☆ 肱南川原のりば
大洲城下を廻り 臥龍山荘下で下船
蓬莱山 船着き場に 上陸であります
臥龍山荘
行ってみましょう
橋🔺
蓬莱山 船着き場を上がりますと
臥龍院 正門前の坂
へ 行く前に
石垣がすばらしい
見てみましょ
🔺
岩盤の上に 石積み
左右の積み方が 違ってます
城の石垣とも ちょっと違いますね
四角い穴 なんだろ? .
🔻 🔻 .
これは 橋が架かってたらしい
その橋の 橋脚の 取り付け部
だろうか
が その橋は もっと 左の方 のようだが…
違うとしたら何だろう
明らかに 石積みをした時の施工のようだが…
明治になって 積んだのでしょうから
大洲城の石垣とは 関わりない と、思います
石垣の下は 淵
⇦ 蓬莱山 .
臥龍の淵 に つながっています
こう見ると 蓬莱島 ですね
船着き場から 橋を 渡って 山荘側に行きます
🐉 → → → ⇧ ☆ ⇦
船着き場 現在地 坂ノ下
橋 渡りましょう
明治ですから 石積みの技術も 進歩してますが
ここは あえて 乱積み
趣 を出してますね
野面ではなくて ある程度 切った石 が
高度な 乱積み ってとこですかね
城郭では 石垣から 生えた 木は NGだ!
と 言い続けてきましたが…
数寄屋 ですからね~
でも 石垣が 崩れたら ど~すんでしょ…
正門前の 石段
大洲城も使われている
緑色片岩
正門前 坂を 上りましょ
左側は スロープ的になってます
右側は 石段になってます
どういうことでしょうか
スロープは 🐎 でしょうか
文庫
書庫 ということですか…
角から 右へも 続いてますね
角
どうしても 気になるところです
算木積みくずし
といった 積み方でしょうか…
算木積みは 江戸時代に 完成の域に達しています
こういう 積み方は 江戸以前 戦国時代
ですが
算木積み 確立してない時の 積み方ではありませんね
数寄屋ですから 安土桃山 意識してますね
角から 右は
車 徒歩 だと こちらから 来るわけですね
お舟 土手沿いからだと 川からの石段
正門です
常夜灯 でしょうか
門灯 でしょうか
檜皮葺?
丁寧に 造られてますね
門の方が 年期が入ってるようです
当初からの 門でしょうかね
🔺 こういう土塀も 珍しいですね .
門内は ワクワクする 石積みが 見えます
門前の 敷石
凸凹は ありますが 歩きづらいということは ありません
というより 気を付けるのか
丁寧な 歩き方になります
城の ハラスメント石段と 真逆ですね
門内には 平たい 大きな石
こういう 石も 使ってます
門柱の礎石のようだったり 碾き臼 だったり
私は ちょっと 碾き臼は 踏めませんでしたが…
運ぶのも 大変そうな 岩まで あります
いきなり 門周りから
おもてなし MAX