9月分の追悼記事を書かなかったので、ここ2カ月を合わせて。
10月31日に亡くなったのが、作家の佐木隆三(78歳)。非常にたくさんの本を読んだ人である。「復讐するは我にあり」で1976年に直木賞を得たが、それ以前の八幡製鉄(まだ富士製鉄と合併して新日鉄になってない)の「労働者作家」として新日本文学賞を得た「ジャンケンポン協定」(1963)という痛快な社会派ユーモア小説も読んでる。1964年に退社して作家に専念して、「大将とわたし(1968)などを書いた。これは後に松下竜一「砦に拠る」に描かれた九州の下筌(しもうけ)ダム反対運動の中心人物、室原知幸(いわゆる蜂の巣城主)を扱った作品で、これも面白い。だけど、「売れない作家」だったので、復帰前の沖縄へ移住して、復帰協定反対闘争のデモで逮捕される。「本土の作家」だから大物指導者に違いないという見込み捜査である。この「冤罪体験」で、裁判や犯罪者への関心が芽生えて、以後の作家活動につながったわけである。
以後は知られているが、連続殺人犯を描く「復讐するは我にあり」は、刊行直後から世評が高く直木賞確実と言われていた。確かに傑作で、最高傑作だと思う。(今村昌平による映画化も、小説を凌駕しているかもしれない傑作である。)と同時に、僕にとっては関わりがあった冤罪事件、丸正事件を描く「誓いて我に告げよ」の作家でもある。その後は裁判を傍聴してノンフィクションを書くことが多い。文庫になると大体読んでいる。それらの事件と犯罪者の思い出は「わたしが出会った殺人者たち」(2012)にまとめられた。それは今年新潮文庫に入り、僕も最近読んだ。(というのに、今どこにあるか判らない。)その本に地元の北九州に戻ったことが書かれていた。佐木隆三という人は、裁判、面会、文通等を通じて「自覚的に」(というのは、刑務官や警察官、法曹関係者などのような「職業として」と違って)「多数の犯罪者と接した人」である。でも、会いすぎたんじゃないかと僕はだんだん思うようになった。犯罪者の「矮小な面」を見すぎてしまったのかもしれないと思う。
佐木さんだけで長くなってしまったが、同じ10月31日に政治学者の篠原一(90歳)が亡くなった。「市民参加」などの著書があり、70年代の住民自治に大きな影響を与えた人である。その当時は雑誌に載った論文もよく読んだものだ。その後ガンを患い、「丸山ワクチン」を広める運動を進めた。
報道写真家の福島菊次郎(9.24没、94歳)が亡くなった。原爆、公害問題など一貫して「反権力」の立場で写真を撮ってきた。「ニッポンの嘘」という記録映画が数年前に作られ、キネ旬文化映画ベストワンになった。見逃してしまったのだが、福島菊次郎を追う映画である。13日まで渋谷のアップリンクで上映されている。60年代半ばから前衛的写真家として活躍した中平卓馬(9.1没、74歳)は名前だけは昔からよく聞いた人。写真のことはあまりよく知らないが、懐かしい名前である。
川島なお美(9.24没、54歳)は大きく報道された。テレビドラマをほとんど見てないので、あまりよく知らないので、書くことができない。それより女優では、アメリカのモーリン・オハラ(10.24没、95歳)に感慨があるんだけど、まあ古すぎですね。ジョン・フォードの「静かなる男」は昨年リバイバルされた。「わが谷は緑なりき」も素晴らしい。こういう人である。
テアトル・エコーの、というより声優と報道されたが、熊倉一雄(10.12没、88歳)の死去が惜しまれる。もちろん、「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌や「ひょっこりひょうたん島」の声優だったんだから、懐かしい名前である。ニール・サイモンを紹介したことも大きいと思うが、それ以上に何と言っても、井上ひさしを劇作家としてデビューさせたのが重大である。「日本人のへそ」や「表裏源内蛙合戦」はテアトル・エコーあってのことだと思う。これは日本文化史に残る「事件」である。
落語家の橘家円蔵(10.7没、81歳)は、前の名の「月の家円鏡」の方で覚えている人も多いのではないか。とにかくテレビで売れっ子で、爆笑の落語家ではあった。でも、一度もナマでは聞いてない。テレビの中で親しんだという感じである。講談師の宝井馬琴(9.25没、80歳)の訃報も伝えられた。
脚本家の山内久(やまのうち・ひさし、9.29没、90歳)は、60年代頃に日本映画を代表する脚本家の一人である。「若者たち」ばかり取り上げられるが、松竹にいながらペンネームで日活に書いた「幕末太陽傳」がすごい。今村昌平の「果しなき欲望」もシナリオのお手本である。最高傑作は「豚と軍艦」(今村昌平、1961)にとどめを刺すと思う。遠藤周作原作の「私が棄てた女」は、ハンセン病というテーマがすっかり抜けている。それはそれで傑作で、熊井啓「愛する」よりいいとは思うんだけど。
経済同友会元代表幹事の小林陽太郎(富士ゼロックス元会長、9.5没、82歳)や小泉内閣の財務相を務めた塩川正十郎(9.19没、93歳)、料理ジャーナリストの岸朝子(9.22没、91歳)などの訃報もあった。スポーツ界では、阪神のGM、中村勝広(9.22没、66歳)は現役時代の印象はあまりないが、後に阪神監督を務めた。大洋と近鉄という今はなき球団で活躍した投手、盛田幸妃(もりた・こうき、10.16没、45歳)は脳腫瘍を克服してカムバック賞を得た。近年は闘病中だったという。鬼平などの挿絵画家の中一弥(なか・かずや、10.27没、104歳)は長寿を極めた。何しろ昭和初期の直木三十五の小説がデビューだという。逢坂剛の父親でもある。ノンフィクション作家の中島みち(10.29没、84歳)は自身がガンになったことから、医療に関心を持ち尊厳死や脳死に関する本をたくさん残した。菊池寛賞受賞。
最後に、古代史や親鸞の研究家、古田武彦(10.14没、89歳)の訃報を記録しておく。在野の研究者として「『邪馬台国』はなかった」などで評判になった。これはまあ、その通りで、例の「魏志倭人伝」(魏書の東夷伝)には「邪馬壹国」(やまいちこく)となっているわけだ。古代史ファンだったから、面白そうで読んでみたが、どうも納得はできなかった。と思ったら、その後いつのまにか「東日流外三郡誌」の支持者になっていた。詳しいことを知りたい人は検索して調べて欲しいが、あれは偽書でしょと思うけど。
10月31日に亡くなったのが、作家の佐木隆三(78歳)。非常にたくさんの本を読んだ人である。「復讐するは我にあり」で1976年に直木賞を得たが、それ以前の八幡製鉄(まだ富士製鉄と合併して新日鉄になってない)の「労働者作家」として新日本文学賞を得た「ジャンケンポン協定」(1963)という痛快な社会派ユーモア小説も読んでる。1964年に退社して作家に専念して、「大将とわたし(1968)などを書いた。これは後に松下竜一「砦に拠る」に描かれた九州の下筌(しもうけ)ダム反対運動の中心人物、室原知幸(いわゆる蜂の巣城主)を扱った作品で、これも面白い。だけど、「売れない作家」だったので、復帰前の沖縄へ移住して、復帰協定反対闘争のデモで逮捕される。「本土の作家」だから大物指導者に違いないという見込み捜査である。この「冤罪体験」で、裁判や犯罪者への関心が芽生えて、以後の作家活動につながったわけである。
以後は知られているが、連続殺人犯を描く「復讐するは我にあり」は、刊行直後から世評が高く直木賞確実と言われていた。確かに傑作で、最高傑作だと思う。(今村昌平による映画化も、小説を凌駕しているかもしれない傑作である。)と同時に、僕にとっては関わりがあった冤罪事件、丸正事件を描く「誓いて我に告げよ」の作家でもある。その後は裁判を傍聴してノンフィクションを書くことが多い。文庫になると大体読んでいる。それらの事件と犯罪者の思い出は「わたしが出会った殺人者たち」(2012)にまとめられた。それは今年新潮文庫に入り、僕も最近読んだ。(というのに、今どこにあるか判らない。)その本に地元の北九州に戻ったことが書かれていた。佐木隆三という人は、裁判、面会、文通等を通じて「自覚的に」(というのは、刑務官や警察官、法曹関係者などのような「職業として」と違って)「多数の犯罪者と接した人」である。でも、会いすぎたんじゃないかと僕はだんだん思うようになった。犯罪者の「矮小な面」を見すぎてしまったのかもしれないと思う。
佐木さんだけで長くなってしまったが、同じ10月31日に政治学者の篠原一(90歳)が亡くなった。「市民参加」などの著書があり、70年代の住民自治に大きな影響を与えた人である。その当時は雑誌に載った論文もよく読んだものだ。その後ガンを患い、「丸山ワクチン」を広める運動を進めた。
報道写真家の福島菊次郎(9.24没、94歳)が亡くなった。原爆、公害問題など一貫して「反権力」の立場で写真を撮ってきた。「ニッポンの嘘」という記録映画が数年前に作られ、キネ旬文化映画ベストワンになった。見逃してしまったのだが、福島菊次郎を追う映画である。13日まで渋谷のアップリンクで上映されている。60年代半ばから前衛的写真家として活躍した中平卓馬(9.1没、74歳)は名前だけは昔からよく聞いた人。写真のことはあまりよく知らないが、懐かしい名前である。
川島なお美(9.24没、54歳)は大きく報道された。テレビドラマをほとんど見てないので、あまりよく知らないので、書くことができない。それより女優では、アメリカのモーリン・オハラ(10.24没、95歳)に感慨があるんだけど、まあ古すぎですね。ジョン・フォードの「静かなる男」は昨年リバイバルされた。「わが谷は緑なりき」も素晴らしい。こういう人である。
テアトル・エコーの、というより声優と報道されたが、熊倉一雄(10.12没、88歳)の死去が惜しまれる。もちろん、「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌や「ひょっこりひょうたん島」の声優だったんだから、懐かしい名前である。ニール・サイモンを紹介したことも大きいと思うが、それ以上に何と言っても、井上ひさしを劇作家としてデビューさせたのが重大である。「日本人のへそ」や「表裏源内蛙合戦」はテアトル・エコーあってのことだと思う。これは日本文化史に残る「事件」である。
落語家の橘家円蔵(10.7没、81歳)は、前の名の「月の家円鏡」の方で覚えている人も多いのではないか。とにかくテレビで売れっ子で、爆笑の落語家ではあった。でも、一度もナマでは聞いてない。テレビの中で親しんだという感じである。講談師の宝井馬琴(9.25没、80歳)の訃報も伝えられた。
脚本家の山内久(やまのうち・ひさし、9.29没、90歳)は、60年代頃に日本映画を代表する脚本家の一人である。「若者たち」ばかり取り上げられるが、松竹にいながらペンネームで日活に書いた「幕末太陽傳」がすごい。今村昌平の「果しなき欲望」もシナリオのお手本である。最高傑作は「豚と軍艦」(今村昌平、1961)にとどめを刺すと思う。遠藤周作原作の「私が棄てた女」は、ハンセン病というテーマがすっかり抜けている。それはそれで傑作で、熊井啓「愛する」よりいいとは思うんだけど。
経済同友会元代表幹事の小林陽太郎(富士ゼロックス元会長、9.5没、82歳)や小泉内閣の財務相を務めた塩川正十郎(9.19没、93歳)、料理ジャーナリストの岸朝子(9.22没、91歳)などの訃報もあった。スポーツ界では、阪神のGM、中村勝広(9.22没、66歳)は現役時代の印象はあまりないが、後に阪神監督を務めた。大洋と近鉄という今はなき球団で活躍した投手、盛田幸妃(もりた・こうき、10.16没、45歳)は脳腫瘍を克服してカムバック賞を得た。近年は闘病中だったという。鬼平などの挿絵画家の中一弥(なか・かずや、10.27没、104歳)は長寿を極めた。何しろ昭和初期の直木三十五の小説がデビューだという。逢坂剛の父親でもある。ノンフィクション作家の中島みち(10.29没、84歳)は自身がガンになったことから、医療に関心を持ち尊厳死や脳死に関する本をたくさん残した。菊池寛賞受賞。
最後に、古代史や親鸞の研究家、古田武彦(10.14没、89歳)の訃報を記録しておく。在野の研究者として「『邪馬台国』はなかった」などで評判になった。これはまあ、その通りで、例の「魏志倭人伝」(魏書の東夷伝)には「邪馬壹国」(やまいちこく)となっているわけだ。古代史ファンだったから、面白そうで読んでみたが、どうも納得はできなかった。と思ったら、その後いつのまにか「東日流外三郡誌」の支持者になっていた。詳しいことを知りたい人は検索して調べて欲しいが、あれは偽書でしょと思うけど。