今年のアカデミー賞作品賞受賞作品「ムーンライト」を見た。「ラ・ラ・ランド」と最初間違って発表されたことで話題となった作品である。ゴールデングローブ賞の作品賞は「ドラマ部門」「コメディ・ミュージカル部門」に分かれているが、今年の受賞作は前者が「ムーンライト」、後者が「ラ・ラ・ランド」だったから、アメリカではこの二つの映画が特に評価されたということだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/19/b3/c06f241dab87b43aec5c9eb8f5c131f9_s.jpg)
この映画は「作家性」が高い映画で、商業的に作られた作品ではない。そこに好き嫌いがあるかもしれないけど、非常に重要な映画だと思う。それは「アフリカ系アメリカ人」の青年を描いているというだけでなく、自分のセクシュアリティに悩む青年の物語なのである。アカデミー作品賞を獲得した映画で、セクシャル・マイノリティを描いた初の作品だという。そう言えば、今までの「ミルク」とか「キャロル」なんかは作品賞に届かなかった。
「ムーンライト」はシャロンというアフリカ系青年の人生を3つのエピソードで語っていく。最初は「リトル」と呼ばれたいじめられっ子の子ども時代。そこでは助けてくれる大人もいて何とか切り抜けていく。続く高校生時代の「シャロン」は苛酷な学校生活を描いている。が、そんな中で幼なじみのケヴィンとの複雑な関係が心に残る。最後の「ブラック」は、高校時代を受けて、自分を作り直した新しい姿を見せている。そこにケヴィンから久しぶりに電話がある…。
脚本・監督のバリー・ジェンキンズ(1979~)は、「ムーンライト」で描いたマイアミのリバティシティで生まれ育った。映画には監督自身の体験が反映されている。2008年に自主製作映画で評価されたが、日本では未公開だからこの監督のことは全然知らない。今回の作品も低予算の映画で、多くのアメリカ映画の感触とは違うアートシネマのタッチで進行している。こういう映画もちゃんとアメリカで作られていて、評価もされるわけだ。ハリウッドの大作を見てるだけでは判らないアメリカの苦悩を描いている。
麻薬の蔓延、荒廃した学校、母親との複雑な関係などシャロンを取り巻く環境は非常に厳しい。だから、そういう環境を告発する社会派映画かと思うと、そういう側面もあるけれど、最後の着地点が少し違う。幼いころから、引っ込み思案とか、いじめられやすい、おとなしいといったムードをシャロンは持っている。そういう彼がどう生きていくのかとこっちも心配になるわけだが、最後のエピソードでは意外な変貌を外形的には見せている。だが、さらに意外な本質を最後に描くのである。
その時になって初めて、この映画の一番の眼目が「愛の物語」だったことにわれわれは気づく。そうだったのか。やりきれない思いで毎日を生きてきたシャロンの、心の奥に潜んでいたもの。それを描くために、この映画では「映像美」を駆使して、「黒人の美しさ」を描き出している。そこが日本でうまく伝わるかというと、そこはちょっと難しいかもしれない。僕もなかなかわかりづらい。映画自体も細かく説明するのではなく、省略しながら描いていくから観客の想像力が必要である。
第一部で出てくる、シャロンを助けるフアン役のマハーシャラ・アリがアカデミー助演男優賞を得た。これはムスリムとしての初の助演男優賞だそうだけど、この人は1部にしか出てこない。わずか24分間の出演シーンで受賞したという。一方、母親役のナオミ・ハリスも助演女優賞にノミネートされた。非常な名演だったと思うけど、デンゼル・ワシントンが監督した「Fences」のヴィオラ・デイヴィスが受賞した。昨年のアカデミー賞ではノミネートにマイノリティが少ないと問題化したけど、今年の助演女優賞は5人中3人がアフリカ系だった。批判も影響したかもしれないけど、作品自体に力があったのだろう。
ということで、楽しいとか面白いという基準で見ると、ちょっと難しいかもしれないけど、一度は見るべき問題作だろう。マイノリティを描く視線が、社会問題を告発するという方向だけではなく、セクシャリティなどの観点からも描かれている。世界の多くのマイノリティ社会の方に「家父長制」が残り続けることはよくある。アメリカのマッチョ的風潮の中で、ただでさえ難しい荒廃した環境の中を生き抜いたシャロン。それはじっくり見る価値がある。そしてじっくり見ないと判らないように、監督も小さな声で語っている。
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この映画は「作家性」が高い映画で、商業的に作られた作品ではない。そこに好き嫌いがあるかもしれないけど、非常に重要な映画だと思う。それは「アフリカ系アメリカ人」の青年を描いているというだけでなく、自分のセクシュアリティに悩む青年の物語なのである。アカデミー作品賞を獲得した映画で、セクシャル・マイノリティを描いた初の作品だという。そう言えば、今までの「ミルク」とか「キャロル」なんかは作品賞に届かなかった。
「ムーンライト」はシャロンというアフリカ系青年の人生を3つのエピソードで語っていく。最初は「リトル」と呼ばれたいじめられっ子の子ども時代。そこでは助けてくれる大人もいて何とか切り抜けていく。続く高校生時代の「シャロン」は苛酷な学校生活を描いている。が、そんな中で幼なじみのケヴィンとの複雑な関係が心に残る。最後の「ブラック」は、高校時代を受けて、自分を作り直した新しい姿を見せている。そこにケヴィンから久しぶりに電話がある…。
脚本・監督のバリー・ジェンキンズ(1979~)は、「ムーンライト」で描いたマイアミのリバティシティで生まれ育った。映画には監督自身の体験が反映されている。2008年に自主製作映画で評価されたが、日本では未公開だからこの監督のことは全然知らない。今回の作品も低予算の映画で、多くのアメリカ映画の感触とは違うアートシネマのタッチで進行している。こういう映画もちゃんとアメリカで作られていて、評価もされるわけだ。ハリウッドの大作を見てるだけでは判らないアメリカの苦悩を描いている。
麻薬の蔓延、荒廃した学校、母親との複雑な関係などシャロンを取り巻く環境は非常に厳しい。だから、そういう環境を告発する社会派映画かと思うと、そういう側面もあるけれど、最後の着地点が少し違う。幼いころから、引っ込み思案とか、いじめられやすい、おとなしいといったムードをシャロンは持っている。そういう彼がどう生きていくのかとこっちも心配になるわけだが、最後のエピソードでは意外な変貌を外形的には見せている。だが、さらに意外な本質を最後に描くのである。
その時になって初めて、この映画の一番の眼目が「愛の物語」だったことにわれわれは気づく。そうだったのか。やりきれない思いで毎日を生きてきたシャロンの、心の奥に潜んでいたもの。それを描くために、この映画では「映像美」を駆使して、「黒人の美しさ」を描き出している。そこが日本でうまく伝わるかというと、そこはちょっと難しいかもしれない。僕もなかなかわかりづらい。映画自体も細かく説明するのではなく、省略しながら描いていくから観客の想像力が必要である。
第一部で出てくる、シャロンを助けるフアン役のマハーシャラ・アリがアカデミー助演男優賞を得た。これはムスリムとしての初の助演男優賞だそうだけど、この人は1部にしか出てこない。わずか24分間の出演シーンで受賞したという。一方、母親役のナオミ・ハリスも助演女優賞にノミネートされた。非常な名演だったと思うけど、デンゼル・ワシントンが監督した「Fences」のヴィオラ・デイヴィスが受賞した。昨年のアカデミー賞ではノミネートにマイノリティが少ないと問題化したけど、今年の助演女優賞は5人中3人がアフリカ系だった。批判も影響したかもしれないけど、作品自体に力があったのだろう。
ということで、楽しいとか面白いという基準で見ると、ちょっと難しいかもしれないけど、一度は見るべき問題作だろう。マイノリティを描く視線が、社会問題を告発するという方向だけではなく、セクシャリティなどの観点からも描かれている。世界の多くのマイノリティ社会の方に「家父長制」が残り続けることはよくある。アメリカのマッチョ的風潮の中で、ただでさえ難しい荒廃した環境の中を生き抜いたシャロン。それはじっくり見る価値がある。そしてじっくり見ないと判らないように、監督も小さな声で語っている。