7/6なでしこ対アメリカ)

2015-07-11 17:00:22 | レディース
今日、ようやくなでしこジャパンの決勝、アメリカ戦の2-5の惨敗を見ました。ラジオで戦況は聴いていたので、最初に4点を取られて試合を決められてしまったことは知っていましたが、映像を観るまではとゲームレポートは今日まで控えていました。

アメリカの戦い方を見ると、モーガン(13番)を1トップに置いた4-3-2-1でした。パスを回すなでしこに対抗するためには、堅守速攻がいいと判断して、なでしこ対策として取ってきた布陣です。この布陣の狙いは、このゲームでハットトリックを決めた、ボランチのロイド(10番)を「隠す」ものでした。

もともと、なでしこのサイドハーフを置く4-4-2は、相手のボランチにマークをつけにくい布陣です。前回のW杯決勝でボランチの澤に活躍されたリベンジのような格好になり、ロイドにはなかなかマークをつけにくくなでしこは苦労していました。特に、重要なのは1点目です。なでしこはアメリカの高さを警戒していましたが、わざとゴール前を混戦にしてバイタルエリアを空け、そこにロイドを走り込ませたCKは、たぶん練習でやっていた奇策だと思います。

アメリカは予想していた、オールコートプレスのような最初から飛ばすサッカーではありませんでしたが、結果的にサインプレーが成功してその後もCKと岩清水のミスで加点して、序盤を耐えればというなでしこのゲームプランは崩壊してしまいました。アメリカとの対戦成績は1勝6分け25敗という大差をつけられているので、今回はそれが表に出てしまったのでしょう。

また、なでしこは攻撃でも澤の投入まで形を作れませんでした。安藤の負傷離脱、大野と川澄は本来の出来でないと、なでしこが得意とするスピードからの攻撃はなかなか出せませんでした。岩渕がスタメンで行ければ使いたかったでしょうが、おそらく負傷からの回復が十分でなく、スタメンで行けるコンディションではなかったのでしょう。

決勝戦はスコア通りの完敗でしたが、それでも1次リーグの苦戦ぶりを見れば、よくここまで来られたとの思いです。日本の女子サッカーの土壌は思ったよりは強いと、自信を持ってこれからのなでしこリーグを含めた底辺からの強化を進めて欲しいと、今後の女子サッカーには期待しています。
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思い出は今でも美しい(田中達也)

2015-07-11 13:04:21 | 浦和レッズ
今日の松本山雅戦は、ナイトゲームなので即日更新できないかもしれません。穴埋めネタを用意しておきます。

先日の新潟戦は、写真の田中達也選手の元気な姿を見られたことが嬉しかったです。もうベテランの田中達也ですが、選手紹介で浦和サポが一斉に拍手したように、浦和時代に美しいたくさんの思い出を作ってくれたことは、古株サポなら皆覚えていると思います。

田中達也といえば、一番良かったときは2003年のナビスコ杯制覇に貢献した、エメルソンとの「エメタツ」コンビが最も印象的です。2001年に帝京高から浦和入りした田中達也は、最初はドリブルに生きがいを感じており、それほど得点にこだわっていなかった選手でした。その瞬間的なキレは最初から光っていましたが、2001年はサテライトの川越で彼の姿を見かけたこともあります。

そんな田中達也を変えたのはエメルソンでした。エメルソンからは、「枠が見えたら打つ」というシュート意識を教わったそうで、両方ともスピード型ながら、生かし生かされる最高の関係だった、この2トップは今でも美しい思い出です。

もっとも、田中達也はドリブルがあるので、監督によってはMFで使いたがる監督もいました。ペトロ時代の右ウイングもありましたが、田中達也は前を向いて仕掛けるのは得意ですが、パスを出すのがそんなにうまくありません。引いた位置で持ってしまうと、何もできずにバックパスを選択する場面も記憶にあります。

また、田中達也は1トップを苦手にしています。相手DFを背負ってキープするのが得意でないので、どうしても2トップで相棒とうまく連携しないとゴールに絡みにくい選手です。1トップのミシャが監督になった浦和より、他チームに行った方が本人のためと思っていましたが、今でも新潟で頑張っているところをみると、この移籍は良かったのでしょう。

2006年に相手DFに蹴られて脱臼骨折の重傷を負ってから、なかなかかつてのゴール量産のようにはいかなくなった田中達也ですが、真面目でしっかり体を作る選手なので、今でもプレーできているのでしょう。
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サポーターが勝たせた試合(2008年浦和対アル・カディシア)

2015-07-10 18:24:36 | 浦和レッズ
浦和のサポーターの威力は絶大とよく言われていますが、実感することは少ないです。たまに、相手監督が「埼玉スタジアムの雰囲気に選手たちがビビっていた」とコメントすると、サポーターとしてはやったと思いますが、明確な成功例を一つだけ覚えています。

それは、2008年ACL準々決勝2ndレグ、浦和対アル・カディシア(クウェート)戦です。初戦を2-3で落としていた浦和は勝利が必須条件の試合でした。アル・カディシアのホームスタジアムは駒場サッカー場くらいの大きさで、埼玉スタジアムを見たアル・カディシアの選手たちは、すっかり観光気分で、「ここがW杯の準決勝の会場だよ」と親戚縁者に見せるためか、記念写真を試合前に撮っていました。

これを見て、「このスタンドから一斉にブーイングを浴びせればきっと効果があるだろうな」と確信しました。また、アル・カディシアは戦い方もバランスが悪かったです。4バックでありながら左SBが上がりすぎており、右SBもタッチライン際に残って内に絞っていませんでした。そのため、CBのファデルとアルシャマリの間には広大なスペースが空いていました。

これなら、当時タイプ的に合わないことがサポーターに不満だった、二人ともターゲットマンのエジミウソンと高原直泰の2トップにとって、最もやりやすい相手でした。もちろん、アル・カディシアも、ACLの準々決勝に残るくらいですからいい選手はいて、トップ下のチュニジア代表ベン・アシュールは当時Jリーグ最強のボランチの阿部勇樹を振り切る個人技を持っていました。

打ち合いになったら嫌だなと思っていましたが、相馬の先制ゴールが早い時間で決まって楽に見られた試合になりました。アル・カディシアのGKが、ブーイングを嫌がって耳を手でふさいでゴールキックをしていた姿を見て勝利を確信しました。

あの当時のエンゲルス監督の采配は、博打性の奇策が当たらずあまりいいイメージは持っていませんが、この試合だけは会心の試合として、今でも鮮明に覚えています。
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