尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

偏奇館の跡-荷風散歩④

2014年07月25日 22時58分13秒 | 東京関東散歩
 永井荷風が1920年から1945年まで住んだ麻布市兵衛町(現・六本木1丁目)の「偏奇館」の跡を見たいと思って、過日出かけてみた。もう東京は猛暑で散歩どころではなくなってしまったけれど、一週間ぐらい前まではまだ「梅雨」だった。雨は多いが、大雨より曇天の方が多く、何しろ夏至の時期だから、夕方も明るい。けっこう梅雨どきは散歩日和だなあと思ったことだった。

 この「偏奇館」は東京大空襲で焼失し、荷風の長年に亘る蔵書類なども灰塵に帰した。かの「断腸亭日乗」だけは本人が持ち出して、その後知人を通して疎開させてあったので現在に伝わったのである。その後、そこに跡地を示すプレートが建っていたことは知っているが、行ったことがなかった。ところで、今回知ったのだが、その一帯は大開発され「泉ガーデンタワー」という巨大施設になってしまい、偏奇館跡のプレートも移動された。そのガーデンタワーの一角に碑があるということだったけど、詳しいことは知らないまま出かけた。その「泉ガーデンタワー」は東京メトロ南北線六本木一丁目駅に直結していると出ていた。南北線というのは、いつもは全く乗らない路線で多分数回目だと思うけど、ある日出かけてみて、探し回った。ウロウロしてしまったけど、結局裏の駐車場側に見つかった。高速道路側ではなく、泉屋博古館分館に向かう方である。最後の写真は泉ガーデンタワーの正面。
   
 「偏奇館」というのは、「偏った」「奇人」の館というにふさわしい名前だけど、もともとは荷風が建てたのではなく、坂の途中にあった洋館を買ったものである。ペンキを新たに塗って改装して転居したので「ペンキ」にかけて名付けたもの。生地は文京区小石川、その後親が建てた邸宅は新宿区大久保余丁町と「山の手」だった。その後、築地や木挽町(東銀座)などに住んだこともある。勤め先(慶應)にも近く、遊び場所(待合)にも近く、医者にも通院しやすい。そのうえ、若い時に書いているものも「下町情緒」みたいな話が多く、下町に住んでみたかったのである。でも実際に住んでみると、人間関係がうっとうしい、近所がうるさい、静かに本が読めない(日比谷公園まで逃げていって読書している)ということで、下町を逃げ出すことにしたのである。他にも見たけど、結局麻布の坂の家に決めた。当時は繁華街には遠く、郊外とまでは言えないがかなり外れに近い。(当時も麻布区で東京市内だけど、渋谷は豊多摩郡だった時代だから、「東京市の外れ」なのである。)

 川本三郎「荷風と東京」97頁に当時の地図が載っているが、それをみると偏奇館のすぐそばが住友の屋敷である。ガーデンタワーの頭にある「泉」というのは、もともとは住友の屋号だそうで、この一帯は住友の地所だったのである。今もガーデンタワーの最上階は「住友会館」と書いてある。近くに「泉屋博古館別館」という美術館があるが、そこも住友所蔵品の美術館だった。ということで、住友不動産が大規模開発を計画して20世紀末に計画が進み、2002年に工事が完了したのである。それによって偏奇館があった坂そのものが無くなってしまった。偏奇館の跡地はタワー内のどこかのエスカレーターかなんかがあるところ。空襲は屋敷は焼いても地形をここまで変えることはない。六本木一帯は巨大開発により、もともとの地形は全く影も形もなくなり「土地の記憶」も無くなったところが多い。

 もともと住友の隣にスペイン公使館があり、それは今も変わらずスペイン大使館となっている。偏奇館に至る坂道もほとんど無くなったわけだけど、裏の方にある「道源寺」とその下にある「西光寺」は残っている。その道が「道源寺坂」で、荷風のいたころを多少ともしのばせるのは、その坂道ぐらいだろう。もっともこの道も舗装され歩きやすくなっているわけだが。
    
 磯田和一「東京遊歩東京乱歩 文士の居た町を歩く」(河出)という10年前に出た絵入りの本があるが、そこには以前の偏奇館跡地のプレート近辺の絵が載せられている。でも、本が出た時点でガーデンタワーは完成していたはずだから、もっと前に見てきたものだろう。荷風は土地もその後買っていたのだが、戦後はその場所に家を再建せず、千葉県市川市に住んで浅草に通った。土地は売ってしまったので、もう跡地には他の家が建っていた。絵をみるとアパートかなんかのようである。でも一帯は坂道の中に家が立ち並んだ地区だった。昔は市電(都電)かバスしか足がなかった地域だけど、今は少し歩けば地下鉄が何本も通っている。時代が違うと言えば、もう他の言葉もいらないようなもんだけど、今は高速道路と超高層ビルの町である。この「発展」は喜ぶべきか。僕には悲しいだけだ。
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