フランスでまたも大規模なテロ事件が発生した。「IS」に関しては今年の初めに何回も書いた。今の段階で僕があらためて書くこともないんだけど、これほど組織だったテロを実行できるのは「IS」しかないということは確実である。10月10日にトルコの首都アンカラでクルド系の集会を狙う自爆テロがあり、102人もの死者が出た。10月31日にはエジプトからロシアへ向かう旅客機が墜落し、224人の死者が出た。まだ真相不明なところもあるが、これもISによるテロの可能性が強くなっている。そして、11月13日にはパリで(現時点で)129人の死者が出る同時多発テロ事件が起きた。これは一体何なのか?
しかし、それを考える情報も特に持ってないし、余裕もない。いろいろあって体調を崩し、昨日はパソコンを開きもしなかった。まあ世の中には様々なことが起こっていても、僕などがパソコンを少し見なくても何ごとも起こらない。昨年来、、時々フランス文学を読みたいと思う時がある。アメリカや中国の存在感に比べて、政治・経済だけでなく、文化的にも何かヨーロッパ各国の地位が落ちてきている気がしてならない。だけど、やはりイギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどにはじっくりつきあっておかないといけない文化的伝統がある。音楽、絵画、文学、思想、映画、ファッション…。
まあ、具体的には昨年永井荷風をいっぱい読んだことが直接のきっかけである。荷風がモーパッサンの墓に詣でた話は有名である。荷風は一生を通じて、フランス賛美を貫いた。同世代の日本を嫌うのは判るんだけど、何もあそこまでフランスびいきでなくてもと思うほど、フランス一辺倒を通した人である。僕は映画でフランスを知ったクチだから、そこまで理想化はしないけど、きちんとフランス文学を読みたいと思ったのである。ホントはあのぼう大かつ長大なバルザックにいよいよ挑戦したいのである。なんかとても面白いものもあるらしいけど、一つも読んでない。スタンダールやフローベール、モーパッサンなどは読んだけど、バルザックとゾラは読んでないというのは、やはり長さの問題。
まず、今まで短編しか読んでなかった19世紀フランスの作家、ギ・ド・モーパッサン(1850~1893)を読んだ。もう昨年のことである。今ごろ書くのも何なんだけど、古典だから時を選ばない。いろいろあるから後回しにしているうちに一年近く経ってしまった。でも、読んだときの印象は鮮烈である。特に長編の「女の一生」(1883)と「ベラミ」(1885)。世の中にこんな面白い小説があったのかと思うぐらいだが、スタンダールの「赤と黒」「パルムの僧院」もめっぽう面白い。19世紀の大小説は、「純文学」+「エンターテインメント」を兼ね備えている。だから、恐ろしく面白くて、同時に深い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2a/8b/6326aa5b90a0d64ed61e15d9898dadbc_s.jpg)
まず、今文庫で何が入手できるのか。新潮文庫にけっこう残っていて、「モーパッサン短編集」が3冊ある。モーパッサンの短編は名手の手練れを堪能できる傑作揃いで、チェーホフやO・ヘンリーなど共に、一度は読んでおいたほうがいい小説である。まあ、有名なのはいくつもあるが、今回再読したところ、ちょっと古い感じもした。別立てで「脂肪の塊・テリエ館」の短編2編が新潮文庫に残っていた。数年前に大きな文字に改版されているから、今も読まれている。帯に「人はそこまで卑劣になれるのか」とうたっている。普仏戦争後のフランス北部で起こったあるできごとを簡潔に描いている。これは「戦場と性」というテーマを扱っている。文学は19世紀にここまで人間を見つめていた。
「女の一生」はモーパッサンの生まれた北部ノルマンディーの風土を背景にして、題名通りジャンヌという女の一生を描きつくしている。修道院で教育された貴族の娘ジャンヌが親元に帰ってきて、いよいよ舞踏会で社交界デビュー。幸福を夢見る乙女に理想的な相手と見える男が現れて…。という少女マンガのような設定から始まって、波乱万丈の大ロマンが展開され、あれよあれよと「本当の人生」が訪れるのである。夫の裏切り、息子の放蕩、夢が裏切られていくジャンヌの人生は、今読めば図式的にも見えるところもある。だけど、その圧倒的な物語性のゆえに、読んでいる時はジェットコースターに乗っているように読み進んでしまう。やっぱりモーパッサンの代表作と言われるだけある。名前も有名だけど、一度は読んでおくべき傑作だ。
他の長編には「ピエールとジャン」「死の如く強し」などがあるが、今は文庫では出ていない。(古本や昔の全集などを探してもいいんだけど、そういう本は今では字が小さすぎて読むのが大変。)そういう中で、岩波文庫に「ベラミ」が残っていた。「ベル」(美しい)「アミ」(友)である。これはある意味では「女の一生」をもしのぐ抜群の面白さだった。でも、今のジャンル分けでは、この小説は「エンターテインメント」、情報小説と悪漢小説(ピカレスク・ロマン)、「恋愛(不倫)小説」が混合された「広義のミステリー」と言える。「ベラミ」とあだ名される底辺の男が、そのイケメンを武器に上流階級へとのし上がる。そのやり口が「女」である。旧友の妻を得て、その後、新聞社社長の妻をだまし、その娘にせまり…。この悪漢はやがて新聞界から政界へと乗り出していく。いやはや、という感じなんだけど、この小説の当時の受け取り方は、政界や新聞界の内実が暴露されていることの面白さにもあったらしい。今ではその点はほとんどどうでもよく、「いかに女をたらしこむか」に全力を傾ける主人公の戦略と戦術が面白い。しかし、やっぱりイケメンはこれほど得なんだろうか。抜群の面白さ。
しかし、それを考える情報も特に持ってないし、余裕もない。いろいろあって体調を崩し、昨日はパソコンを開きもしなかった。まあ世の中には様々なことが起こっていても、僕などがパソコンを少し見なくても何ごとも起こらない。昨年来、、時々フランス文学を読みたいと思う時がある。アメリカや中国の存在感に比べて、政治・経済だけでなく、文化的にも何かヨーロッパ各国の地位が落ちてきている気がしてならない。だけど、やはりイギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどにはじっくりつきあっておかないといけない文化的伝統がある。音楽、絵画、文学、思想、映画、ファッション…。
まあ、具体的には昨年永井荷風をいっぱい読んだことが直接のきっかけである。荷風がモーパッサンの墓に詣でた話は有名である。荷風は一生を通じて、フランス賛美を貫いた。同世代の日本を嫌うのは判るんだけど、何もあそこまでフランスびいきでなくてもと思うほど、フランス一辺倒を通した人である。僕は映画でフランスを知ったクチだから、そこまで理想化はしないけど、きちんとフランス文学を読みたいと思ったのである。ホントはあのぼう大かつ長大なバルザックにいよいよ挑戦したいのである。なんかとても面白いものもあるらしいけど、一つも読んでない。スタンダールやフローベール、モーパッサンなどは読んだけど、バルザックとゾラは読んでないというのは、やはり長さの問題。
まず、今まで短編しか読んでなかった19世紀フランスの作家、ギ・ド・モーパッサン(1850~1893)を読んだ。もう昨年のことである。今ごろ書くのも何なんだけど、古典だから時を選ばない。いろいろあるから後回しにしているうちに一年近く経ってしまった。でも、読んだときの印象は鮮烈である。特に長編の「女の一生」(1883)と「ベラミ」(1885)。世の中にこんな面白い小説があったのかと思うぐらいだが、スタンダールの「赤と黒」「パルムの僧院」もめっぽう面白い。19世紀の大小説は、「純文学」+「エンターテインメント」を兼ね備えている。だから、恐ろしく面白くて、同時に深い。
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まず、今文庫で何が入手できるのか。新潮文庫にけっこう残っていて、「モーパッサン短編集」が3冊ある。モーパッサンの短編は名手の手練れを堪能できる傑作揃いで、チェーホフやO・ヘンリーなど共に、一度は読んでおいたほうがいい小説である。まあ、有名なのはいくつもあるが、今回再読したところ、ちょっと古い感じもした。別立てで「脂肪の塊・テリエ館」の短編2編が新潮文庫に残っていた。数年前に大きな文字に改版されているから、今も読まれている。帯に「人はそこまで卑劣になれるのか」とうたっている。普仏戦争後のフランス北部で起こったあるできごとを簡潔に描いている。これは「戦場と性」というテーマを扱っている。文学は19世紀にここまで人間を見つめていた。
「女の一生」はモーパッサンの生まれた北部ノルマンディーの風土を背景にして、題名通りジャンヌという女の一生を描きつくしている。修道院で教育された貴族の娘ジャンヌが親元に帰ってきて、いよいよ舞踏会で社交界デビュー。幸福を夢見る乙女に理想的な相手と見える男が現れて…。という少女マンガのような設定から始まって、波乱万丈の大ロマンが展開され、あれよあれよと「本当の人生」が訪れるのである。夫の裏切り、息子の放蕩、夢が裏切られていくジャンヌの人生は、今読めば図式的にも見えるところもある。だけど、その圧倒的な物語性のゆえに、読んでいる時はジェットコースターに乗っているように読み進んでしまう。やっぱりモーパッサンの代表作と言われるだけある。名前も有名だけど、一度は読んでおくべき傑作だ。
他の長編には「ピエールとジャン」「死の如く強し」などがあるが、今は文庫では出ていない。(古本や昔の全集などを探してもいいんだけど、そういう本は今では字が小さすぎて読むのが大変。)そういう中で、岩波文庫に「ベラミ」が残っていた。「ベル」(美しい)「アミ」(友)である。これはある意味では「女の一生」をもしのぐ抜群の面白さだった。でも、今のジャンル分けでは、この小説は「エンターテインメント」、情報小説と悪漢小説(ピカレスク・ロマン)、「恋愛(不倫)小説」が混合された「広義のミステリー」と言える。「ベラミ」とあだ名される底辺の男が、そのイケメンを武器に上流階級へとのし上がる。そのやり口が「女」である。旧友の妻を得て、その後、新聞社社長の妻をだまし、その娘にせまり…。この悪漢はやがて新聞界から政界へと乗り出していく。いやはや、という感じなんだけど、この小説の当時の受け取り方は、政界や新聞界の内実が暴露されていることの面白さにもあったらしい。今ではその点はほとんどどうでもよく、「いかに女をたらしこむか」に全力を傾ける主人公の戦略と戦術が面白い。しかし、やっぱりイケメンはこれほど得なんだろうか。抜群の面白さ。