「中選挙区」とカッコをつけていたが、はずすことにした。単にブログをパソコンで見るときに、数字だけ次の行になってしまうから。「中選挙区」の定義ははっきりしないので、本当はカッコがいると思う。かつての衆議院選挙は、基本的に3人、4人、5人を選んでいた。昔は参議院に「全国区」というのがあり、一挙に50人を選んでいた。全国を駆け回る必要があるので「残酷区」と呼ばれたりして、86年から「比例代表区」に変わった。それは確かにものすごい「大選挙区」だったから、それより少ない衆議院を「中選挙区」と呼ぶようになったのだと思う。でも都議選にある定数8は中選挙区か大選挙区か、誰にも答えようがないだろう。
歴史的にどうして衆議院が「中選挙区」になったかは別に書くとして、原理的な話を先にすれば、「小選挙区」と「比例代表区」は、有権者の投票行動が議会の構成を直接決定する制度である。「比例代表」の場合、政党ごとの当選者数は有権者の投票割合通りに決まるわけだから、有権者の一票がそのまま生かされる。支持政党が少数の得票しかなくて誰も当選できなかったとしても、誰も恨むわけには行かない。だけど、当選者の顔ぶれは有権者の期待通りでない場合もある。(政党が事前に名簿を作り、その順番で当選が決まる場合など。)だから比例代表は、政党の当選割合を決めるにはいいけど、欠点もあるわけだ。
一方、「小選挙区」の場合は、それぞれの選挙区で得票が一番だった人しか当選できない。その意味では確かに「死票」が多いわけだが、それを「死票」と呼ぶべきだろうか。どんな選挙制度にしても、少数政党の支持者はガッカリする結果になる。それでも比例、または「中選挙区」なら、第2党、第3党、第4党辺りまでは当選する可能性がある。小選挙区では一つの党しか当選しないわけだが、でもどの党が第1党になるかは、開票してみないと判らない。小党の支持者も選挙に行った結果として、得票がより少ない候補が落選するのであって、「死票」というより、「多数を生かすための票」とでも言うべきではないか。(もっとも今は「出口調査」などというものがあり、開票が始まった瞬間に当選確実が出たりするが。)それぞれの選挙区で一番の候補が当選するので、有権者はその候補の当選そのものには文句のつけようがない。だから、その結果として、有権者の一票が議会構成を決めるということも間違ない。(ただし、得票1位の候補が過半数に達しない場合は、1位と2位で決戦投票をすべきだという考えはある。フランスはそういう制度。)
それに対して、「中選挙区」の場合だと、有権者の一票が決めるのは定数内で一人の候補が当選するかどうかしかない。3人区の場合、自分の支持した候補が当選したとしても、残りの2人には責任がない。定数3人の中で、有権者が決めるのは3分の1でしかない。僕が理論的な面で「中選挙区は民意を反映しない」と言ってるのは、この点なのである。
映画でベストテン選びという行事があるが、評論家なんかが10本の映画を選び、1位に推す映画を10点、以下9点、8点…と数えて、10位の作品を1点として集計するというやり方が普通である。映画に完全に合理的な採点をすることはできないだろうが、このやり方で集計した結果が「参加した評論家が選んだ10本」を反映しているのは間違いない。一方、「思い出の映画3本」などという企画を雑誌が行う場合がある。それで上がってきた映画の数を単純に数えて、「思い出の映画ベストテン」などというなら数字的な信用性がない。(単なる「思い出企画」だから目くじらを立てるほどではないが。)もちろん今の場合、「思い出の映画ベスト3」ならいいのである。皆が3つまで選んでいるのなら、集計の信用性があるのは3位までである。評論家に一本の映画を選んでもらったら、「昨年のベスト映画」しか選べない。一本の映画を選んでもらい、その結果でベストテンを作ったら、間違いになってしまうではないか。
この間違いが、つまり「中選挙区」なのである。3人を選ぶというのに、1人にしか投票できないだから、その結果は当然のこととして有権者の多数意思を反映していない。3人を選ぶんだったら、有権者は3票を投じる権利があるはずなのである。これが「理論的に見た場合の中選挙区制の最大の問題点」なのである。ただし、政治家一人一人が「政党ひとり」に所属しているものとみなすと、「中選挙区」でも「政党ひとり」を比例代表制で選んでいるのと同じ結果となる。事実、昔の有権者は自民党ではなく、「福田党」「中曽根党」「小渕党」などに投票しているような意識を持っていた。同じ党の候補どうしで、お互いに負けられないと競っていたのである。
よく学校の生徒会選挙なんかで、会長は1人だから「小選挙区」だけど、副会長は2人なんて言うことがある。今はなかなか立候補が少ないから信任投票しかやらないことが多いかもしれないが、もし副会長に3人が立候補したらどうするか。3人の名前を印刷した投票用紙を配り、その中の2人に○をするようにという選挙をするのではないか。大人の団体の選挙、例えば労働組合の選挙なんかでも同じだろう。副委員長2人に、主流派から2人、反主流派から1人が立つ。有権者は2票入れられるから、結局主流派の候補者が執行部を独占してしまったりする。だから、「中選挙区」の方が「面白い選挙結果」が出ることはある。(前回見た参議院選の結果もそうだろう。与党が票割で失敗して、新党が当選するという「面白い結果」になっている。)しかし、それはそれとして「有権者の投票意思」を全議席に生かすためには、定数分の投票権がなければならないのである。なんで「中選挙区」という選挙制度ができたか、「中選挙区」の方が良かったという人は何をいいと言っているのかなどをもう一回。
歴史的にどうして衆議院が「中選挙区」になったかは別に書くとして、原理的な話を先にすれば、「小選挙区」と「比例代表区」は、有権者の投票行動が議会の構成を直接決定する制度である。「比例代表」の場合、政党ごとの当選者数は有権者の投票割合通りに決まるわけだから、有権者の一票がそのまま生かされる。支持政党が少数の得票しかなくて誰も当選できなかったとしても、誰も恨むわけには行かない。だけど、当選者の顔ぶれは有権者の期待通りでない場合もある。(政党が事前に名簿を作り、その順番で当選が決まる場合など。)だから比例代表は、政党の当選割合を決めるにはいいけど、欠点もあるわけだ。
一方、「小選挙区」の場合は、それぞれの選挙区で得票が一番だった人しか当選できない。その意味では確かに「死票」が多いわけだが、それを「死票」と呼ぶべきだろうか。どんな選挙制度にしても、少数政党の支持者はガッカリする結果になる。それでも比例、または「中選挙区」なら、第2党、第3党、第4党辺りまでは当選する可能性がある。小選挙区では一つの党しか当選しないわけだが、でもどの党が第1党になるかは、開票してみないと判らない。小党の支持者も選挙に行った結果として、得票がより少ない候補が落選するのであって、「死票」というより、「多数を生かすための票」とでも言うべきではないか。(もっとも今は「出口調査」などというものがあり、開票が始まった瞬間に当選確実が出たりするが。)それぞれの選挙区で一番の候補が当選するので、有権者はその候補の当選そのものには文句のつけようがない。だから、その結果として、有権者の一票が議会構成を決めるということも間違ない。(ただし、得票1位の候補が過半数に達しない場合は、1位と2位で決戦投票をすべきだという考えはある。フランスはそういう制度。)
それに対して、「中選挙区」の場合だと、有権者の一票が決めるのは定数内で一人の候補が当選するかどうかしかない。3人区の場合、自分の支持した候補が当選したとしても、残りの2人には責任がない。定数3人の中で、有権者が決めるのは3分の1でしかない。僕が理論的な面で「中選挙区は民意を反映しない」と言ってるのは、この点なのである。
映画でベストテン選びという行事があるが、評論家なんかが10本の映画を選び、1位に推す映画を10点、以下9点、8点…と数えて、10位の作品を1点として集計するというやり方が普通である。映画に完全に合理的な採点をすることはできないだろうが、このやり方で集計した結果が「参加した評論家が選んだ10本」を反映しているのは間違いない。一方、「思い出の映画3本」などという企画を雑誌が行う場合がある。それで上がってきた映画の数を単純に数えて、「思い出の映画ベストテン」などというなら数字的な信用性がない。(単なる「思い出企画」だから目くじらを立てるほどではないが。)もちろん今の場合、「思い出の映画ベスト3」ならいいのである。皆が3つまで選んでいるのなら、集計の信用性があるのは3位までである。評論家に一本の映画を選んでもらったら、「昨年のベスト映画」しか選べない。一本の映画を選んでもらい、その結果でベストテンを作ったら、間違いになってしまうではないか。
この間違いが、つまり「中選挙区」なのである。3人を選ぶというのに、1人にしか投票できないだから、その結果は当然のこととして有権者の多数意思を反映していない。3人を選ぶんだったら、有権者は3票を投じる権利があるはずなのである。これが「理論的に見た場合の中選挙区制の最大の問題点」なのである。ただし、政治家一人一人が「政党ひとり」に所属しているものとみなすと、「中選挙区」でも「政党ひとり」を比例代表制で選んでいるのと同じ結果となる。事実、昔の有権者は自民党ではなく、「福田党」「中曽根党」「小渕党」などに投票しているような意識を持っていた。同じ党の候補どうしで、お互いに負けられないと競っていたのである。
よく学校の生徒会選挙なんかで、会長は1人だから「小選挙区」だけど、副会長は2人なんて言うことがある。今はなかなか立候補が少ないから信任投票しかやらないことが多いかもしれないが、もし副会長に3人が立候補したらどうするか。3人の名前を印刷した投票用紙を配り、その中の2人に○をするようにという選挙をするのではないか。大人の団体の選挙、例えば労働組合の選挙なんかでも同じだろう。副委員長2人に、主流派から2人、反主流派から1人が立つ。有権者は2票入れられるから、結局主流派の候補者が執行部を独占してしまったりする。だから、「中選挙区」の方が「面白い選挙結果」が出ることはある。(前回見た参議院選の結果もそうだろう。与党が票割で失敗して、新党が当選するという「面白い結果」になっている。)しかし、それはそれとして「有権者の投票意思」を全議席に生かすためには、定数分の投票権がなければならないのである。なんで「中選挙区」という選挙制度ができたか、「中選挙区」の方が良かったという人は何をいいと言っているのかなどをもう一回。