尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「無欲の人 熊谷守一物語」

2013年06月25日 23時40分38秒 | 演劇
 劇団民藝の「無欲の人 熊谷守一物語」を見た。新宿の紀伊國屋サザンシアター。7月2日まで。

 熊谷守一(くまがい・もりかず)という画家については、池袋西口散歩を書いた時に取り上げた。池袋から地下鉄有楽町線で一駅、要町から少し住宅街のなかへ入ったところに熊谷守一美術館がある。ここは熊谷守一が晩年にずっと住んでいて、亡くなる前の30年は一歩も出なかったという場所にある。次女の画家・熊谷榧(かや)さんが館長を務め、今は豊島区立の施設になっている。

 戯曲を書いた相良敦子という人は、主にテレビで活躍してきた脚本家で、最近ではNHKの「ウェルかめ」「シングルマザーズ」などがある。初の戯曲だということだが、もともと池袋近くの出身で、美術館ができた時から知っていたらしい。しばらく離れていて、病気で仕事を休んでいた時に再訪し、新たな目で見られるようになったという。そこで取材を重ね、劇にしたわけである。

 劇の楽しみというのはいくつかあるが、作家の世界観の表現を味わったり、役者の演技のすごさを感じたりするということが大きい。でも、この劇は割と淡々とした評伝劇で、俳優も有名な人は出ていない。劇作家も役者も知名度が少ないが、モデルの画家は知られている。知らない人も多いだろうが、この劇の焦点はモデルとなった画家の生き方そのものにある。だから劇としては、奇をてらった展開とか設定はどこにもない。というか、画家として期待されながら一向に絵を描こうとしない若き日の熊谷自身が、相当珍しい人物像だということだろう。

 そんな熊谷を友人が支える。特に信時潔という作曲家が懸命に支えることになる。この人は、戦時中に学徒出陣のときなどに使われた「海ゆかば」の作曲家である。その他大きな業績を残した人らしいが、結局は「海ゆかば」の人として歴史に名前を残すことになった。音楽学校の教員だった信時はいつも収入がない熊谷を支えていた。戦後のことだが、熊谷の長男が信時の娘と結婚している。戦時中は信時がもてはやされるが、熊谷にも時局にあった絵の注文がくる。しかし、時勢に合わせることができない熊谷はそれを断ってしまう。

 40歳を超えて結婚した熊谷は、子どもを失う悲劇も経験する。その時の絵「ヤキバノカエリ」という絵がある。そして晩年は一歩も庭を出ず、虫を観察し虫の絵を描いた。絵は下手でいいと言い、人間よりも虫を愛し、時勢におもねらず、自分の人生を生きた人。子どもたちにも「モリ」と言わせて、文化勲章も断り、無欲の人として97年の生涯を生きた。エコロジーなどという言葉もない時代の人だが、自然の中で行き、決して偉くなろうとなどしなかった熊谷守一という人が、経済優先、グローバリズムが叫ばれる時代に何と新鮮なことか。だから、この劇は熊谷守一という画家を紹介していくだけのような劇なんだけど、とても面白い。モデルの面白さで見せる劇というものもあるわけである。
(熊谷守一美術館の壁)
コメント
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