受講中の介護職員初任者研修は、明日は休日のためお休み。
講師の方曰く「集中して学んだ方が単語が頭に染みてゆくものですが、一週間おきだと忘れてしまわないように頑張ってください」とのこと。
若くもないし集中してもいないので、あまりだらだらすると忘れる度合いの方が大きくなりそうで、復讐に力を入れないといけませんね。
そんな振り返りのために、全部で15回の対面授業の間に3回の通信課題が用意されています。
これはある程度の授業を受けたところで、最終の修了試験にも似た設問が用意されて、答えをマークシートに記入して提出するというものです。
不合格なら再履修も行って定着を促すのです。
テキストはもらってあるのですから予習もするにこしたことはありませんね。
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社会保険について勉強しているといろいろと気づきがあります。。
その一つの社会保障には「年金保険」「医療保険」「介護保険」という三つの保険システムがあります。
これらは被保険者が自ら一定の負担金を支払って、必要に応じてサービスを受給する社会保険という形だということ。
社会保険というのは、「個々人の事故発生率の大小を操作することにより、生活事故へのリスクヘッジを行う目的と共に、再分配にも目的を置く」と言われます。
サービスを使わない人はお金を払うだけになって「メリットがない」と思われるかもしれませんが、サービスを使わずにすむことが最大のメリット。
医療であれば、病気やけがをしないに越したことはないのです。
ただし、健康問題ならばそう言えますが高齢化するリスクは全ての人にかかってきます。
現役世代の時に安心できるほどの財産を形成できなかったり、あるいは財産はあっても高齢化によって体が思うように動かず日常生活に不便をきたすようなリスクです。
しかも財産はあっても、一体いつまで生きるのかわからないということもまた不安の要素で、そのために年金保険は受給開始から死ぬまでの生活を安定させるという機能を有しています。
歴史をたどればドイツのビスマルクのころから始まった年金と言う制度ですが、先人たちはよくぞ素晴らしい制度を作ってくれたものだと感心します。
さて、今回介護を勉強して改めて気が付いたのは、同じ保険でも年金は規定の月数を納めれば60歳以上誰でも受給してもらえます。
医療保険であれば、必要な医療サービスは一定の自己負担で受けることができます。
しかし介護保険は、サービスを受けようと思ってもまず「認定」されて「ケアプラン」を作成してもらって、その範囲で初めてサービスが受けられるという制度になっています。
これはサービスが必要な度合いが個々人で千差万別であるからです。
そしてサービスを提供する形も家にいるためにお手伝いをする「居宅サービス」、通い・訪問・宿泊などからなる「地域密着型サービス」、さらに施設で行う「施設サービス」という三つの種類があるということ。
なかには、本人へのサービスもさることながら少しの間お預かりしてその間に家族のリフレッシュをさせるという機能のものもあります。
本人も家族も助けながら日常に折り合いをつける介護の世界、なかなか大変です。
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前回の授業の最後に私からこんな質問をしました。
「これから先、介護を担うのは若者だけではなくてまだまだ元気な高齢者もその担い手になるべきだと思うのですが、高齢の介護者に需要はありますか?」
先生の答えは「ありますよ!」
「若い人にはもちろん体力とか元気がありますけれど、歳を重ねた人だから理解できること、やりやすい事ってありますからね」
「具体的な事例は何かありますか?」
すると先生はこんな話を教えてくれました。
「高齢者の方と若者が話していると、話の中身が伝わらないことがあるんです。あるお年寄りが『わしはイッショウメシを炊いてきたんじゃ』と言ってたんです。私はその方は工事や作業の現場を経験して"一升飯"を炊いたんだな、と分かりました。たくさんご飯を炊くのが仕事だったんです。
ところがそれを聞いていた若い職員は『イッショウメシ?一生ご飯を炊いてきたんですか?』とか言って、"一升飯"という単語が分からずずっとやりとりが頓珍漢な感じになっていました。私は横で聞いていて可笑しくなったんですが、つまりお年寄りが話していることの時代的な背景がわからないと会話が成立しないことがあるんです。
そんな場面でも時代の近い人なら理解できることってありますよね」
尊厳を大切にするってそういうこともあるのかもしれませんね。
奥が深いな。