シネマヴェーラ渋谷で「抗争と流血 東映実録路線の時代」という特集上映があった。多分その企画の方が先なんだろうと思うけど、ほとんどの「実録映画」に出演した松方弘樹が亡くなり、新文芸座で追悼上映があった。(さらに渡瀬恒彦も亡くなって、来月に新文芸坐で追悼上映がある。)

その中の何本かを見たので、改めて「実録映画とは何だのか」を考えてみたい。実録路線最後を飾ると言われる「北陸代理戦争」から40年。その映画のモデルだった川内弘が、映画と同じように殺害された事件はちょうど1977年4月13日に起きていた。まさに40年前のできごとである。
いま「昭和天皇実録」が刊行されている。この前、中公新書「六国史」を読んで、そう言えば「実録」という言葉は、多分879年に完成した「日本文徳天皇実録」が初見なんではないかと思った。もともと天皇に関する「実際の記録」を意味するんだろうけど、大昔の六国史でも現代の「昭和天皇実録」でもすべてが記録されているわけではない。注意深く「取捨選択」が行われている。
僕は歴史が専門だけど、70年代からの映画マニアとしては、「実録」と言えば「東映実録映画」を最初に思い浮かべる。1973年1月の「仁義なき戦い」大ヒットを受けて、東映で続々と作られた作品群である。「北陸代理戦争」以後も何本かは作られていて、全部を合わせると50本近い。それらは「現実の事件」に材を取ったものが多い。だから「実録」と言われるわけだが、もちろん現実のモデルがいる暴力団抗争事件をそのまま映画化できるわけがない。当然「取捨選択」が施された。
実録映画がそれほど作られたのは、映画界内部の問題と映画外の社会的事情があると思う。東映という会社は、50年代から60年代初期には「時代劇」を中心にしていた。60年代半ばから70年代初期には「任侠映画」を続々と送り出した。「任侠映画」と「実録映画」は、ヤクザが主人公であることは共通している。だけど、映画の作りというか画面のタッチは全然違う。
時代劇と任侠映画は、娯楽映画シリーズとして作られ、月に何本も公開された。筋はパターン化しているし、俳優を見れば善玉か悪役かが判る。だから安心して見ていられる。だけど、60年代半ばから、テレビが最大の娯楽になり、判りやすい時代劇はテレビに移行していった。また、シリーズ映画はパターンが定型化しているので、10本程度続くと飽きられてくる。製作側も違うものを作りたくなる。人気俳優も人間だから、10年たつと10歳年とるわけで、アクションものや恋愛映画の主人公がきつくなる。
東映任侠映画の場合、高倉健と鶴田浩二を二枚看板にしていたが、後期になると二人と同じぐらい藤純子の人気が高かった。しかし、彼女は結婚のため72年で(いったん)映画界を引退したので、東映は営業的に新路線が強く求めていた。そういう要素はあったものの、そこに広島ヤクザ抗争を実際に主要登場人物として「活躍」した美能幸三(映画では広能昌三)が出所してきて、手記「仁義なき戦い」を書かなかったら、映画化されることはなかった。その意味では「偶然」も大きな要因になった。
その「仁義なき戦い」は傑作となり、大ヒットした。なぜかという問題への答えはいくつもあるけれど、脚本の笠原和夫、監督の深作欣二の実力がまさにピークに達しようとしていたことが大きい。と同時に、「実録映画」はその本質として善玉と悪役が決まっていない。昨日の友は今日の敵。離合集散が激しく、主要人物もどんどん死んでいく。主人公格の人物たちも、ホンネで行動している。
そういう映画だから、今まで必ずしも恵まれなかった役者にも、活躍の場が広がることになる。パターン化された映画では、悪役はそれほど印象に残らないし、残ってはならない。だが、実録映画では「チョイ役」の俳優でも、その暴発で抗争の局面がガラッと変わることもあり、脇役俳優の出番がグッと大きくなった。東映の大部屋俳優たちの「ピラニア軍団」が有名になり、川谷拓三のような印象的な脇役が大活躍した。見ている側としては、その俳優たちの生き生きとした演技が一番面白かった。
「北陸代理戦争」で主人公の妻を演じた高橋洋子のトークがあったけど、そこで印象的だったのは松方弘樹は映画のことを「シャシン」と言っていたという話だった。「シャシン」とはつまり「活動写真」のことだけど、英語でも映画を「motion picture」というように、「動き」あっての映画だろう。その動きは何もアクションだけには限らない。ストーリイ展開の動きも、俳優たちのアクションも、実録映画シリーズほど「動き」が印象的だった映画群はないと思う。それが一番の魅力だった。
映画としては「仁義なき戦い」シリーズの「代理戦争」「頂上作戦」が最も面白いと思う。このシリーズは何回か通して見ているけど、津島利章のテーマ音楽が流れるだけで、初めて見た時の高揚感が戻ってくる感じがする。第一作の「仁義なき戦い」は確かに面白いけど、後のことを知ると「序章」という気がしてくる。深作欣二は前年に「軍旗はためく下に」「現代やくざ・人斬り与太」「人斬り与太・狂犬三兄弟」を撮っている。「軍旗…」は直木賞受賞作を映画化した反戦映画だが、戦後史を再考する志は共通している。「人斬り与太」シリーズは菅原文太主演で、映画のタッチは「仁義なき戦い」と共通している。深作監督が大ブレイクするのも当然だった。ある意味で「実録映画路線」は1972年から始まっていたとも言えるだろう。その後続々と作られる映画に描かれた問題は次回に考えたい。

その中の何本かを見たので、改めて「実録映画とは何だのか」を考えてみたい。実録路線最後を飾ると言われる「北陸代理戦争」から40年。その映画のモデルだった川内弘が、映画と同じように殺害された事件はちょうど1977年4月13日に起きていた。まさに40年前のできごとである。
いま「昭和天皇実録」が刊行されている。この前、中公新書「六国史」を読んで、そう言えば「実録」という言葉は、多分879年に完成した「日本文徳天皇実録」が初見なんではないかと思った。もともと天皇に関する「実際の記録」を意味するんだろうけど、大昔の六国史でも現代の「昭和天皇実録」でもすべてが記録されているわけではない。注意深く「取捨選択」が行われている。
僕は歴史が専門だけど、70年代からの映画マニアとしては、「実録」と言えば「東映実録映画」を最初に思い浮かべる。1973年1月の「仁義なき戦い」大ヒットを受けて、東映で続々と作られた作品群である。「北陸代理戦争」以後も何本かは作られていて、全部を合わせると50本近い。それらは「現実の事件」に材を取ったものが多い。だから「実録」と言われるわけだが、もちろん現実のモデルがいる暴力団抗争事件をそのまま映画化できるわけがない。当然「取捨選択」が施された。
実録映画がそれほど作られたのは、映画界内部の問題と映画外の社会的事情があると思う。東映という会社は、50年代から60年代初期には「時代劇」を中心にしていた。60年代半ばから70年代初期には「任侠映画」を続々と送り出した。「任侠映画」と「実録映画」は、ヤクザが主人公であることは共通している。だけど、映画の作りというか画面のタッチは全然違う。
時代劇と任侠映画は、娯楽映画シリーズとして作られ、月に何本も公開された。筋はパターン化しているし、俳優を見れば善玉か悪役かが判る。だから安心して見ていられる。だけど、60年代半ばから、テレビが最大の娯楽になり、判りやすい時代劇はテレビに移行していった。また、シリーズ映画はパターンが定型化しているので、10本程度続くと飽きられてくる。製作側も違うものを作りたくなる。人気俳優も人間だから、10年たつと10歳年とるわけで、アクションものや恋愛映画の主人公がきつくなる。
東映任侠映画の場合、高倉健と鶴田浩二を二枚看板にしていたが、後期になると二人と同じぐらい藤純子の人気が高かった。しかし、彼女は結婚のため72年で(いったん)映画界を引退したので、東映は営業的に新路線が強く求めていた。そういう要素はあったものの、そこに広島ヤクザ抗争を実際に主要登場人物として「活躍」した美能幸三(映画では広能昌三)が出所してきて、手記「仁義なき戦い」を書かなかったら、映画化されることはなかった。その意味では「偶然」も大きな要因になった。
その「仁義なき戦い」は傑作となり、大ヒットした。なぜかという問題への答えはいくつもあるけれど、脚本の笠原和夫、監督の深作欣二の実力がまさにピークに達しようとしていたことが大きい。と同時に、「実録映画」はその本質として善玉と悪役が決まっていない。昨日の友は今日の敵。離合集散が激しく、主要人物もどんどん死んでいく。主人公格の人物たちも、ホンネで行動している。
そういう映画だから、今まで必ずしも恵まれなかった役者にも、活躍の場が広がることになる。パターン化された映画では、悪役はそれほど印象に残らないし、残ってはならない。だが、実録映画では「チョイ役」の俳優でも、その暴発で抗争の局面がガラッと変わることもあり、脇役俳優の出番がグッと大きくなった。東映の大部屋俳優たちの「ピラニア軍団」が有名になり、川谷拓三のような印象的な脇役が大活躍した。見ている側としては、その俳優たちの生き生きとした演技が一番面白かった。
「北陸代理戦争」で主人公の妻を演じた高橋洋子のトークがあったけど、そこで印象的だったのは松方弘樹は映画のことを「シャシン」と言っていたという話だった。「シャシン」とはつまり「活動写真」のことだけど、英語でも映画を「motion picture」というように、「動き」あっての映画だろう。その動きは何もアクションだけには限らない。ストーリイ展開の動きも、俳優たちのアクションも、実録映画シリーズほど「動き」が印象的だった映画群はないと思う。それが一番の魅力だった。
映画としては「仁義なき戦い」シリーズの「代理戦争」「頂上作戦」が最も面白いと思う。このシリーズは何回か通して見ているけど、津島利章のテーマ音楽が流れるだけで、初めて見た時の高揚感が戻ってくる感じがする。第一作の「仁義なき戦い」は確かに面白いけど、後のことを知ると「序章」という気がしてくる。深作欣二は前年に「軍旗はためく下に」「現代やくざ・人斬り与太」「人斬り与太・狂犬三兄弟」を撮っている。「軍旗…」は直木賞受賞作を映画化した反戦映画だが、戦後史を再考する志は共通している。「人斬り与太」シリーズは菅原文太主演で、映画のタッチは「仁義なき戦い」と共通している。深作監督が大ブレイクするのも当然だった。ある意味で「実録映画路線」は1972年から始まっていたとも言えるだろう。その後続々と作られる映画に描かれた問題は次回に考えたい。