尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

帝国崩壊の長い影-第一次世界大戦100年②

2014年07月05日 00時07分21秒 |  〃 (歴史・地理)
 第一次世界大戦ではドイツ、オーストリア、オスマン、ロシアの4大帝国が崩壊した。勝利したものの「大英帝国」の全盛期も終わり、アメリカの時代が始まる。こうした出来事は「現代史」に大きな影を落としている。「帝国」とは、皇帝がいる国、あるいはレーニンの定義ではなく、「諸民族を統合する一大勢力圏を形成する国家」として考えている。

 ロシアの場合を考えると、確かにロマノフ帝政は崩壊したが、事実上ソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦)「帝国秩序」を継承した。ウクライナの独立は達成されず、グルジア、アルメニア、中央アジア諸国もソ連邦に組み込まれた。さらに中華民国から「外モンゴル」を事実上のソ連衛星国にした。バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)などのように戦間期(第一次大戦と第二次大戦の間)に独立を達成した国もあったが、第二次大戦中にソ連に強制的に編入された。真の「ロシア帝国の崩壊」は1991年だったのである。その後、ウクライナやグルジアでの混乱、あるいは中央アジア諸国の独裁や内戦は、「帝国崩壊」後の秩序再編成期が続いていることを示している。

 アメリカや中国では、いまだ「帝国秩序」が崩壊していない。いずれは「辺境の反乱」を契機に帝国秩序が揺らいでいくのは間違いない。長い目で歴史を考える時には、ロシアの事例が大きな参考になる。(なお、ロシアからソ連になる時に、ロシア連邦内に組み込まれた地域は、チェチェンのようにまだ「帝国」内部にあって、かく乱要因となっている。)アメリカの場合は、かつては南北アメリカ全体が合衆国の事実上の勢力圏だった。キューバ革命を先駆けとして、今やラテンアメリカの相当の国が「反米国」になったが、「アメリカ帝国の揺らぎ」と考えるべきだろう。

 「大英帝国による現代史の悪夢の種」はどう考えるべきか。現在、シリアからイラクにかけて「イスラーム主義」に基づく「イスラーム国」が「建国」されたと伝えられる。驚くべきことに「カリフ」(イスラーム国家の最高指導者)を称している。これでは大昔のイスラーム帝国の再来で、イラク、シリアを本格的に制圧して、他の国にも攻めていくのだろうか。この「カリフ」はスンニ派とシーア派で考え方が異なるが、スンニ派のカリフはオスマン帝国の崩壊とともにいなくなった。イギリスは反オスマン帝国のため「アラブの独立」を支援するが、それが映画「アラビアのロレンス」の背景にある史実である。

 しかし戦後になっても、イギリスやフランスはアラブに独立を与えなかった。シリア、レバノンはフランスの委任統治イラク、パレスティナはイギリスの委任統治とされた。イギリスはヘジャーズ王国のフサインに戦後の独立を約束し、フサインの長男ファイサル(映画ではアレック・ギネス)はロレンスと協力して軍事行動を起こしダマスカスに入城した。しかし、イギリスはフランス、ロシアと組んでオスマン帝国領を三分割する「サイクス・ピコ協定」を結び、同時にユダヤ人大資本家の協力を得るため戦後のパレスティナにおけるユダヤ国家建設を支援すると表明した。このイギリスの「三枚舌」外交がパレスティナ問題の原因だとよく指摘される。
(サイクス・ピコ協定)
 アラブの民族主義の高まりから、やがて英仏は独立を与えるようになり、先のファイサルがイラク国王とされた。弟アブドラがヨルダン国王とされた。本来メッカの首長だったハシム家は、こうしてイラクとヨルダンの王家として存続した。(1958年の革命でイラクの王政は終わったが、ヨルダンの王政は続いている。)メッカのあるアラビア半島は、厳格なイスラーム主義を奉じるワッハーブ主義と結んだサウード家が勢力を伸ばし、1932年にサウジアラビアが建国された。「満州国」と同年である。
(イブン・サウード)
 この地域の現在の混乱が、すべてイギリスの原因とは言えない。アメリカ、ソ連などの責任もあるし、アラブ人自らの責任も大きい。こうして見てくると、「オスマン帝国の崩壊」の後始末が100年経ってもついていないという厳然たる事実が見えてくる。また、英国のインド支配では、インド、パキスタン(バングラディシュ)と「宗教別国家」に分かれて独立した。「大英帝国」の歴史的責任は大きい。

 第一次世界大戦後のヨーロッパでは定着した「民族自決」と「国際協調主義」が、現在も定着していない地域が全世界にいっぱいある。100年経っても、第一次世界大戦が突き付けた問題、いわば「世界大戦の時代」が完全には終わっていないのである。それは日本の周辺の状況にも言える。思い出すのは石橋湛山が同時代の日本で主張していた「小日本主義」である。朝鮮に独立を与えよ、植民地は放棄せよという「同時代には全く受け入れられなかった考え」は、第二次世界大戦で負けた後では、常識といえる考えになった。無理な異民族統治は、政治的な対立を生むだけでなく、経済的にも釣り合わなず、自国民の道徳心に悪影響を与えるだけなのである。

 「現実的な知恵」が、今の日本の指導者にも、中国やロシアの指導者にも必要だ。第一次世界大戦から100年経っても未解決の問題があることを思えば、「大日本帝国崩壊後の諸問題」が70年ほどで完全解決するはずもないわけだろう。
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