中公新書の竹内正浩(1963~)著「地図と愉しむ東京歴史散歩 お屋敷のすべて扁」は非常に面白くて役に立った。中公新書で出た竹内さんの東京歴史散歩は4冊目。「地図と愉しむ東京歴史散歩」から始まり、「都心の謎扁」「地形扁」に続く第4弾である。まだ読んでない人は、これまでの本から読んだ方がいい。関心を持てたら続いて読むのがいい。東京近辺の人が歴史散歩のガイドに使えるが、「江戸」が首都となったために、「近代史」の諸相を東京の街並みに解読する「愉しみ」も味わえる。

4冊目の「お屋敷のすべて」扁は、地図や付録の表が非常に多い。何しろ華族の住所録付きである。明治20年と大正5年の華族住所録を載せて、今どうなっているかまで調べた大変な労作である。今の「常識」では「お金持ち」は東京の西の方に多い。だが、江戸時代の大名に遡ると、東京の東側、隅田川の周辺が案外多かったのだという。「水の問題」があったからである。当時のお屋敷に必須の「池泉回遊式」の大庭園を造るには、水道の普及していない時代では川のそばに作るしかない。
今に残るのは、江東区の清澄庭園、墨田区の安田庭園などだが、今の隅田公園(隅田川に沿って浅草から向島まで公園が続き、桜の名所になっている)も、水戸藩の下屋敷だった。ただし、洪水になると被害が大きく、特に足尾鉱毒事件を有名にした1890年の大洪水で水辺の庭園も大きな被害を受けた。当時はコレラなどの疫病も多かったから、下町の水辺=不潔で非衛生的というイメージになる。関東大震災で倒壊、焼失後は東京の東側に「お屋敷」は再建されなかった。
お屋敷は当時の地名で言えば「麹町区」(今の千代田区)や東京拡大以前の千駄ヶ谷などに移っていく。それらは震災、戦災で焼失したり、戦後の華族廃止、財閥解体などで売りに出されたりして、今はほとんど残っていない。この本に多く収録されている写真でしのぶしかない。もっとも探せば結構残っている。明治村や「江戸東京たてもの園」などに移築されたものも多い。また永田町界隈にあった鍋島侯爵家の洋館は震災で崩壊したが、和館の方は被害が少なく三井家(北家)に買い取られ、北多摩郡拝島村の別荘に移されたという。今の東京都昭島市に現存し、啓明学園北泉寮として使われている。
(啓明学園北泉寮)
この本を読んでなるほどと思ったのは、東京中心部にある学校の多くは、昔のお屋敷跡に建っていることだ。少子化に伴い、それらの学校も再開発されていく。勝海舟散歩の時に見た海舟屋敷跡は、港区立氷川小となり20数年前に閉校して今は老人ホームになっていた。都心部でまとまった敷地を取れる場所はあまりないから、そういう広大なお屋敷は学校になることが多いわけである。
僕が勤務した六本木高校と向かいの南山小学校は、芳川顕正伯爵邸と旧小田原藩の大久保子爵邸の跡地だという。その他、いちいち挙げないが多くの学校の例が出ている。(なお、鳥取藩主池田侯爵家は明治初期には、今の墨田区の向島百花園あたりにあったという。その記述の中で、今の「墨田高校辺りまで及んでいた」と書かれている。間違って記述されることがやたら多いんだけど、「墨田川高校」です。ちなみにノーベル賞の大村先生が勤務していた定時制高校は「墨田工業高校」)
別荘のいろいろ、あるいは明治から平成に至るまでの総理大臣の家調べなども興味深い。このシリーズで僕が一番面白かったのは、「地形扁」である。というのも、今の東京人は東京の地形をあまり意識しないからだ。地下鉄が発達しているから移動の多くは地下を動く。だから外の地形の変化をあまり意識しなくなる。風景もビルばかりで、昔の坂は均され、川は暗渠となり、全然自然を感じさせない。だけど、現在の建物のベースには地形がしっかりと存在している。「地形篇」だけでも読むべし。今回出た「お屋敷扁」は上級コースかな。

4冊目の「お屋敷のすべて」扁は、地図や付録の表が非常に多い。何しろ華族の住所録付きである。明治20年と大正5年の華族住所録を載せて、今どうなっているかまで調べた大変な労作である。今の「常識」では「お金持ち」は東京の西の方に多い。だが、江戸時代の大名に遡ると、東京の東側、隅田川の周辺が案外多かったのだという。「水の問題」があったからである。当時のお屋敷に必須の「池泉回遊式」の大庭園を造るには、水道の普及していない時代では川のそばに作るしかない。
今に残るのは、江東区の清澄庭園、墨田区の安田庭園などだが、今の隅田公園(隅田川に沿って浅草から向島まで公園が続き、桜の名所になっている)も、水戸藩の下屋敷だった。ただし、洪水になると被害が大きく、特に足尾鉱毒事件を有名にした1890年の大洪水で水辺の庭園も大きな被害を受けた。当時はコレラなどの疫病も多かったから、下町の水辺=不潔で非衛生的というイメージになる。関東大震災で倒壊、焼失後は東京の東側に「お屋敷」は再建されなかった。
お屋敷は当時の地名で言えば「麹町区」(今の千代田区)や東京拡大以前の千駄ヶ谷などに移っていく。それらは震災、戦災で焼失したり、戦後の華族廃止、財閥解体などで売りに出されたりして、今はほとんど残っていない。この本に多く収録されている写真でしのぶしかない。もっとも探せば結構残っている。明治村や「江戸東京たてもの園」などに移築されたものも多い。また永田町界隈にあった鍋島侯爵家の洋館は震災で崩壊したが、和館の方は被害が少なく三井家(北家)に買い取られ、北多摩郡拝島村の別荘に移されたという。今の東京都昭島市に現存し、啓明学園北泉寮として使われている。

この本を読んでなるほどと思ったのは、東京中心部にある学校の多くは、昔のお屋敷跡に建っていることだ。少子化に伴い、それらの学校も再開発されていく。勝海舟散歩の時に見た海舟屋敷跡は、港区立氷川小となり20数年前に閉校して今は老人ホームになっていた。都心部でまとまった敷地を取れる場所はあまりないから、そういう広大なお屋敷は学校になることが多いわけである。
僕が勤務した六本木高校と向かいの南山小学校は、芳川顕正伯爵邸と旧小田原藩の大久保子爵邸の跡地だという。その他、いちいち挙げないが多くの学校の例が出ている。(なお、鳥取藩主池田侯爵家は明治初期には、今の墨田区の向島百花園あたりにあったという。その記述の中で、今の「墨田高校辺りまで及んでいた」と書かれている。間違って記述されることがやたら多いんだけど、「墨田川高校」です。ちなみにノーベル賞の大村先生が勤務していた定時制高校は「墨田工業高校」)
別荘のいろいろ、あるいは明治から平成に至るまでの総理大臣の家調べなども興味深い。このシリーズで僕が一番面白かったのは、「地形扁」である。というのも、今の東京人は東京の地形をあまり意識しないからだ。地下鉄が発達しているから移動の多くは地下を動く。だから外の地形の変化をあまり意識しなくなる。風景もビルばかりで、昔の坂は均され、川は暗渠となり、全然自然を感じさせない。だけど、現在の建物のベースには地形がしっかりと存在している。「地形篇」だけでも読むべし。今回出た「お屋敷扁」は上級コースかな。