尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

衣笠貞之助監督「地獄門」という映画

2013年06月23日 00時51分46秒 |  〃  (旧作日本映画)
 1953年に作られた衣笠貞之助監督の「地獄門」(大映)という映画。1954年のカンヌ映画祭グランプリ、1955年の米アカデミー賞で外国語映画賞、衣装デザイン賞(和田三造)を受賞した作品である。今ではあまり触れられないが、そもそも日本での評価はもともと低い。1953年のベストテンでは、入選どころか、誰ひとり投票していない。この年は25作品に投票があり、「東京物語」「雨月物語」「煙突の見える場所」「日本の悲劇」「ひめゆりの塔」など日本映画史に残る作品がずらりと並んでいる。それにしても、翌年カンヌでグランプリを取る映画が、一票も得ていないというのは面白い。

 この映画がグランプリに選ばれた最大の理由は、カラー映画の色彩にあった。有名な画家和田三造(国立近代美術館に常設展示されている名作「南風」の画家)が、衣装デザイン(京マチ子の衣装は実に素晴らしい)だけでなく、色彩デザインも担当した。杉山公平のカラー撮影は大変美しい。平安時代末期の時代絵巻的な作品で、欧米の目にはエキゾチズム(異国趣味)と華やかなカラー映像が印象的だったに違いない。初めから永田雅一プロデュ―サーにより「海外に受ける企画」として作られ、その思惑は見事に当たった。永田ひとりが推進した企画だったというが、「永田ラッパ」と呼ばれプロ野球や政治にも関わった企画感覚は確かに鋭かった。

 この映画は昔見てるが、キレイはキレイにしても、年月の経過とともにカラーの褪色が進んでいた。2011年にデジタル・リマスター化され何回か上映されたが、いつも見逃していた。22日にフィルムセンター小劇場で上映されたので、今度は見ようと思い出かけたんだけど…。確かに素晴らしい衣装やセットを、甦ったカラーで堪能したけれど、この話は何だろう、と思った。昔はそれほど感じなかったんだけど、これほどひどいストーカー映画も珍しい。

 原作は、菊地寛原作の「袈裟の良人」という作品である。芥川にも「袈裟と盛遠」(けさともりとお)という作品があるが、少し筋が違うようだ。元々は「源平盛衰記」にある文覚(もんがく)上人の若き日のエピソードだというが、史実とはかなり違うらしい。元北面の武士で俗名遠藤盛遠は、19で出家。その後あちこちで事件を起こし、頼朝や後白河などと知り合い政界の裏で暗躍した人物である。平家物語でも何回も出てくるから、文覚の名に聞き覚えがある人も多いだろう。

 平治の乱の際に、上西門院の身代わりとなって敵を引きつけた「袈裟」(京マチ子)を、警護に活躍した盛遠長谷川一夫)が見そめる。袈裟には、夫渡辺渡山形勲)がいたが、盛遠はあきらめずにひたすら思慕の念を募らせる。功を立て清盛に望みのほうびを聞かれると、袈裟を所望するほど。競馬で渡に勝ったが、祝宴の席で周りがはやして真剣勝負を渡に挑んで不興を買う。だんだん狂気のようになり袈裟の家に押しかけるが、会ってもらえない。袈裟が「叔母の家に行っている」と侍女に伝えさせると、叔母の家に押しかけ脅して袈裟を呼び寄せさせる。

 まあ、最後どうなるかは見てる人の大体の人が予想できるだろう。袈裟は受け入れたふりをして盛遠が夜来るのを待ち、夫を別の場所に寝させて自分が身代わりになって殺される。そういう「歴史の中の悲劇」という風に作られ、初めに見た時(30年くらい前)は「昔は貞女がいた」物語としか思わなかった。武士がマッチョなのは話の前提で、盛遠がムチャをして迫っていっても違和感をあまり感じなかった。それに話そのものも「歴史悲話」として語られていて、今さら個人の責任を追及しても仕方ない「運命の物語」だと受け止めたのである。

 当時はこういう男をストーカーと呼ぶという言葉の発明前だった。今見ると、典型的なストーカーで、本人が迷惑していると家族(親族)のもとに押し掛け、「女を呼べ」と無理強いしている。最近起きている事件では、娘にもう付きまとわないでと言う親や祖父母を、男が「お前らが妨害しているな」と疑念を募らせて襲うというケースで多い。本人だけでなく家族を巻き込むのが嫌な所である。袈裟にも、夫を殺して一緒になろうというので、悪質である。どうしても最近の事件などを思い起こしてしまう。この男は一体何様なんだと思ってしまうのである。

 しかし、盛遠は日本映画界を代表する二枚目俳優だった長谷川一夫である。夫の渡の方は、悪役を演じることが多かった山形勲である。時代劇やミステリー映画で山形勲が出て来れば、大体が犯人とか悪徳役人である。この映画では善人役だが、どうもいつもと違う配役だ。長谷川一夫が主役なんだから、盛遠もそれほど悪い人物ではないと当時は思われていたのか。恋愛という運命に翻弄され、愛する者を自ら手に掛けてしまう悲劇のヒーロー。男の目で見ればそういう判断も出来なくはないけど、勝手に恋慕された側からすれば迷惑きわまりない。

 独身ならまだしも、夫持ちで本人には離縁の意思がないと判った点で、冷静さを取り戻さないと困る。画面はキレイに甦ったものの、こんなストーカー映画だったのかと思った次第。やはり「ストーカー」という言葉ができると、物事の認識が変わってくる。なお、英語題名が最初に出てきて「THE GATE TO HELL」だったかな。マカロニ・ウェスタンみたいな題になるのか。
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