尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

銀座四丁目周辺-銀座散歩①

2014年07月15日 22時47分16秒 | 東京関東散歩
 日本橋から京橋まで散歩記を書いたから、次は「銀座散歩」の番である。だけど、初めは銀座を散歩するつもりはなかった。銀座は大きな店が多くて、買いもしないのに散歩しても面白くないのではないか。外国高級ブランド店ばかり集中して、昔のような「銀ブラ」の時代でもないだろうと思っていた。世に銀座通、銀座ファンは多くて、僕のように銀座になじみがない人間が語りにくい地域だとも思っていたのである。でも、歩いてみると結構面白いし、今まで書いた場所も別になじみではない。むしろあまり知らない場所を書くから面白いわけで、銀座をブラブラしてみることにした。

 最近京橋のフィルムセンターで昼と夜の2回連続して映画を見る機会が多く、間が2時間ぐらいあると銀座歩きにちょうどいいと知った。でも、僕には昔から銀座の地理がよく飲み込めない。基本的には縦横に区切られた「十字街」をしているわけだけど、そういう京都や札幌みたいな街が東京には少ない。(東京では、駅を中心に東口、西口、または北口、南口などがあり、放射状に広がって行くというような構造になっている街が多い。新宿、渋谷、池袋、上野など皆そう。)それに路面電車が撤去されて以来、銀座の地名がある場所には地下鉄しかない。地下鉄には様々な路線と出口があって、地上での位置関係がすぐには飲み込めない。だんだん飲み込めてきたけれど、判りやすいはずの縦横の区切りが僕にはちょっとラビリンスだった。

 銀座の書き方はいっぱいあると思うけど、やはり「銀座の中心」である「四丁目交差点」を最初に取り上げるべきだろう。昔は「尾張町交差点」と言ったらしいが、僕にはそれは「本で読んだ知識」である。今でも「尾張町」「木挽町」(こびきちょう=東銀座の歌舞伎座あたり)などと使いたいという人もいるけれど、荷風の日記を読むときには必要な知識だけど、僕にはそれほどのこだわりはない。交差点だから四つ角なわけだけど、一番有名なものは和光、つまり昔の服部時計店の時計堂だろう。
    
 最初の時計塔は1894年に出来たが、建て替え計画中に震災があり、今の時計塔は1932年に完成したという。経産省指定「近代化産業遺産」だというが、まさに銀座のシンボル、いつまでも残されて欲しい。映画にはよく出てきて、銀座で出会う日活青春映画では必ず出てくるが、日活のスタジオには銀座の大セットがあったという。「ゴジラ」(第1作)では破壊されてしまうが、和光は激怒して東宝に抗議、東宝は「日劇も破壊されている」となだめたが、東宝映画には2年間情景の使用を認めなかったと出ている。この時計塔の存在は、東京の代表的な風景で、いつまでも残って欲しいものだ、で、和光って何のお店だ。服部(セイコー)系列の高級ブランドショップだけど、中に入ったことがない。

 銀座をタテに貫通する中央通り、ヨコに貫通する晴海通りだけど、和光から見て中央通りの向かいは三越銀座店、晴海通りの向かいは三愛ドリームセンターである。では、対角線側は?「サッポロ銀座ビル」というのだけど、今は再開発中。写真を検索しても、大体が和光と三越を撮っている。三愛ビルは、1963年に出来て有名なものだったらしいが、今は似たような建物があっちこっちにあって印象が弱い。むしろ、隣にある鳩居堂(きゅうきょどう)の印象が強い。京都で昔からある店だというが、1880年に銀座に出張所を置いた。もともとは香や薬種の店だというけど、和紙工芸品や便箋・封筒など和風のものがいっぱいあり、外国人客が大勢来ている。ここが土地の路線価で日本一の年が多いことでも有名で、一度は見ておきたいお店だろう。その隣あたりに竹葉亭(ちくようてい)という鰻屋があり、ここは荷風も愛好した昔からの店である。
     
 僕が割りあい行っているのは和光から中央通りで並んでいる店である。まず隣があんぱん創始者の木村屋。1870年に尾張町に店を出し(創立は1869年)、1874年にあんぱんを、1900年にジャムパンを考案した。東京にはいろんな地方から人が来て、いろいろな店があるので「ソウルフード」的な食べ物は少ないのだけど、「木村屋のあんぱん」というのは有名度から言って誰もが一度ぐらい食べてるような名物だと思う。久しぶりに今度食べたけど、イチジクパンが美味しかった。あんぱんは定番的な味。土日は店外にパンを並べて売っている。2階、3階にカフェとレストランがある。その隣が「山野楽器」で、僕がCDやDVDを一番買ってる店だけど、最近は行かなくなってしまった。1892年創業という古い店だが、今のビルは普通だから写真は撮らなかった。さらに隣がミキモト真珠店。御木本幸吉が成功した養殖真珠を売るために、1899年に銀座に創設した。日本を代表する高級ブランドで、店の前に「真珠王の碑」が建っている。上の方にホールがあり、催し物を見るために入ったことはあるが、ジーパン姿で売り場を通るのはちょっと勇気がいる経験だった。
    
 一つ置いて、もう5丁目の角にあるのが「教文館」で、銀座唯一の平場の書店としていつも賑わっている。そんなに大きくないけど、銀座に関する本なども集まっている。しかし、表を見るだけでは普通の書店だが、ここは単なる本屋ではない。本来はキリスト教書店で、日本のキリスト教の歴史において大きな役割を担ってきた場所である。今は村岡花子が教文館の編集部で働いていて、戦時中に同僚から「赤毛のアン」の原書を贈られた「花子とアン」の生まれた現場として有名になった。14日まで9階のウェンライトホールで展覧会をやっていたが、大好評により7月25日から9月7日まで、3階で無料の展覧会を開くという。9階の方は90歳になった藤城清治の展覧会が25日から。3階のキリスト教書店では、ここで村岡花子が働いていたと白いテープが貼られていた。上の方のホールやカフェ、キリスト教書店などは、裏の方からエレベーター、または階段で行く。この階段がまたちょっと古めかしくていい。6階は児童書の店「ナルニア国」、4階にキリスト教グッズ店「エインカレム」、3階にキリスト教書店がある。キリスト教の本なんか関係ないとか、他の本屋やネットで買えばいいと言わず、一度はここを見てみるべきだ。この本もあるのか、あの本もキリスト教に関係あるのかと知る。僕にとって教文館という場所は上の方こそ役に立つ本屋なのである。
   
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