尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「父の遺産」-フィリップ・ロスを読む②

2015年05月08日 23時33分54秒 | 〃 (外国文学)
 フィリップ・ロスの「父の遺産」(柴田元幸訳)は、1991年に刊行され、1993年に日本で翻訳された。ずっとそのままだったけど、なぜか2009年に集英社文庫に入った。僕が買ったのはそれで、そのままになっていたけれど、数回前に書いた「プロット・アゲンスト・アメリカ」を読む前に、こっちから読んでみた。非常に感動的な本で、一応「ノンフィクション・ノヴェル」といったカテゴリーになるかと思う。自分及び自分の家族が出てくる話で、小説ではなくて「すべて事実」の記録なのかもしれないが、そう断ってあるわけではない。書いてあることがすべて事実かどうかは検証できない。まあ、読む方は「世界的に有名な作家」の父親をめぐる回想記だと思って読むだろうし、それでいいと思う。でも、後に(2004年)「プロット・アゲンスト・アメリカ」が書かれた今となっては、「同じ登場人物の実際の後日譚」ということになる。「プロット・アゲンスト・アメリカ」ではリンドバーグが大統領に当選するなど明らかな歴史改編があるわけだが、著者の両親の暮らしぶり、考え方などは事実だと思われるから、「父の遺産」に出てきたあの両親は、このように生きていたのか。若き日はこんな様子だったのかと、「前日譚」なのである。

 著者の両親は、母親が先に亡くなった。小津「東京物語」のように、家族の想定外というか、どっちかというとアメリカでも「やっぱりそれで大丈夫だろうか」と思われる事態になったのである。母の死が1981年で、その後10年近く、父親のハーマンは「驚異的に元気」に生きてきた。他の女性からのアプローチもあって、結局は「同じ建物の上の階」に住んでいるリル(リリアン)という女性とパートナーになる。結婚という形は取らず、フロリダに冬に行くときは一緒に行って暮らすといった間柄らしい。「プロット…」に出てくる大手生命保険会社メトロポリタン生命で、高校も出ていないユダヤ人という立場ながら、重要な営業所を任されるまでの活躍をして、年金などは一応恵まれている。もっとも、会社にも複雑な思いもあり、ユダヤ人差別がないわけではないらしい。またユダヤ人が多かったニューアーク(ニュージャージー州だが、ニューヨークのすぐそばの衛星都市)に住み、転勤は断ってきた。大学を出た息子たちと違い、現実と格闘しながら生きてきた「移民二世」である。その親子関係も興味深く書かれている。

 そんな父親が86歳になり、フロリダで顔面麻痺に襲われる。検査の結果、脳しゅようが見つかり、手術を勧められるが…。父は高齢で、10時間近い手術に耐えられるだろうか。成功率は高いようだが、その結果として「しゅようという原因」は取り除かれたとしても、全体的な体力低下を乗り切れるんだろうか。といった問題が父親と著者に訪れるわけである。こういう経過が延々とつづられた「親の病気」もので、日本にもそういう小説、手記、映画などは山のようにあるわけだが、アメリカ在住のユダヤ人という立場ではどうなるか。と言っても、当たり前だが、洋の東西を問わず、「老い」をめぐるあれこれの悩みは共通なんだなあとつくづく実感させられる。様々な登場人物の点描も印象的で、「プロット・アゲンスト・アメリカ」とは違う意味で、読後の満足感がある本だった。柴田元幸訳だから、もちろん非常に判りやすい名訳。文学というか、やはり親の介護、看護などに悩む人に読まれるべき本かなと思う。

 なお、当時のフィリップはクレア・ブルームと結婚していて、英国女優のクレアとはロンドンとニューヨークを行ったり来たりの生活。クレアとは後に離婚するが、この本では所々で「クレア」が出てくる。一体どんな人かというと、チャップリンの「ライムライト」でチャップリン演じる道化師に助けられ、チャップリンを愛するようになってしまう、あの女の子なのである。「英国王のスピーチ」ではジョージ6世の母親だった。いやあ、フィリップ・ロスと結婚していた時があるのかという感じ。
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