私の若い頃はほとんど習い事をしませんでした。
時代的にまだ塾が一般化する夜明け前という感じでしょうか。
2歳下の私の弟は小学校6年生から塾に通い、5歳下の妹はピアノを習わせてもらっていましたが塾に入っていなかったはず。
まあ習い事に潤沢にお金を使えるほど裕福でもなかったということなのですが、振り返ればそれはそれでほのぼのとした幸せな時代だったと思うのです。
弟が塾に行ってくれたことで、私は当時ちんぷんかんぷんだった英語で助けられたことがあります。
中学校一年のときの英語の先生が性に合わなくて英語はまったく成績が上がりませんでした。
そんななか、弟に「どうして"I am do"ってならないの?」と訊ね、「バカだな、英語にはbe動詞とdo動詞と言うのがあるんだよ」と教えられました。
今でもそれを聞いた時に目から鱗が落ちた記憶がはっきりと残っていて、それから英語が分かるようになり(ホントです)、高校受験や大学受験でも英語は点数の取れる科目になりました。
弟の塾通いには今でも感謝しています。
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さて、そんな私が唯一習い事として通ったのはお習字の塾でした。
小学校2年生から3年生にかけて稚内に住んでいた時に習っていたもので、先生は白い髭を生やした結構なお歳のお爺さんでした。
ただきわめておちゃらけで不真面目だった私は、塾での時間中はふざけることが多く、隣で字を書いていた同じくらいの歳の子供と顔に墨を塗りあってゲラゲラ笑って、先生に叱られたこともありました。
月に一度、昇級試験があって課題文字を書いて先生に提出して、翌月の会報に昇級結果が掲載される制度でしたが、上達もそれほどではなく2年間通って最終の成績は2級どまりだったという記憶があります。
その程度のお習字歴なのでその後も字が上手になることはなく、塾通いも思い出のかなたの話です。
ただ一つだけ塾の先生から言われて今でも覚えている一言があります。
それは、失敗した半紙をぐちゃぐちゃにしてゴミ箱に捨てていたのを見かねた先生の一言で、「あなたは紙に恨みがあるのかい?」という言葉でした。
決して強い叱責ではなく、呆れたという感情よりも、ちょっと悲しげな物言いでした。
その言葉を聞いて(ああ、確かに自分は紙に恨みはない。失敗したのは紙のせいではなくて自分のせいだし…)と思い、それからは紙を捨てるにもちゃんと折りたたんで捨てるようになりました。
「恨みがないのなら物に当たるな、それは自分のせいでしょ」
今でも何かを捨てるときに、ときどきそのときのことを思い出して捨てるものへの申し訳なさや感謝の念が沸き起こります。
習字の塾に通ったことで字が上手になるという約束された結果はとうとう得られませんでしたが、代わりに生き方をちょっと変えるような一言が得られたのが私の人生の大事な一コマになりました。
今は長女の孫が二人してお習字を習っているそうで、「だいぶ字がうまくなってきたよ」とのこと。
人から何かを習うときには、思いもよらない宝を得ることもあるものだ、というのが私の経験です。
人生は出会いで形作られるのですね。
皆さんはなにか習い事の思い出ってありますか?
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