選挙の話を書いてて途中で終わってる。旅行なども入って、ひと月くらいたってしまい、都議選、参院選が目の前になりつつある。都議選は情勢がよく判らないのであまり書く気はない。(地元以外の都議は知らないし、当選定数が選挙区によりバラバラ過ぎて予測不能。世田谷や大田は定数が8人もいて、自民は3人立てるし、各党がそろって立つ。どういう風に票が出るか、特に絶対投票率が下がるので、判らない。前回は54%、前々回は44%。今回は5割は行かないように思う。)
このように「選挙区ごとで選ぶ議員定数が異なる」というのは、1993年まで行われていた「中選挙区」と間違って言われる「大選挙区制」では普通のことだった。当時はそれが当たり前だと思わせられていたのだが、本来はそれはおかしなことである。でもそれは国政選挙の場合であり、地方自治体ではやむを得ないのかなと思う。8人も当選して、国政政党の多くが立てる選挙区では、地方選挙というより国政政党の人気バロメーターを測る選挙になってしまう。東京都議選は、そういう「国政選挙を測る比例代表制」みたいな選挙なのである。この問題はまた次回以後に詳しく書くとして、今回は「選挙とは何か」を考えておきたい。
「選挙の条件」と言えるものがあり、高校の教科書なんかには載ってるはずである。まず日本に関係ないものから書くと、日本の選挙は「義務選挙」ではない。世界には選挙に行くのが義務で、行かないと罰金という国もあるのである。いや、ビックリ。独裁国家かなんかの話ではない。オーストラリアやベルギーが有名で、罰金も厳重らしいけど、病気の場合などどうするのか。具体的な運用はよく判らない。また「直接投票」か「間接投票」かという問題もあるけど、日本では間接投票は「内閣総理大臣」などはそうだけど、議会の議員にはない。アメリカの大統領選は世界で最も有名な間接選挙だろう。日本では直接選挙が当たり前すぎて、間接選挙が憲法違反かどうかは判断する事例がない。例えば、参議院は100名を比例代表選挙で選び、その100名が各界の有力者を例えば100人選ぶという制度にしてもいいのではと僕は個人的には思ったりもする。
日本の関係がある「選挙の条件」は、「普通選挙」「秘密選挙」「平等選挙」である。「秘密選挙」は当たり前すぎるだろう。学校で学級委員の選挙かなんかで、自分の名前も書かせたりしたら、それは選挙ではない。「だれがだれに投票するか」の調査になってしまう。「平等選挙」は、今問題になっている「一票の格差」に直接関係する問題である。だがそれだけではない。住民ごとに選挙するのは問題ないし、国政選挙は国民に投票権を限るのも問題ない。(一方、地方選挙で定住外国人に全く参政権を認めていないのは、主要国では日本だけで、これは問題。)だけど、女性議員を多くするべきだという考えのもと、比例代表区を初めから男性選挙区、女性選挙区に分けたりしたら、これは違憲の可能性が高いのではないだろうか。各政党が女性候補を多数立候補させるのは問題ないけれど。(あるいは「拘束名簿型比例代表制」で、ある党では性別を半々にしたりするのは問題ない。)
さて、問題は「普通選挙」。「普通」とは何だろうというと、歴史的に「財産に関係なく、全員に参政権があること」である。投票権だけあっても、立候補権(被選挙権)がなくてはダメである。歴史的は日本も含め大体の国では、「財産のある男性」から選挙権が認められ、財産制限のない男性普通選挙が先に実現し、その後で女性選挙権が実現する。性別制限解禁の方があとになるのは、歴史的段階として「財産のある女性にも選挙権を認める」というルールを作っても意味がない社会だったからだろう。家父長制度のもと、女性の財産権そのものが制限されていた。夫が死んで妻が戸主となり多額の税金を払っているというような家族はほとんど考えられないということだろう。(夫が死んで残った家族が貧困に落ちたということは一杯あるだろうけど。また女性が賃金労働者や芸術家などで自活していたということも最初は少ない。)
日本では、普通選挙の実現まで、長い長い要求運動があった。その結果、明治時代より何回か段階的に財産の額(直接国税の納税額)が引き下げられた。完全に無くなったのは、1924年の第2次護憲運動を受けた、1925年の加藤高明内閣による選挙法改正である。もっともこの時に、普通選挙で左翼運動が盛んになることを恐れて、治安維持法も出来ている。1928年に最初の普通選挙。ここでは無産政党(社会主義政党)が数名当選した。しかし、ほとんどは当時の2大政党、政友会と民政党の当選者である。投票率は80%程度。女性選挙権は取り残され、市川房枝を中心とした「婦選獲得同盟」が強力な運動をすすめ、満州事変以前には衆議院を通過したことまである。しかし実現したのは。敗戦後の1945年12月の選挙法改正。第1回は1946年4月で、女性の投票率は66%で男性より10%ほど低かった。この時は39人の女性議員が当選し、その時より女性が多いのは2005年と2009年の2回しかない。
ところで、世の中では「財産のあるものの投票権の方が多い」という決め方も存在する。個人加盟の組織では、投票方法は違っても一人一票であるのが原則である。でも法人である株式会社の株主総会では、「一株一票性」であり、財産のあるものが多くの株を持ち、半数以上の株を持っていれば経営権を握れることになる。株を上場している会社だけでなく、もちろん未公開の会社でも同じ。だから、「AKB総選挙」と言ってるものは、実は選挙ではなく、株主総会である。一人一票ではないのだから。初めから「AKB株主総会」と命名して、ファン同士で株を売買できる仕組みを取り入れていたら、どうだったろうか。その方が面白いような気がするけど。
大相撲の親方株なんかもある程度似ている。歴史的に形成されている一門ごとに、所属する親方が誰に入れるか決まっている。一応、財団法人として理事選挙を行い、立候補して親方が一人一票で投票する。仕組みは近代的なんだけど、実は前から結果は決まってる。時に反逆する動きが出ることもあるが、選挙ではなくて株主総会に近いというべきだろう。
このように「選挙区ごとで選ぶ議員定数が異なる」というのは、1993年まで行われていた「中選挙区」と間違って言われる「大選挙区制」では普通のことだった。当時はそれが当たり前だと思わせられていたのだが、本来はそれはおかしなことである。でもそれは国政選挙の場合であり、地方自治体ではやむを得ないのかなと思う。8人も当選して、国政政党の多くが立てる選挙区では、地方選挙というより国政政党の人気バロメーターを測る選挙になってしまう。東京都議選は、そういう「国政選挙を測る比例代表制」みたいな選挙なのである。この問題はまた次回以後に詳しく書くとして、今回は「選挙とは何か」を考えておきたい。
「選挙の条件」と言えるものがあり、高校の教科書なんかには載ってるはずである。まず日本に関係ないものから書くと、日本の選挙は「義務選挙」ではない。世界には選挙に行くのが義務で、行かないと罰金という国もあるのである。いや、ビックリ。独裁国家かなんかの話ではない。オーストラリアやベルギーが有名で、罰金も厳重らしいけど、病気の場合などどうするのか。具体的な運用はよく判らない。また「直接投票」か「間接投票」かという問題もあるけど、日本では間接投票は「内閣総理大臣」などはそうだけど、議会の議員にはない。アメリカの大統領選は世界で最も有名な間接選挙だろう。日本では直接選挙が当たり前すぎて、間接選挙が憲法違反かどうかは判断する事例がない。例えば、参議院は100名を比例代表選挙で選び、その100名が各界の有力者を例えば100人選ぶという制度にしてもいいのではと僕は個人的には思ったりもする。
日本の関係がある「選挙の条件」は、「普通選挙」「秘密選挙」「平等選挙」である。「秘密選挙」は当たり前すぎるだろう。学校で学級委員の選挙かなんかで、自分の名前も書かせたりしたら、それは選挙ではない。「だれがだれに投票するか」の調査になってしまう。「平等選挙」は、今問題になっている「一票の格差」に直接関係する問題である。だがそれだけではない。住民ごとに選挙するのは問題ないし、国政選挙は国民に投票権を限るのも問題ない。(一方、地方選挙で定住外国人に全く参政権を認めていないのは、主要国では日本だけで、これは問題。)だけど、女性議員を多くするべきだという考えのもと、比例代表区を初めから男性選挙区、女性選挙区に分けたりしたら、これは違憲の可能性が高いのではないだろうか。各政党が女性候補を多数立候補させるのは問題ないけれど。(あるいは「拘束名簿型比例代表制」で、ある党では性別を半々にしたりするのは問題ない。)
さて、問題は「普通選挙」。「普通」とは何だろうというと、歴史的に「財産に関係なく、全員に参政権があること」である。投票権だけあっても、立候補権(被選挙権)がなくてはダメである。歴史的は日本も含め大体の国では、「財産のある男性」から選挙権が認められ、財産制限のない男性普通選挙が先に実現し、その後で女性選挙権が実現する。性別制限解禁の方があとになるのは、歴史的段階として「財産のある女性にも選挙権を認める」というルールを作っても意味がない社会だったからだろう。家父長制度のもと、女性の財産権そのものが制限されていた。夫が死んで妻が戸主となり多額の税金を払っているというような家族はほとんど考えられないということだろう。(夫が死んで残った家族が貧困に落ちたということは一杯あるだろうけど。また女性が賃金労働者や芸術家などで自活していたということも最初は少ない。)
日本では、普通選挙の実現まで、長い長い要求運動があった。その結果、明治時代より何回か段階的に財産の額(直接国税の納税額)が引き下げられた。完全に無くなったのは、1924年の第2次護憲運動を受けた、1925年の加藤高明内閣による選挙法改正である。もっともこの時に、普通選挙で左翼運動が盛んになることを恐れて、治安維持法も出来ている。1928年に最初の普通選挙。ここでは無産政党(社会主義政党)が数名当選した。しかし、ほとんどは当時の2大政党、政友会と民政党の当選者である。投票率は80%程度。女性選挙権は取り残され、市川房枝を中心とした「婦選獲得同盟」が強力な運動をすすめ、満州事変以前には衆議院を通過したことまである。しかし実現したのは。敗戦後の1945年12月の選挙法改正。第1回は1946年4月で、女性の投票率は66%で男性より10%ほど低かった。この時は39人の女性議員が当選し、その時より女性が多いのは2005年と2009年の2回しかない。
ところで、世の中では「財産のあるものの投票権の方が多い」という決め方も存在する。個人加盟の組織では、投票方法は違っても一人一票であるのが原則である。でも法人である株式会社の株主総会では、「一株一票性」であり、財産のあるものが多くの株を持ち、半数以上の株を持っていれば経営権を握れることになる。株を上場している会社だけでなく、もちろん未公開の会社でも同じ。だから、「AKB総選挙」と言ってるものは、実は選挙ではなく、株主総会である。一人一票ではないのだから。初めから「AKB株主総会」と命名して、ファン同士で株を売買できる仕組みを取り入れていたら、どうだったろうか。その方が面白いような気がするけど。
大相撲の親方株なんかもある程度似ている。歴史的に形成されている一門ごとに、所属する親方が誰に入れるか決まっている。一応、財団法人として理事選挙を行い、立候補して親方が一人一票で投票する。仕組みは近代的なんだけど、実は前から結果は決まってる。時に反逆する動きが出ることもあるが、選挙ではなくて株主総会に近いというべきだろう。