尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

小山清を読む

2015年11月11日 22時46分05秒 | 本 (日本文学)
 小山清(1911~1965)という作家がいた。1965年に亡くなっているので、今年が没後50年である。今年が没後50年に当たる作家はかなりいて、有名なのは谷崎潤一郎江戸川乱歩。この二人は名前ぐらい、誰でも知っているだろう。他に戦前から活躍した高見順。戦時中の「敗戦日記」が貴重な他、「いやな感じ」という大傑作がある。晩年には近代日本文学館の建設に尽くした。また、戦後派の代表作家の一人、梅崎春生。(遺作の「幻化」は素晴らしい。)交通事故死した若き才能、山川方夫。あるいは、「銀の匙」の中勘助が80歳で亡くなっている。ところで、この話は僕のオリジナルではなくて、東京新聞夕刊のコラム「大波小波」に出ていたのだが、その中で小山清も忘れてはいけないとあった。
 
 他の人は何かしら読んでいるのに、「小山清? who?」という感じである。まあ、名前ぐらい聞いたことがあるような気がするが、どんな人だか全く知らない。と思ったら、探しているわけでもないのに、本屋をブラブラしている時に、「ちくま文庫」の棚に「落穂拾い 犬の生活」という本があった。突然目に入ってきたのである。まるで探していたかのように。2013年刊行だから、割と新しい本だけど、出た時は全然気づかなかった。帯に「『ビブリア古書道の事件手帳』三上延推薦!」と銘打っている。ということで、何となく流れで買ってしまい、何となく読み始めてしまった。

 いやあ、正直言って難渋した。一週間ぐらいかかった。今まで本について書いた時は、読むといいよという推薦だったんだけど、これは読まなくてもいいと思う。先に挙げた他の作家を先に読んで欲しい。別に文章や世界観が難しいわけではない。だけど、時代が違ってしまい、こういう昔風の「私小説」は付いていけない感じがする。読んでても面白くならないから、全然進まないのである。じゃあ、書かなくてもいいじゃないかと言われるかもしれないけど、参考になることもあるし、こういう人生もあったのかと紹介したい気もする。

 小山清は吉原の中で生まれて育ったという人である。生家は貸座敷業者だったけど、父は盲目で家業を継げず、義太夫の師匠として生きていた。環境としては非常に特殊だろう。府立三中、明治学院中等部卒業ではあるが、高校、大学へは行けなかった。学業向きではない。キリスト教や文学に関心を持つも、なかなか大成しない。挙句に、藤村の世話でペンクラブに就職したが、公金使いこみで刑務所行きとなった。ということがウィキペディアに出ているが、詳細は知らない。だけど、獄中を扱った作品もあるから間違いない。その後、新聞配達をしたり、戦後には北海道の夕張炭鉱まで働きに行っている。下積みの苦労をたっぷりと味わうが、この人の場合自分にも問題があると思う。

 1940年に太宰治の門人となり、太宰が疎開した時は留守宅に住み込んで守った。1952年に18歳年下の妻と結婚し子どもも出来たが、1958年に病気で失語症となる。妻が働きながら生活保護で暮らすが、1962年に妻は自殺。1965年3月に心不全で死亡、53歳。と晩年は悲惨そのもので、作品も少ないが、結婚した当時、つまり1950年代初頭には一時期安定した作家生活があった。その当時、芥川賞候補に4回なっているが、受賞は出来なかった。その当時に書いた「清純な私小説」に趣があると評されるが、古い感じは否めない。

 特に最初の2編、「わが師への書」と「聖アンデルセン」を読んだときには、その文章が感傷的で長たらしいうえ、変に主観的な思いこみのような世界に正直ウンザリした。全然知らずに読み始めて、後悔もした。「聖アンデルセン」という小説は、結構名前は知られているが、あの童話作家のアンデルセンのひとり語りの世界なんだけど、「清純」に満ちた世界にビックリした。これは参ったという感じである。その後の「落穂拾い」「夕張の宿」などになって、多少面白くなり、さらに「朴歯の下駄」「安い頭」「桜林」になると、吉原あたりの子ども時代の話や新聞配達の話になり、がぜん面白くなる。「たけくらべ」の何十年か後の世界を知ることができる。子どもだからお祭りの楽しさとかが中心だが。また、近くの三ノ輪あたりで新聞配達をするのだが、当時配達人に朝鮮人が多かったとか、興味深い事実が出ている。

 以上が第一作品集「落穂拾い」(1953)の全作品で、第二作品集「小さな町」(1954)は抜かして、続く第三作品集「犬の生活」(1955)の全作品が後半に収録されている。最初の作品「犬の生活」は犬好きには非常に気持ちがよく判る名品で、なかなかいい。その後は自分の生活や人生を扱う短編が続く。名前はいちいちもう挙げないが、「西隣塾記」が証言としては貴重。「大菩薩峠」の作家、中里介山が開いた青年塾、「西隣塾」に入った時の記録。でも、この作品や「生い立ちの記」「前途なお」「遁走」などを読むと、この人の性格の弱さが気になって仕方なくなる。獄中記である「その人」なども同じで、作家になじみを感じると同時に、「鼻に付く」というか、同じような失敗が多すぎ。最後の「メフィスト」は、太宰の留守宅を訪れた客に太宰のふりをするという、この作者には珍しいシャレた趣向と思いつつ次第に悪趣味感が強くなる。

 この2つの短編集を読んだ限りでは、どうにもやりきれない自己を抱えた「小作家」という感じで、大きな感じが全然しない。だけど、そこが「ちっぽけな人間」をそのまま映し出しているとも言える。だから面白いとも、だからつまらないとも言える。また、生まれ育った東京の各地を、昭和の戦前、戦中、戦後に渡って描き続けたことが、今になって貴重な記録になった面もある。特にお勧めはしないけれど、二度と他からは出ない文庫本だとは思う。レアものを読んでみたい人には、こういう作家もいましたという紹介である。
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