尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

民意を反映しない中選挙区制③

2013年06月19日 23時07分11秒 |  〃  (選挙)
 「中選挙区」とカッコをつけていたが、はずすことにした。単にブログをパソコンで見るときに、数字だけ次の行になってしまうから。「中選挙区」の定義ははっきりしないので、本当はカッコがいると思う。かつての衆議院選挙は、基本的に3人、4人、5人を選んでいた。昔は参議院に「全国区」というのがあり、一挙に50人を選んでいた。全国を駆け回る必要があるので「残酷区」と呼ばれたりして、86年から「比例代表区」に変わった。それは確かにものすごい「大選挙区」だったから、それより少ない衆議院を「中選挙区」と呼ぶようになったのだと思う。でも都議選にある定数8は中選挙区か大選挙区か、誰にも答えようがないだろう。

 歴史的にどうして衆議院が「中選挙区」になったかは別に書くとして、原理的な話を先にすれば、「小選挙区」と「比例代表区」は、有権者の投票行動が議会の構成を直接決定する制度である。「比例代表」の場合、政党ごとの当選者数は有権者の投票割合通りに決まるわけだから、有権者の一票がそのまま生かされる。支持政党が少数の得票しかなくて誰も当選できなかったとしても、誰も恨むわけには行かない。だけど、当選者の顔ぶれは有権者の期待通りでない場合もある。(政党が事前に名簿を作り、その順番で当選が決まる場合など。)だから比例代表は、政党の当選割合を決めるにはいいけど、欠点もあるわけだ。

 一方、「小選挙区」の場合は、それぞれの選挙区で得票が一番だった人しか当選できない。その意味では確かに「死票」が多いわけだが、それを「死票」と呼ぶべきだろうか。どんな選挙制度にしても、少数政党の支持者はガッカリする結果になる。それでも比例、または「中選挙区」なら、第2党、第3党、第4党辺りまでは当選する可能性がある。小選挙区では一つの党しか当選しないわけだが、でもどの党が第1党になるかは、開票してみないと判らない。小党の支持者も選挙に行った結果として、得票がより少ない候補が落選するのであって、「死票」というより、「多数を生かすための票」とでも言うべきではないか。(もっとも今は「出口調査」などというものがあり、開票が始まった瞬間に当選確実が出たりするが。)それぞれの選挙区で一番の候補が当選するので、有権者はその候補の当選そのものには文句のつけようがない。だから、その結果として、有権者の一票が議会構成を決めるということも間違ない。(ただし、得票1位の候補が過半数に達しない場合は、1位と2位で決戦投票をすべきだという考えはある。フランスはそういう制度。)

 それに対して、「中選挙区」の場合だと、有権者の一票が決めるのは定数内で一人の候補が当選するかどうかしかない。3人区の場合、自分の支持した候補が当選したとしても、残りの2人には責任がない。定数3人の中で、有権者が決めるのは3分の1でしかない。僕が理論的な面で「中選挙区は民意を反映しない」と言ってるのは、この点なのである。

 映画でベストテン選びという行事があるが、評論家なんかが10本の映画を選び、1位に推す映画を10点、以下9点、8点…と数えて、10位の作品を1点として集計するというやり方が普通である。映画に完全に合理的な採点をすることはできないだろうが、このやり方で集計した結果が「参加した評論家が選んだ10本」を反映しているのは間違いない。一方、「思い出の映画3本」などという企画を雑誌が行う場合がある。それで上がってきた映画の数を単純に数えて、「思い出の映画ベストテン」などというなら数字的な信用性がない。(単なる「思い出企画」だから目くじらを立てるほどではないが。)もちろん今の場合、「思い出の映画ベスト3」ならいいのである。皆が3つまで選んでいるのなら、集計の信用性があるのは3位までである。評論家に一本の映画を選んでもらったら、「昨年のベスト映画」しか選べない。一本の映画を選んでもらい、その結果でベストテンを作ったら、間違いになってしまうではないか。

 この間違いが、つまり「中選挙区」なのである。3人を選ぶというのに、1人にしか投票できないだから、その結果は当然のこととして有権者の多数意思を反映していない。3人を選ぶんだったら、有権者は3票を投じる権利があるはずなのである。これが「理論的に見た場合の中選挙区制の最大の問題点」なのである。ただし、政治家一人一人が「政党ひとり」に所属しているものとみなすと、「中選挙区」でも「政党ひとり」を比例代表制で選んでいるのと同じ結果となる。事実、昔の有権者は自民党ではなく、「福田党」「中曽根党」「小渕党」などに投票しているような意識を持っていた。同じ党の候補どうしで、お互いに負けられないと競っていたのである。

 よく学校の生徒会選挙なんかで、会長は1人だから「小選挙区」だけど、副会長は2人なんて言うことがある。今はなかなか立候補が少ないから信任投票しかやらないことが多いかもしれないが、もし副会長に3人が立候補したらどうするか。3人の名前を印刷した投票用紙を配り、その中の2人に○をするようにという選挙をするのではないか。大人の団体の選挙、例えば労働組合の選挙なんかでも同じだろう。副委員長2人に、主流派から2人、反主流派から1人が立つ。有権者は2票入れられるから、結局主流派の候補者が執行部を独占してしまったりする。だから、「中選挙区」の方が「面白い選挙結果」が出ることはある。(前回見た参議院選の結果もそうだろう。与党が票割で失敗して、新党が当選するという「面白い結果」になっている。)しかし、それはそれとして「有権者の投票意思」を全議席に生かすためには、定数分の投票権がなければならないのである。なんで「中選挙区」という選挙制度ができたか、「中選挙区」の方が良かったという人は何をいいと言っているのかなどをもう一回。
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民意を反映しない中選挙区制②

2013年06月19日 00時41分17秒 |  〃  (選挙)
 「中選挙区」を考える話の続き。僕はこの話を主に国政の問題として書いている。原理的には地方自治体の選挙も同じだけど、じゃあ現在行われている都議会議員選挙には「中選挙区」があるから間違っているという主張はしない。何故かというと2つあって、一つは地方選挙では首長を住民が直接選ぶ「大統領型」になっているということがある。議会構成がどうなろうと、知事や市長は別に選ばれるんだから、強大な権力を持つ首長に対して、議会にはできるだけ多様な勢力がいる方がいいわけである。

 地方議会の選挙も比例代表制にすべきではないかというと、確かにリクツではそうなんだけど、特に町村議会なんかになれば「無所属議員」がとても多い。無所属議員にとっては、比例代表にする意味がない。都議選なんかは、各党が全力を挙げる「首都決戦」になっているが、それでも一人一党的な議員もいるものである。国政選挙が政党間の争いになるのは当然なので、選挙制度の話もそれを前提に書いているけど、もし全立候補者が無所属なんだったら、選挙制度をどうするかという議論は意味がなくなる。

 さて、では国会議員の一番大切な仕事は何だろうか。これをタテマエで答えると間違ってくる。リクツで言えば、国会は国権の最高機関で、三権分立の中の「立法」を担当するから、「法律をつくること」などという答えになる。でも現実には世界中で立法機関より行政機関の方が実質的権力を持っている。「サミット」なる主要国のリーダーが集まる場には、世界の行政のトップしか来ない。皆が知ってる世界のトップは、その国の行政機関の長の名前である。大体、日本人であっても、首相の名は知っていても、衆参両院議長、および最高裁長官の名前を言える人がどれだけ言えるだろうか。日本の行政機関の長、内閣総理大臣は国会が指名する。従って、国会議員選挙というものは、実質的に「首相選挙人」を選ぶ選挙である。国会議員選挙の方法が大切な理由はそこにある。国会議員の選び方は、国民が「どの党に投票したか」=「誰を総理大臣として支持するか」を正確に反映するものでなくてはならない

 では実際にどんな問題があるか。「中選挙区」がある一番最近の選挙である、2010年参院選を見てみる。この時は2009年衆院選で民主党が大勝したものの、普天間基地移設問題などで鳩山由紀夫首相が辞任し、菅直人内閣に替わった直後だった。菅首相の消費税発言などで民主党が敗北し、民主党が参議院の過半数を失い、「衆参のねじれ」が生じた。いろいろな問題もあったけど、地方の一人区(つまり小選挙区)で民主党が負けたことは確かである。だけど、千葉選挙区(定数3人)のような例はどう考えるべきだろうか。
 小西洋之(民主)  535,632 当選
 猪口邦子(自民)  513,772 当選
 水野賢一(みんな) 476,259 当選
 道あゆみ(民主)  463,648 落選
 椎名一保(自民)  395,746 落選
 小西候補の3万5千票を道候補の得票に加えれば、道候補は49万8千票となり、みんなの党水野候補を上回るではないか。自民党も2人立てたが合わせて90万票だから、完全に真っ二つになって2人とも45万票だったら共倒れしていた。千葉選挙区が3人でいいのかという問題もあるが、一応3人で比例代表で選べば、民主100万、自民90万、みんな47万なんだから、民主党が2人当選、自民党が1人当選というのが正しい民意というべきではないか。与党が1人、野党が2人、という結果は明らかに民主党の票が割れた失敗によるものである。(もっとも総野党を合計すれば、野党系2人当選も正しいと言えるが。)

 一方、東京選挙区(定数5人)を見てみる。
 蓮舫(民主)     1,710,734 当選
 竹谷とし子(公明)  806,862 当選
 中川雅治(自民)   711,171 当選
 小川敏夫(民主)   696,672 当選
 松田公太(みんな)  656,029 当選
 小池晃(共産)     552,187 落選
 東海由紀子(自民)  299,343 落選
 この場合の問題は、票割の失敗ではない。自民党は2人立てたが、合わせて100万だからまだ全然支持を回復していなかった。完全に真っ二つになっていたら共倒れしたのも千葉と同じ。問題は蓮舫に票が集中して、蓮舫票を二つに割っても85万以上だから、1位と2位である。つまり民主党は3人当選できる票を集めていたのである。蓮舫個人を支持したのだという人もだろうが、菅内閣の現職閣僚だったので蓮舫票は民主党内閣支持票と見なすしかない。(仮に蓮舫が比例で出ていたら、だいぶ民主党当選者を増やしたのではないか。)千葉も東京も、「みんなの党」が落ちて民主党が当選する方が正しいという話になったが、別に他意はない。単なる一例をあげただけ。こういう風に票が多すぎることによるゆがみも「中選挙区」では起こるという例である。これも東京選挙区を比例代表で選べば、民主が3人になったわけである。

 このような例は、昔の衆議院選挙ではいつも起こっていた。僕も含めて、皆そういうもんだと思っていたのである。選挙に強いとは、「票割がうまい」ということで、そういう選挙のプロがいる党が勝つのは当然だと思っていたわけである。自民党や社会党が共倒れしても、それは仕方ない、その候補者が悪いと思っていたのだけど、あらためて考えてみると、総理大臣を選ぶ時にこれでは困るのではないかと思うようになったのである。中選挙区ではこういうことが起こるという例を挙げた。これを理論的に考えうるとどうなるかという話を次会に。
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