ここ数日読みふけっていたのが、フィリップ・ロスの「プロット・アゲンスト・アメリカ」(柴田元幸訳、集英社)。本文だけで480頁あって、じっくり読み応えがあって、けっこう手こずったんだけど、途中からドキドキしてきた。何だか見たことのあるような世界に思えてきたのである。

フィリップ・ロス(1933~)は、毎年のようにノーベル賞受賞が噂にのぼるというか、なんでまだ受賞していないのか理解できないというべきだろうが、現代アメリカを代表する作家のひとりである。いろいろな作品があって、日本でもずいぶん翻訳されている。僕も読んでる本もあるけど、今回の「プロット・アゲンスト・アメリカ」(“The Plot Against America”)は2004年に出た、今のところ最新のロスの翻訳。2011年から2012年にかけて「すばる」に連載され、2014年8月に単行本として出版された。そういう本があるという話はどこかで聞いていて、刊行後すぐに買ったんだけど、あまり書評も出なかった。確かに日本では少し縁遠い作品かも知れないが、非常に力強い、思いのこもった小説である。
ここに出てくるのは、1940年ころのフィリップ・ロス一家である。自分フィリップ(7歳)、父ハーマン、母、兄サンディという自分の家族の歴史である。では、自伝かというと、全く違う。1940年のアメリカで、実際に起こったフランクリン・ルーズヴェルト大統領のアメリカ史上唯一の大統領3選ではなく、共和党から出たチャールズ・リンドバーグが当選していたという架空の歴史をつづる「歴史改編もの」なのである。リンドバーグというのは、あの1927年に大西洋単独無着陸飛行をなしとげた「翼よ!あれがパリの灯だ」の英雄である。1932年に子どもが誘拐され死体が発見されるという事件が起き、その後ヨーロッパに赴く。そこでナチス・ドイツを訪れ、勲章を授けられた。帰国後も、反ユダヤ人、親ナチス的な言動が物議を醸していたのは、紛れもない事実である。ルーズヴェルトの対抗馬に窮した共和党がリンドバーグを担ぎ出すと言うのは、全くあり得ない出来事は言えない。妙にリアルな設定なのである。
リンドバーグは、ヨーロッパで始まっていた第二次世界大戦に参戦しないことを公約し、「リンドバーグか、戦争か」を争点にして、大勝利する。と言っても、現実の歴史では日本こそが1941年12月に米英軍を奇襲攻撃しちゃうじゃないかというかもしれないが、そこはそれ、うまく変えている。リンドバーグは当選直後に、アイスランドでヒトラーと会談して欧州への不介入を約束。直後に日本ともホノルルで近衛首相、松岡外相と会談、アメリカは日本の「大東亜共栄圏」を承認することで、太平洋の平和が実現するのである。ナチスを支持するわけではなく、アメリカを戦争に巻き込まないのが目的であり、反ユダヤ人ではない。もちろん最初はそういうことで始まるのである。ところが、家族で行ったワシントン旅行で度重なる嫌な体験。だんだん、世の中が変わっていき、大っぴらにリンドバーグを批判できない、ユダヤ人であることを隠さねばならないようなムードが作られてくる…。
その具体的なエピソードはこれから読む人の楽しみにために詳しく触れないが、心に沁みてくるのは「家族がだんだん壊れてくること」である。そして、それはまだ10歳にもならないフィリップ少年の視点で描かれているのだ。だから理解が不十分で、何が起こっているのかよく判らないという怖さが増幅される。自分なりに未熟ながら家族と自分を思ってしたことが、後になると全くのトンチンカン、そして自分の周りの人々を傷つけてしまうことさえある。カナダ軍に入ってドイツと戦うといういとこもいれば、リンドバーグ政権に協力するラビ(ユダヤ教の司祭)と結婚して急に羽振りのよくなる叔母(母の妹)もいる。そのラビらは、アメリカ同化局なる新組織でユダヤ人少年をアメリカ文化に触れさせる仕事を行い、兄のサンディはケンタッキーの農村を手伝いに行って、変ってしまう。まるで中国の文革期の「下放」である。こうして、だんだん社会が変わっていくわけである。
父が勤める保険会社(メトロポリタン生命保険=実際に父が長年勤務していた会社)も政権に協力して「ユダヤ人同化政策」=「転勤命令」(ユダヤ人がほとんどいない地域に転勤させる)を出す。父はひそかにカナダ移住を考え始めるが…。そこに反ナチス、反リンドバーグを売り物にしていたラジオの報道パーソナリティ、ウォルター・ウィンチェル(実在人物)が番組を降ろされ、大統領選を目指す運動中に暗殺されるという事件が起き…全米に反ユダヤの暴動が起きて…。主人公一族とアメリカの運命はいかなる道筋をたどるのか?と思うと、アッと驚く展開が最後の最後に待っていて…。
これを読んで思ったのは、フィリップ・ロスの巧みな小説構成術に導かれ、まさに「ありえたかもしれない」歴史の中をさまよってしまうという読書体験の凄さ。それは単に小説というにとどまらず、実際に「父の一本気」と「母の強さと気高さ」を十分に見て、受け継いできて、実際の父母ならこうするだろうというリアルさが生半可ではないということである。そして、もちろん「被圧迫民族」としてのユダヤ人には「歴史の中で見えるもの」があるということなんだと思う。当時はイスラエルという国はなかった。だから、アメリカに移住したユダヤ人にとっては、イタリア系やアイルランド系やポーランド系などの移民が祖国との絆を固く持ち続けるのとは違って、ヨーロッパの大虐殺(ポグロム)を逃れるようにしてアメリカに来たという記憶しかないのである。アメリカこそが祖国であり、アメリカへの帰属意識が一番高いのに、常に「ユダヤの陰謀」などと言われ「反アメリカ」と決めつけられる。そういう存在としてのユダヤ系アメリカ人の不条理が胸にせまるのである。
これを読んで、まさに「今の日本ではないか」と思ってしまう。思わぬ人がいつのまにか「あっち側」に行ってしまう。逆らう人は干されてしまい、誰も見て見ぬふりをするようになる。「そんなに心配することはない」と政権のやり方を擁護する人が出てくる。そうやって、いつのまにか「言ってはいけないこと」「してはならないこと」が何となく決められていく。社会のムードがそういう風になっていって、いつの間にか「自分の居場所」がないことに気づく。僕にはそれは「既視感」(デジャヴ)の世界だった。21世紀の東京の学校で、日々進行して行った出来事とそれはよく似ている。いくら言っても何も変わらず、いつの間にか誰も言わなくなり、逆らった人はいつの間にか消えていく。そういう静かな恐怖が全篇に満ちていて、これはアメリカのユダヤ人だけの問題ではないと思わせる傑作だった。これをきっかけに、フィリップ・ロスをまとめて読んでみたいと思う。とびとびに何回か。

フィリップ・ロス(1933~)は、毎年のようにノーベル賞受賞が噂にのぼるというか、なんでまだ受賞していないのか理解できないというべきだろうが、現代アメリカを代表する作家のひとりである。いろいろな作品があって、日本でもずいぶん翻訳されている。僕も読んでる本もあるけど、今回の「プロット・アゲンスト・アメリカ」(“The Plot Against America”)は2004年に出た、今のところ最新のロスの翻訳。2011年から2012年にかけて「すばる」に連載され、2014年8月に単行本として出版された。そういう本があるという話はどこかで聞いていて、刊行後すぐに買ったんだけど、あまり書評も出なかった。確かに日本では少し縁遠い作品かも知れないが、非常に力強い、思いのこもった小説である。
ここに出てくるのは、1940年ころのフィリップ・ロス一家である。自分フィリップ(7歳)、父ハーマン、母、兄サンディという自分の家族の歴史である。では、自伝かというと、全く違う。1940年のアメリカで、実際に起こったフランクリン・ルーズヴェルト大統領のアメリカ史上唯一の大統領3選ではなく、共和党から出たチャールズ・リンドバーグが当選していたという架空の歴史をつづる「歴史改編もの」なのである。リンドバーグというのは、あの1927年に大西洋単独無着陸飛行をなしとげた「翼よ!あれがパリの灯だ」の英雄である。1932年に子どもが誘拐され死体が発見されるという事件が起き、その後ヨーロッパに赴く。そこでナチス・ドイツを訪れ、勲章を授けられた。帰国後も、反ユダヤ人、親ナチス的な言動が物議を醸していたのは、紛れもない事実である。ルーズヴェルトの対抗馬に窮した共和党がリンドバーグを担ぎ出すと言うのは、全くあり得ない出来事は言えない。妙にリアルな設定なのである。
リンドバーグは、ヨーロッパで始まっていた第二次世界大戦に参戦しないことを公約し、「リンドバーグか、戦争か」を争点にして、大勝利する。と言っても、現実の歴史では日本こそが1941年12月に米英軍を奇襲攻撃しちゃうじゃないかというかもしれないが、そこはそれ、うまく変えている。リンドバーグは当選直後に、アイスランドでヒトラーと会談して欧州への不介入を約束。直後に日本ともホノルルで近衛首相、松岡外相と会談、アメリカは日本の「大東亜共栄圏」を承認することで、太平洋の平和が実現するのである。ナチスを支持するわけではなく、アメリカを戦争に巻き込まないのが目的であり、反ユダヤ人ではない。もちろん最初はそういうことで始まるのである。ところが、家族で行ったワシントン旅行で度重なる嫌な体験。だんだん、世の中が変わっていき、大っぴらにリンドバーグを批判できない、ユダヤ人であることを隠さねばならないようなムードが作られてくる…。
その具体的なエピソードはこれから読む人の楽しみにために詳しく触れないが、心に沁みてくるのは「家族がだんだん壊れてくること」である。そして、それはまだ10歳にもならないフィリップ少年の視点で描かれているのだ。だから理解が不十分で、何が起こっているのかよく判らないという怖さが増幅される。自分なりに未熟ながら家族と自分を思ってしたことが、後になると全くのトンチンカン、そして自分の周りの人々を傷つけてしまうことさえある。カナダ軍に入ってドイツと戦うといういとこもいれば、リンドバーグ政権に協力するラビ(ユダヤ教の司祭)と結婚して急に羽振りのよくなる叔母(母の妹)もいる。そのラビらは、アメリカ同化局なる新組織でユダヤ人少年をアメリカ文化に触れさせる仕事を行い、兄のサンディはケンタッキーの農村を手伝いに行って、変ってしまう。まるで中国の文革期の「下放」である。こうして、だんだん社会が変わっていくわけである。
父が勤める保険会社(メトロポリタン生命保険=実際に父が長年勤務していた会社)も政権に協力して「ユダヤ人同化政策」=「転勤命令」(ユダヤ人がほとんどいない地域に転勤させる)を出す。父はひそかにカナダ移住を考え始めるが…。そこに反ナチス、反リンドバーグを売り物にしていたラジオの報道パーソナリティ、ウォルター・ウィンチェル(実在人物)が番組を降ろされ、大統領選を目指す運動中に暗殺されるという事件が起き…全米に反ユダヤの暴動が起きて…。主人公一族とアメリカの運命はいかなる道筋をたどるのか?と思うと、アッと驚く展開が最後の最後に待っていて…。
これを読んで思ったのは、フィリップ・ロスの巧みな小説構成術に導かれ、まさに「ありえたかもしれない」歴史の中をさまよってしまうという読書体験の凄さ。それは単に小説というにとどまらず、実際に「父の一本気」と「母の強さと気高さ」を十分に見て、受け継いできて、実際の父母ならこうするだろうというリアルさが生半可ではないということである。そして、もちろん「被圧迫民族」としてのユダヤ人には「歴史の中で見えるもの」があるということなんだと思う。当時はイスラエルという国はなかった。だから、アメリカに移住したユダヤ人にとっては、イタリア系やアイルランド系やポーランド系などの移民が祖国との絆を固く持ち続けるのとは違って、ヨーロッパの大虐殺(ポグロム)を逃れるようにしてアメリカに来たという記憶しかないのである。アメリカこそが祖国であり、アメリカへの帰属意識が一番高いのに、常に「ユダヤの陰謀」などと言われ「反アメリカ」と決めつけられる。そういう存在としてのユダヤ系アメリカ人の不条理が胸にせまるのである。
これを読んで、まさに「今の日本ではないか」と思ってしまう。思わぬ人がいつのまにか「あっち側」に行ってしまう。逆らう人は干されてしまい、誰も見て見ぬふりをするようになる。「そんなに心配することはない」と政権のやり方を擁護する人が出てくる。そうやって、いつのまにか「言ってはいけないこと」「してはならないこと」が何となく決められていく。社会のムードがそういう風になっていって、いつの間にか「自分の居場所」がないことに気づく。僕にはそれは「既視感」(デジャヴ)の世界だった。21世紀の東京の学校で、日々進行して行った出来事とそれはよく似ている。いくら言っても何も変わらず、いつの間にか誰も言わなくなり、逆らった人はいつの間にか消えていく。そういう静かな恐怖が全篇に満ちていて、これはアメリカのユダヤ人だけの問題ではないと思わせる傑作だった。これをきっかけに、フィリップ・ロスをまとめて読んでみたいと思う。とびとびに何回か。