平凡社新書「犬の伊勢参り」(仁科邦男著)という本は書評で見て買った。出てるのは知ってたけど、動物不思議物語みたいな本だと思って、本格的な歴史の本だと思わなかった。でもこの本は、江戸時代を中心に昔の文献を丹念にあたった「研究書」である。結構原史料が載っていて一般的に読みやすい本ではないが、とても面白い中味なので紹介しておく次第。
一言で言えば、江戸時代には犬が伊勢神宮にお参りし、住む村に帰ってきたという「奇譚」がいっぱいあったという話である。ちゃんと村人の方で「代参」として送り出し、神宮では「伏せ」をして「礼拝」してお札を貰って帰ってくる。そんなバカな…と思うだろうが、史料がいっぱい残っていて実証可能なのである。それどころか、「豚の伊勢参り」まであった。ここまで来ると、宣伝か物語と思うのが「近代人」というものだ。だから司馬遼太郎は「街道をゆく」の中で、そんなことがあるわけないから「伊勢神宮の御師」(参詣人の世話や祈祷などを行う下級の神官)の創作した「伝説」だと決めつけているという。
もちろん、今、愛犬を道に放しても伊勢神宮に向かって歩き出したりしない。まあ駅くらいなら付いてくるかもしれないが。人間はみんな交通機関で移動してしまって犬は乗せてもらえない。江戸時代は皆歩いていた。歩いて伊勢神宮まで行った。「おかげ参り」と言って、突然ものすごい数の人間が伊勢神宮にお参りする事もあった。式年遷宮が20年ごとにあるから、その度に日本中で伊勢参りがある。60年くらいすると行ってない人が増えるから、大挙して仕事を抜け出して押しかける珍事が何回か起こった。400万人くらいが一度に押し掛けたという。そんなにたくさんの人が歩いて伊勢神宮に向かっていれば、中には付いて行ってしまう犬がいる方がむしろ自然ではないか。
(伊勢参りする犬)
犬は今は「家」に帰属している。鎖につながれているか、それとも室内で歩けるかは違うが、散歩以外は家から出られない。人を咬む犬もいるから勝手に歩かれても困る。犬の方も飼い主に懐いていても、伊勢神宮までは行きたくもないだろう。でも昔は違った。ある程度昔の人は憶えているだろうけど、昔は「野良犬」がたくさんいた。たった50年くらい前のことだけど、もう皆忘れかけている。そして、江戸時代には「野良犬」がいなかった。「野良犬という概念」がないという意味である。
犬はそもそも鎖でつないで飼うものではなかった。村共同体で飼うものだったのである。そういう犬を指す言葉がちゃんとあり、「里犬」と言ったらしい。この言葉は戦国時代に日本に来た宣教師が作った「日葡辞書」に載ってるという。愛玩もするだろうけど、基本は「村共同体の番犬」である。隣村の境界まで行くと縄張りから外れるが、暮らしている村に見知らぬ人が来ると吠え立てるわけである。例外的に狩猟用の犬などは猟師との結びつきが強いから、そういう犬は「伊勢参り」はしない。
犬は村全体で放し飼いされていたわけで、それが基本的な飼い方。人を怖がる犬もいるけど、誰にでも懐くような犬もいる。伊勢参りをする人に付いて行ってしまう犬がいても当然だろう。人々は「伊勢参りの犬」と認識したので、お札を付けてあげたり、村ごとの送り状まで作ったり、お賽銭を首に付けてあげたりするようになる。道中の宿場では、そういう犬が来ると首の賽銭から銭を少し取ってエサをあげて、寝る場所を世話したりする。誰もそのお金を取る人もいなかった。そういう時代だったのである。
犬は人を見て行動する。神宮はこっちだよ、船に乗らないと川渡れないよとサジェスチョンすると、尻尾を振ってその通りにしたわけだろう。神宮について伏せをしたら、「参拝している」と人間が解釈する。エライエライとなり帰り道も指示してくれる。それで村まで帰ってきた犬が何匹もいたという話である。豚の話はもっと面白い。そもそも広島では犬はいなくて、豚が放し飼いだったという。ゴミ残飯を食べてくれたから有難かったのである。なんで豚がいたのか。西日本では、朝鮮通信使の接待のため豚の飼育が命じられていて、そこから豚が歩き回る状況があったのである。
伊勢神宮自体は、犬に限らず穢れのある畜生の入域は禁じられていた。でも、犬はフェンスがなければどこからでも入ってくる。死んでしまえば「死穢」が発生する。それを避けるためどんな苦闘を繰り返したか。「神宮と犬、千年の葛藤」の章に詳しい。もともと平安時代の初期までは天皇でも鷹狩りをしていた。一番詳しい鷹狩りの書物は嵯峨天皇に時代に作られた。鷹狩りは武家時代の将軍の好みと思い込んでいたのでビックリ。やがて朝廷を細かい「穢れ」の決まりが覆い尽くし、天皇の清浄視、幼少天皇の時代となる。この「穢れ」感は日本の差別と密接な関わりがある。幼少天皇=藤原氏の実権確立と理解されているが、動物との関わりという視角から「天皇の清浄さ」が要請された経緯もあったかもしれない。犬の話から、王権論、差別論までつながっていたのである。
犬のあり方は近代で変わる。外国人の持ち込んだ西洋犬は、家ごとに飼われしつけをされていた。攘夷の武士に襲われると飼い主を守る。そういう犬を「カメ」と日本人は呼んだ。語源は「come here」だそうだ。「来い」と言われたら、ちゃんと飼い主のところに来る犬が新鮮に見えたのだ。こうして「犬の文明開化」が始まる。犬は村共同体で飼うものから、だんだん個々の家で飼うものになっていった。
人間はほんのちょっと前のことも忘れてしまう。特に高度成長、電化で暮らしは大きく変わった。半世紀前頃まで、冷蔵庫や洗濯機もない時代だったのに、その時代にどうやって暮らしていたのか。そういう時代には、チワワやトイ・プードルを飼ってる人はいなくて、柴犬系の雑種みたいな犬があちこちウロウロしていたのである。電車や自動車がある時代には犬も勝手に出歩くことは出来ない。伊勢参りをした犬がいたなどと聞くと、変な話、おかしな話、信じられない話と思い込む。本書にもあるが、これは「計算ができる象ハンス」というドイツの話と同じである。犬に信仰心があるわけがない。でも人間に懐く犬を、誰かが世話してあげれば「代参」くらいしてしまうのである。
一言で言えば、江戸時代には犬が伊勢神宮にお参りし、住む村に帰ってきたという「奇譚」がいっぱいあったという話である。ちゃんと村人の方で「代参」として送り出し、神宮では「伏せ」をして「礼拝」してお札を貰って帰ってくる。そんなバカな…と思うだろうが、史料がいっぱい残っていて実証可能なのである。それどころか、「豚の伊勢参り」まであった。ここまで来ると、宣伝か物語と思うのが「近代人」というものだ。だから司馬遼太郎は「街道をゆく」の中で、そんなことがあるわけないから「伊勢神宮の御師」(参詣人の世話や祈祷などを行う下級の神官)の創作した「伝説」だと決めつけているという。
もちろん、今、愛犬を道に放しても伊勢神宮に向かって歩き出したりしない。まあ駅くらいなら付いてくるかもしれないが。人間はみんな交通機関で移動してしまって犬は乗せてもらえない。江戸時代は皆歩いていた。歩いて伊勢神宮まで行った。「おかげ参り」と言って、突然ものすごい数の人間が伊勢神宮にお参りする事もあった。式年遷宮が20年ごとにあるから、その度に日本中で伊勢参りがある。60年くらいすると行ってない人が増えるから、大挙して仕事を抜け出して押しかける珍事が何回か起こった。400万人くらいが一度に押し掛けたという。そんなにたくさんの人が歩いて伊勢神宮に向かっていれば、中には付いて行ってしまう犬がいる方がむしろ自然ではないか。
(伊勢参りする犬)
犬は今は「家」に帰属している。鎖につながれているか、それとも室内で歩けるかは違うが、散歩以外は家から出られない。人を咬む犬もいるから勝手に歩かれても困る。犬の方も飼い主に懐いていても、伊勢神宮までは行きたくもないだろう。でも昔は違った。ある程度昔の人は憶えているだろうけど、昔は「野良犬」がたくさんいた。たった50年くらい前のことだけど、もう皆忘れかけている。そして、江戸時代には「野良犬」がいなかった。「野良犬という概念」がないという意味である。
犬はそもそも鎖でつないで飼うものではなかった。村共同体で飼うものだったのである。そういう犬を指す言葉がちゃんとあり、「里犬」と言ったらしい。この言葉は戦国時代に日本に来た宣教師が作った「日葡辞書」に載ってるという。愛玩もするだろうけど、基本は「村共同体の番犬」である。隣村の境界まで行くと縄張りから外れるが、暮らしている村に見知らぬ人が来ると吠え立てるわけである。例外的に狩猟用の犬などは猟師との結びつきが強いから、そういう犬は「伊勢参り」はしない。
犬は村全体で放し飼いされていたわけで、それが基本的な飼い方。人を怖がる犬もいるけど、誰にでも懐くような犬もいる。伊勢参りをする人に付いて行ってしまう犬がいても当然だろう。人々は「伊勢参りの犬」と認識したので、お札を付けてあげたり、村ごとの送り状まで作ったり、お賽銭を首に付けてあげたりするようになる。道中の宿場では、そういう犬が来ると首の賽銭から銭を少し取ってエサをあげて、寝る場所を世話したりする。誰もそのお金を取る人もいなかった。そういう時代だったのである。
犬は人を見て行動する。神宮はこっちだよ、船に乗らないと川渡れないよとサジェスチョンすると、尻尾を振ってその通りにしたわけだろう。神宮について伏せをしたら、「参拝している」と人間が解釈する。エライエライとなり帰り道も指示してくれる。それで村まで帰ってきた犬が何匹もいたという話である。豚の話はもっと面白い。そもそも広島では犬はいなくて、豚が放し飼いだったという。ゴミ残飯を食べてくれたから有難かったのである。なんで豚がいたのか。西日本では、朝鮮通信使の接待のため豚の飼育が命じられていて、そこから豚が歩き回る状況があったのである。
伊勢神宮自体は、犬に限らず穢れのある畜生の入域は禁じられていた。でも、犬はフェンスがなければどこからでも入ってくる。死んでしまえば「死穢」が発生する。それを避けるためどんな苦闘を繰り返したか。「神宮と犬、千年の葛藤」の章に詳しい。もともと平安時代の初期までは天皇でも鷹狩りをしていた。一番詳しい鷹狩りの書物は嵯峨天皇に時代に作られた。鷹狩りは武家時代の将軍の好みと思い込んでいたのでビックリ。やがて朝廷を細かい「穢れ」の決まりが覆い尽くし、天皇の清浄視、幼少天皇の時代となる。この「穢れ」感は日本の差別と密接な関わりがある。幼少天皇=藤原氏の実権確立と理解されているが、動物との関わりという視角から「天皇の清浄さ」が要請された経緯もあったかもしれない。犬の話から、王権論、差別論までつながっていたのである。
犬のあり方は近代で変わる。外国人の持ち込んだ西洋犬は、家ごとに飼われしつけをされていた。攘夷の武士に襲われると飼い主を守る。そういう犬を「カメ」と日本人は呼んだ。語源は「come here」だそうだ。「来い」と言われたら、ちゃんと飼い主のところに来る犬が新鮮に見えたのだ。こうして「犬の文明開化」が始まる。犬は村共同体で飼うものから、だんだん個々の家で飼うものになっていった。
人間はほんのちょっと前のことも忘れてしまう。特に高度成長、電化で暮らしは大きく変わった。半世紀前頃まで、冷蔵庫や洗濯機もない時代だったのに、その時代にどうやって暮らしていたのか。そういう時代には、チワワやトイ・プードルを飼ってる人はいなくて、柴犬系の雑種みたいな犬があちこちウロウロしていたのである。電車や自動車がある時代には犬も勝手に出歩くことは出来ない。伊勢参りをした犬がいたなどと聞くと、変な話、おかしな話、信じられない話と思い込む。本書にもあるが、これは「計算ができる象ハンス」というドイツの話と同じである。犬に信仰心があるわけがない。でも人間に懐く犬を、誰かが世話してあげれば「代参」くらいしてしまうのである。