尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

我孫子・白樺派と手賀沼散歩

2015年05月06日 23時49分52秒 | 東京関東散歩
 今年の大型連休は、少し例外はあるけれど、ほぼ全国的に毎日晴れ渡った。東京も毎日快晴で暑いくらいの日が続く。今日は映画に行く気だったんだけど、空を見たら気持ちが変わった。実は数日前にも大田区の洗足池に行ったんだけど、これは勝海舟関係の散歩でまとめたいので、今日行った千葉県の我孫子(あびこ)の散歩からまとめたい。我孫子なんて言っても、全国的にはほとんど知られていないだろう。常磐線あるいは地下鉄千代田線を利用するから、幼き頃より名前だけは知ってるけど、行くのは初めてである。ここは明治末から大正時代は、大いに栄えた別荘地白樺派はじめ多くの文人にゆかりの地と気付いたのは最近のことで、一度は行きたいと思っていたのである。

 常磐線北千住駅から快速で22分、松戸、柏の次ではないか。こんなに近いのか。ちょっとびっくり。駅前に案内所があるように思ったんだけど、見つからない。帰りに見ると駅から少し離れたところに「アビシルベ」という案内所があった。でも、南口に案内版と地図があるので(一番最後に写真を載せておく)、それを見れば大体判った。(「アビシルベ」の場所もよく見れば地図に載っていた。)駅から真っ直ぐ直進すると手賀沼公園だけど、途中に杉村楚人冠記念館があるので、まず最初にそこに行こう、そうすれば地図も手に入るだろうと思ったら、その通りになった。
   
 杉村楚人冠(1872~1945)なんて言っても今では普通知らないだろう。僕もそういう人がいたという程度しか判らない。東京朝日の名物記者で国際派ジャーナリスト、名随筆家にして俳人、作家としても知られ、戦前は非常に有名な人物だった。全集も残されているが、今では読む人もまずいない。楚人冠は1912年に別荘を設け、震災後の1924年には一家で移住した。我孫子では俳句結社を作ったり、ゴルフクラブ開設に協力し、自身が創刊した「アサヒグラフ」で手賀沼風景を紹介するなど、我孫子の大恩人である。庭も広く、崖下まで広がって面白い。屋敷内より庭の方がいいかもしれない。
   
 少し離れたところに「楚人冠公園」があり、句碑がある。昔はその辺りまで別荘だったらしく、相当広いし、手賀沼も見えたんだろう。今は家も立ち並び、木も生い茂って水辺感は感じられないが。俳句は「筑波見ゆ 冬晴れの 洪いなる空に」というものである。結構広い空地が広がる公園。
  
 そこからしばらく迷いながら、嘉納治五郎別荘跡三樹荘跡を先に見る。白樺文学館に真っ直ぐ行ってもいいけれど、帰りだと疲れているかもと思ったのである。嘉納治五郎(1860~1938)は柔道家、教育者として著名だが、単に柔道だけでなく大日本体育協会(今の体協の前身)を設立し会長となり、IOC委員ともなった「日本スポーツの父」である。1911年に我孫子に別荘を構え、姉の子である柳宗悦も真向かいに別荘を建てた。日本の「民芸の父」と言われる人である。ここには声楽家の妻・柳兼子とともに住み、そこから白樺派の文人が我孫子に来るようになったというわけである。嘉納別荘は今は跡地しかなく、柳別荘「三樹荘」は今は別人の手に渡り非公開。(下の最後の写真)
   
 ここで目の前が手賀沼公園なので、ちょっと疲れたし、一休み。遊覧船やボートでも出ていて、子連れも多く、なかなか流行っていた。「ミニSL」が運行していると出ていたけど、SLではなく新幹線型の電車だった。なんだ。釣りしている人もいる。化学的酸素要求量(COD)が同じ千葉県の印旛沼に続き全国2位ということで、水質汚濁が問題になる沼だけど、まあ見た目は普通。ヘラブナなど釣った魚は未だ原発事故の影響で持ち帰り禁止になっている。
  
 そこから少し歩いて白樺文学館へ。楚人冠記念館で「3館共通券」を買ったので、行かないといけない。案内版はあちこちに設置してあり、案外わかりやすい。道は左に崖、右に沼方向(見えないが)で、「ハケの道」と出ている。ハケとは関東で「崖」のこと。崖に沿って地下水が湧出することが多い。文学館の真ん前が志賀直哉邸跡なので、ここから。今は書斎しか残っていないが、パネルの説明がていねい。ここで「和解」「城崎にて」「小僧の神様」、そして「暗夜行路」が書かれたのだ。えっ、という感じである。読んでるんだから、解説かなんかで我孫子にいたと書いてあったはずである。でも、我孫子時代の産物だとは忘れている。志賀直哉の作品で、子どもが病気になった時の焦燥感を読んで、ずいぶん辺鄙な所に引っ込んでいたんだなと思った記憶はある。今はこんなにすぐ行けて、文学館もある。
   
 白樺文学館は中が撮れないから、チラシを載せておく。今は「原田京平」という人の展示をしている。誰も知らないと思うけど、志賀直哉が去った後に志賀邸の留守を守っていた人で、山本鼎(民衆画運動をした人)に師事した画家にして、窪田空穂門人の歌人という人。妻と二人の女子も画家だったということで、40歳で死んだためほとんど知られていないが、そういう人もいたのである。ここには柳兼子のピアノも寄贈され音楽会もあるというし、地下の音楽室では兼子の声楽を聴ける。
   
 さて、さらに「ハケの道」を進む。「滝井孝作仮寓跡」というのがある。もはやほとんど知られていないかもしれない「無限抱擁」の作家、滝井孝作が一時ここに住んでいたという。そこはなんと古墳である。というか、まあ古墳の近くだけど、説明としては古墳と言ってもいい。我孫子は古墳が多い。近くの道の写真も載せておく。
  
 少し行くと、「村川別荘」というのがある。ここは無料だから見ておくか。「村川堅固」(けんご)という人は知らないが。と思って行ったら、村川堅固は東大の西洋史の学者で、同じく東大の古代西洋史家だった村川堅太郎が受け継いだとある。古代ギリシャ・ローマ史の村川堅太郎なら、もちろん知っている。ここでゼミ合宿なんかもしたらしい。崖の上に母屋と新館があり、庭もキレイ、手賀沼も見えて、ここは飛ばさずに是非行くべきところだと思った。1991年に村川堅太郎が死去、国に物納されたが、我孫子市が買い取り公開されている。建築も貴重らしいけど、よく判らない。
   
 さて、そこからひたすら歩いて、沼のほとりへ。信号を渡り、「水の館」が見えてくると、3館共通券のもう一つ、「鳥の博物館」がある。いや、もう疲れてちゃんと見る気も起きなくて、ざっと見ただけだが、鳥そのものと手賀沼にいる鳥を手際よく展示している。こっちの方が興味深いという人も多いだろう。実は今回知ったのだが、この博物館の真裏あたりに、名前だけは知ってた有名な「山階鳥類研究所」(下の写真2枚目)があるのである。もちろん、見られません。そこから手賀沼親水広場へ出て、形も面白い「水の館」(下の写真3枚目)」があるが時間が遅くてパスして、沼沿いに手賀沼公園まで1キロ強を歩く。ここは陽射しを遮るものがないから真夏と真冬は厳しいだろうが、今のような季節のいい時期には素晴らしい散歩コースである。水辺の真横とはいかないが、ずっと沼を見ながら歩ける。
   
 手賀沼公園から先に行くと、武者小路実篤邸があるというが、けっこう距離がありそうなうえ、非公開なのでパスした。一路まっすぐ行けば我孫子駅。案外近い。半日地度の文学散歩として格好のコースではないかと思う。チェーン店で良ければ、随所に店もある。最後に駅前を。
   
コメント
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