尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

民意を反映しない中選挙区制④

2013年06月20日 23時05分03秒 |  〃  (選挙)
 前回までの話で、「中選挙区」制度は、有権者が当選者の決定に部分的にしか関与できないという原理的な問題があるということを書いた。それでも世の中には「中選挙区の方が良かった」という人がかなりいるようである。それは「中選挙区」という制度が、「疑似比例代表制度」とでも言うべき制度であり、また「人を選ぶ」という選挙制度だったからだと思う。

 定数が5人もあれば、大政党は2人以上を立てないと過半数を取れない。かつては自民党だけで5人全員を独占するような選挙区もあった。しかし、都市部では多党化が進行して、自民、社会の他に、公明、共産、民社というかつての主要な5政党が勢ぞろいして当選するような選挙区もあった。この結果は、「ほとんど比例代表制」である。しかし、地方では自民党の有力者が長く議席を当選し、社会党は複数立てても共倒れするので候補を絞らざるを得なかった。社会党、公明党、民社党で「非自民政権を目指す」などと言っていた時もあるが、この3党の全候補者がすべて当選したとしても、衆議院の過半数にはならなかった。選挙する前から、自民党政権の継続が約束されていた時代だったのである。そういう時代の選挙制度の方が良かったという人が僕には理解できない。

 しかし、この制度には「隠された意味」があった。それは社会党などの野党勢力が3分の1以上は当選できたということである。つまり、「絶対に過半数は取れない」が、「ほぼ確実に3分の1は取れる」という制度だったのである。日本全部で130程度の選挙区があったが、地方の選挙区でも役所や学校はあるわけだし、大工場なんかも少しはあるものである。そういう労働組合票が選挙区レベルでまとまれば、社会党の1人くらいは当選できることが多い。だから都市部で公明党や共産党が当選できるところも加えると、野党勢力が200程度は取れるわけである。(衆議院の総定数は一番多い時は512議席。)そのため「改憲を党是とする」自民党といえども、憲法改正を実現することの無理は判っていた。だから、憲法の条文はそのままに、解釈の方を変えていく「解釈改憲」を進めてきたわけである。そのことの是非は議論があると思うが、とにかく「中選挙区が明文改憲を阻止してきた」または「中選挙区が解釈改憲を促進してきた」という事実はあるわけである。

 もう一つ、中選挙区は同じ党の候補がぶつかるので「政党より候補者を選ぶ」という特性があった。これは国会が首相を指名するという制度の下では、考えてみればおかしなことである。が、見方を変えれば、有権者にとっても「選択メニューが多い方が面白い」という面があるのは間違いない。(例えば都議選の世田谷選挙区=定数8では、自民(3)、民主(2)、維新(2)、公明(2)、みんな、共産、社民に加え、地域政党の「生活者ネットワーク」の現職、「行革110番」の元職と14人もそろっている。1票しか投票できないのでは困ってしまうぐらいである。)

 かつての国政選挙では、有名な「群馬3区」(定数4人)があった。中選挙区になった1947年選挙で中曽根康弘が当選し、1952年に福田赳夫が当選した。この両者が自民党の有力議員に成長する中で、1963年に小渕恵三が当選した。社会党は一番勢力が強かった1950年代に2人当選した時代もあったが、後には山口鶴男しか当選できないようになった。驚くべきことに、1967年から1986年まで、8回もの衆議院選挙で、この4人のみが当選し続けた。福田(赳夫)と中曽根が首相になる中、小渕は「ビルの谷間のラーメン屋」と自嘲したが、その小渕も1998年に橋本龍太郎の後で首相を務めた。山口鶴男も土井たか子委員長時代に社会党書記長を務めた人物で、群馬3区は有力政治家を一番輩出した選挙区といえるだろう。ここまで有名人がそろうと、もう他の人が食い込めない。興味は順番争いだけとなる。トップ当選回数を比べれば、福田赳夫10回、中曽根5回、小渕1回、福田康夫1回、他1回である。 

 はっきり言って、選挙するまでもなく当選が約束されている政治家がいたのが「中選挙区」である。メンツにかけてトップ当選を目指すというのなら別だが、4人か5人の中に入ればいいんだったら大体当選できる。大臣を務めたような有力政治家には、なかなか「美味しい制度」だったのである。だから、まあ失言が少しあったって(時には汚職事件で逮捕起訴されたって)、自分の親の代から支持していたというような地盤を固めれば何とか最下位には滑り込める。小選挙区だと選挙区の全有権者を意識していないといけないが、中選挙区だと「自分を毎回支持してくれる固い支持者」だけを意識していればいい。その固い支持者が離れない限り、浮動票は逃げて行っても最下位当選が見えてくるわけである。

 2005年の「郵政解散」では「小泉チルドレン」なる自民党新人議員が誕生し、2009年には彼らはほとんど落選して民主党新人に代わり、2012年の総選挙でまたまた民主党議員が大勢落選し、自民党に替わった。これでは政治家としての経験が積めて行かない、政治家の幅が小さくなってしまう、昔の自民党にはもっと幅があったという人もいる、確かに昔の自民党には、極右というべき政治家からリベラルで知られる政治家までがいて、お互いに争いながら一党の中で切磋琢磨していたという面はある。でも、そういう政治家がいた理由が、「有力政治家は中選挙区ではほとんど落選しないので、有権者にこびるポピュリズムにならなかった」というのはどうだろう。毎回当選を約束され緊張感が足りなくなり、汚職やスキャンダルが絶えなかったという面も中選挙区にはあるはずだ。自民、民主、自民と3回続けて、比例区の下位の方で当選できると思っていなかったのに党の勢いが良くて当選できてしまった、というような議員が大量に出た。これは確かに問題だと思うけど、これは「小選挙区比例代表並立制」の問題というべきではないのか。

 選挙の歴史を振り返る余裕がなくなったので、この問題でもう一回書きたいが、日本では「候補者の名前を書く」という選挙が続いてきた。だから、日本の有権者は、多くの候補の中から候補者の名前を選ぶ選挙になれているし、議員その人を直接選ぶ権利があると思っている。党の名前とかシンボルカラーだけ選んで、誰が議員になれるかは政党におまかせ、という選挙には「NO!」というだろう。中選挙区の中のいい面を残し、中選挙区の弊害の面をなくし、同時に一票の格差をなくし、直接議員の名前を書く。こういう制度があれば一番いいのではないかと思うけど…。
コメント (1)
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