木下恵介監督の1953年松竹映画「日本の悲劇」。ベストテン6位。この年は異常な当たり年で小津の「東京物語」が2位、溝口の「雨月物語」が3位だった。どちらも世界映画ベスト50に選ばれた映画である。翌年の「二十四の瞳」以後、木下作品は判りやすくて泣ける感動路線が多くなる。しかし、52年の「カルメン純情す」や53年の「日本の悲劇」は、木下作品の中でも異例なほど社会批判が強い。特にこの「日本の悲劇」はある家族の解体を通して、日本社会を冷徹に見つめている。風刺というレベルをはるかに超え、生きていくのが嫌になるほどだ。実際に望月優子演じる母親はラストで死を選ぶ。
(写真の右が望月優子)
父親は空襲で死に、母親が娘と息子を育てている。母親は熱海で女中をして、娘は小田原で洋裁と英語を習い、息子は東京の大学へ行っている。母親を演じるのは望月優子で、そういう役柄が多かった。子ども思いながらも、うっとうしい親をうまく演じている。「日本のお母さん」という役柄が定着し、後に社会党から参議院議員になった。突然働かざるを得ない女は、闇屋か水商売しかない。闇屋をやっては捕まり、子どもはそれをバカにされ母親が恥かしい。
その後、熱海に行って働き、いつも酒の匂いをさせている。結構男に言い寄られている。子どもからすると、すべて子どもための苦労だと言われると、ありがたいとは思いつつ、恩着せがましい母親がうっとうしい。息子は闇屋の母をバカにされたのに反発して勉強に励み、東京で医学部に行っている。子供のいない医者に養子に来てくれと言われ、本人もそのつもりで移り住んで「お父さん」と呼んでいる。母親は捨てられたのである。
一方、娘は美人に育ち(桂木洋子。SKD出身で、作曲家の黛敏郎夫人)、母は良縁を探すがなかなか見つからない。母がふしだらな女中では嫁の口があるわけないと、娘は自覚している。母親だけがそれを判ってない。英語教室で教師の上原謙に言い寄られ迷惑に思うが、教師の妻に一方的に誹謗され反発する。母親は客の口車に乗って株で損して娘の貯金を充てにするが、娘は英語教師に誘われ岡山に夜逃げする。母親は東京の息子に相談に行くが相手にされず、絶望してしまう。
主要登場人物も、脇役的な人物(英語教師の妻、土地を貸している親戚、母親が勤めている店の客や同輩など)も皆感情移入できない人物ばかりで、「名もなき庶民の美しい心」など微塵もない。現実の日本の中にいる、小心でカネとイロにしか関心がない貧しい庶民ばかり。これが現実であり、主人公ならずとも生きているのが嫌になる。「二十四の瞳」は確かに悲しいが、皆善き人ばかりで、我々も頑張って生きて行こうとポジティブな気持ちが最後に残る。「日本の悲劇」には善き人がいない。あるいは皆少しは善き人で、厳しい現実を生き抜く中でゆとりを失っている。それが現実だろうが、ヒットする映画にはならない。誰しも自分の醜い姿を見せつけられるような映画は見たくない。だから、この映画は大変な傑作にもかかわらず、木下映画の中でも上映の機会が少なく、あまり知られているとは言えない。
(木下恵介監督)
当時のニュース映画がたくさん挿入され、この映画が「時代の証言」として作られたことを示す。貧しさゆえに助け合うのではなく、貧しさゆえにいがみ合う人々。このような映画が当時作られていたということはもっと知られていい。「二十四の瞳」の感動の裏に、このような日本の貧しい現実があったことを。監督は怒りつつも、佐田啓二演じる流しの演歌歌手がうたう「湯の町エレジー」を母親に捧げさせている。母親が親切な人間だったことをよく知っていたのだ。それは子どもに判らない。母親をすべて背負っては子どもはやっていけない。解決法のないまま悲劇に至る姿を映画は静かに見つめる。
伊豆は東京の奥座敷だから、「伊豆の踊子」以来、実にたくさんの映画に登場する。この映画では熱海のロケがある。また母親が列車に飛び込むシーンは湯河原駅。温泉は出てこないが、同年の「東京物語」にもあるように熱海が宴会旅行のメッカだった時代の映画である。近江俊郎が歌い大ヒットした古賀メロディ「湯の町エレジー」がテーマ曲のように流れている。この歌も映画化されているが、東海道新幹線ができるまでは伊豆と言えども結構東京から遠い。そういう時代の映画である。
(写真の右が望月優子)
父親は空襲で死に、母親が娘と息子を育てている。母親は熱海で女中をして、娘は小田原で洋裁と英語を習い、息子は東京の大学へ行っている。母親を演じるのは望月優子で、そういう役柄が多かった。子ども思いながらも、うっとうしい親をうまく演じている。「日本のお母さん」という役柄が定着し、後に社会党から参議院議員になった。突然働かざるを得ない女は、闇屋か水商売しかない。闇屋をやっては捕まり、子どもはそれをバカにされ母親が恥かしい。
その後、熱海に行って働き、いつも酒の匂いをさせている。結構男に言い寄られている。子どもからすると、すべて子どもための苦労だと言われると、ありがたいとは思いつつ、恩着せがましい母親がうっとうしい。息子は闇屋の母をバカにされたのに反発して勉強に励み、東京で医学部に行っている。子供のいない医者に養子に来てくれと言われ、本人もそのつもりで移り住んで「お父さん」と呼んでいる。母親は捨てられたのである。
一方、娘は美人に育ち(桂木洋子。SKD出身で、作曲家の黛敏郎夫人)、母は良縁を探すがなかなか見つからない。母がふしだらな女中では嫁の口があるわけないと、娘は自覚している。母親だけがそれを判ってない。英語教室で教師の上原謙に言い寄られ迷惑に思うが、教師の妻に一方的に誹謗され反発する。母親は客の口車に乗って株で損して娘の貯金を充てにするが、娘は英語教師に誘われ岡山に夜逃げする。母親は東京の息子に相談に行くが相手にされず、絶望してしまう。
主要登場人物も、脇役的な人物(英語教師の妻、土地を貸している親戚、母親が勤めている店の客や同輩など)も皆感情移入できない人物ばかりで、「名もなき庶民の美しい心」など微塵もない。現実の日本の中にいる、小心でカネとイロにしか関心がない貧しい庶民ばかり。これが現実であり、主人公ならずとも生きているのが嫌になる。「二十四の瞳」は確かに悲しいが、皆善き人ばかりで、我々も頑張って生きて行こうとポジティブな気持ちが最後に残る。「日本の悲劇」には善き人がいない。あるいは皆少しは善き人で、厳しい現実を生き抜く中でゆとりを失っている。それが現実だろうが、ヒットする映画にはならない。誰しも自分の醜い姿を見せつけられるような映画は見たくない。だから、この映画は大変な傑作にもかかわらず、木下映画の中でも上映の機会が少なく、あまり知られているとは言えない。
(木下恵介監督)
当時のニュース映画がたくさん挿入され、この映画が「時代の証言」として作られたことを示す。貧しさゆえに助け合うのではなく、貧しさゆえにいがみ合う人々。このような映画が当時作られていたということはもっと知られていい。「二十四の瞳」の感動の裏に、このような日本の貧しい現実があったことを。監督は怒りつつも、佐田啓二演じる流しの演歌歌手がうたう「湯の町エレジー」を母親に捧げさせている。母親が親切な人間だったことをよく知っていたのだ。それは子どもに判らない。母親をすべて背負っては子どもはやっていけない。解決法のないまま悲劇に至る姿を映画は静かに見つめる。
伊豆は東京の奥座敷だから、「伊豆の踊子」以来、実にたくさんの映画に登場する。この映画では熱海のロケがある。また母親が列車に飛び込むシーンは湯河原駅。温泉は出てこないが、同年の「東京物語」にもあるように熱海が宴会旅行のメッカだった時代の映画である。近江俊郎が歌い大ヒットした古賀メロディ「湯の町エレジー」がテーマ曲のように流れている。この歌も映画化されているが、東海道新幹線ができるまでは伊豆と言えども結構東京から遠い。そういう時代の映画である。