台湾の故エドワード・ヤン(楊徳昌、1947~2007)の畢生の大作「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」(1991)が、「4Kレストア・デジタルリマスター版」として公開されている。92年に日本で上映されたときは188分版だったけど、今回は236分版である。(日本でも、92年6月に236分版が公開されているというが、自分はその前に見たと思う。)長いからなかなか見る機会を作れなかったけど、ようやく見た。上映時間が4時間近いとなると、そうは見られないと思うけど、これは素晴らしい傑作である。
昔見た時もすごい傑作だと思った。僕のその年のベストワンである。批評家受けも良くて、キネ旬ベストテンで2位になっている。ちなみに1位は、さらに長いジャック・リヴェットの「美しき諍い女」だったから、これはやむを得ない。台湾映画ではホウ・シャオシェンはヒットするものの、エドワード・ヤンはあまり一般受けがしなかったと思う。都会の孤独をスタイリッシュに再構成するエドワード・ヤンの映画は時代を飛びぬけていたと思う。紛れもなく最高傑作だと思う「牯嶺街少年殺人事件」も、もう二度と見る機会がないかと諦めていた。その後、海外で評価が高まり、今回のデジタル版が昨年の東京国際映画祭で上映された。そして、満を持して一般上映である。
ただし、この映画は見ていて必ずしも判りやすい映画ではない。ロング・ショットの長回しの画面に、似たような登場人物が点景のように登場し、数人の主要人物以外の特定が難しいのである。表面的には、この映画は「対立する不良少年団もの」だけど、俳優はみな素人を使ってるし、関係が見えにくい。もちろん、そうじゃない作り方も容易にできるわけで、全体に夜の暗いシーンがほとんどであることも含めて、監督の意図した判りにくさである。それでも映画を見ている間は、退屈するということがなく、一貫して傑作を見ているんだという緊張感に支配されている。そんな映画である。
現代の台北を描くことが多かったエドワード・ヤンには珍しく、この映画は「過去」を描いている。具体的には1960年の台北である。そして、出てくる人々は「外省人」である。1949年、国共内戦に敗れた国民党政府が台湾に移るが、それに伴い台湾に移住した人を「外省人」、もともと台湾にいた人々を「本省人」と呼ぶ。ホウ・シャオシェンの「悲情城市」(1989)は本省人の運命を描いていた。
蒋介石が支配する戒厳令下の台湾社会。父は外省人の公務員だけど、融通が聞かない清廉な人物で、その子小四(シャオスー)も試験でうまく行かず、名門建国中学の昼間部には落第し、夜間部に通っている。(建国中というのは、日本統治下の台北一中である。)家族は夜間部に多い不良グループとつるむことを心配している。そんな小四は毎日のように仲間と学校の隣にある映画撮影所に忍び込んでいる。そんな彼がある日、小明(シャオミン)という少女と運命的に出会う。家庭的に恵まれない小明は、不良グループのリーダーの彼女である。
そんな二人を中心に、不良グループの抗争、小四の家族のあり方などが語られていく。10代半ばほどの幼い恋であり、幼い抗争事件なんだけど、彼らにとって生死を賭けたものである。その出口のない痛ましさは、10代の青春映画で多く描かれたものであるとともに、60年代初期の台湾社会の行き詰まりと暗さを象徴している。50年代から60年代にかけて、世界的に「不良青年もの」の映画が多数作られた。ジェームス・ディーンが、石原裕次郎が、ジャン・ピエール・レオが、ズビグニエフ・チブルスキーが…大人社会への反抗と孤独をヒロイックに演じていた。
この映画でも、不良青年たちは自分たちの仕切る音楽会を開き、そこではエルヴィス・プレスリーが歌われる。英語題の「A Brighter Summer Day」は60年に出たプレスリーのシングル「今夜はひとりかい?」(Are You Lonesome Tonight?)の歌詞から取られている。)だけど、憧れのアメリカは歌詞の中では輝いているけど、現実の台湾社会は暗かった。その中で起きた、ある少年による殺人事件。
現実に起きた事件がモデルで、建国中夜間部を退学になった少年が、在学中の少女を殺害して台湾社会に大きな衝撃を与えたという。エドワード・ヤンはその時建国中昼間部にいたというから、その衝撃は大きかっただろう。日本で言えば、「小松川事件」のようなものである。大島渚は事件をもとに「死刑と国家」を問う「絞死刑」を作ったけど、エドワード・ヤンはもっと乾いたタッチで大叙事詩「牯嶺街少年殺人事件」という大作で台湾社会の過去を総括したのである。
ところで、以前に見た時は「不良青年もの」の側面から見たと思う。でも、今回見てみると、家族映画の側面がかなり強いと思った。父親を先頭に、誠実で不器用な家族である。大陸から逃れて、両親と子ども5人の家庭。外省人だから支配の末席に連なるけれど、うまく世渡りができない。父は政治に絡んで取り調べも受ける。とても幸せに生きていけそうもない。息子の小四もどちらかというと、うまく生きていけないタイプに見えてくる。それが最後に悲劇につながってしまうのではないか。
今回は長い分、脇役的人物の描写が多く、それが世界の複雑さをより一層明確にしていると思う。でも、登場人物が多くて、画面はほとんど夜のシーンだから、長い映画を見ているうちに人物がこんがらかってくる。DVDで細かく見直せば新しい発見も多いかと思うけど、判らなくても大画面で少年少女たちの瞳を見つめていたい気がする。(ところで、ヒロイン役はなんでこんなにモテるのか。イマイチわかるような、わからんような…。モテるというよりも「守ってあげたい」ということかな)
昔見た時もすごい傑作だと思った。僕のその年のベストワンである。批評家受けも良くて、キネ旬ベストテンで2位になっている。ちなみに1位は、さらに長いジャック・リヴェットの「美しき諍い女」だったから、これはやむを得ない。台湾映画ではホウ・シャオシェンはヒットするものの、エドワード・ヤンはあまり一般受けがしなかったと思う。都会の孤独をスタイリッシュに再構成するエドワード・ヤンの映画は時代を飛びぬけていたと思う。紛れもなく最高傑作だと思う「牯嶺街少年殺人事件」も、もう二度と見る機会がないかと諦めていた。その後、海外で評価が高まり、今回のデジタル版が昨年の東京国際映画祭で上映された。そして、満を持して一般上映である。
ただし、この映画は見ていて必ずしも判りやすい映画ではない。ロング・ショットの長回しの画面に、似たような登場人物が点景のように登場し、数人の主要人物以外の特定が難しいのである。表面的には、この映画は「対立する不良少年団もの」だけど、俳優はみな素人を使ってるし、関係が見えにくい。もちろん、そうじゃない作り方も容易にできるわけで、全体に夜の暗いシーンがほとんどであることも含めて、監督の意図した判りにくさである。それでも映画を見ている間は、退屈するということがなく、一貫して傑作を見ているんだという緊張感に支配されている。そんな映画である。
現代の台北を描くことが多かったエドワード・ヤンには珍しく、この映画は「過去」を描いている。具体的には1960年の台北である。そして、出てくる人々は「外省人」である。1949年、国共内戦に敗れた国民党政府が台湾に移るが、それに伴い台湾に移住した人を「外省人」、もともと台湾にいた人々を「本省人」と呼ぶ。ホウ・シャオシェンの「悲情城市」(1989)は本省人の運命を描いていた。
蒋介石が支配する戒厳令下の台湾社会。父は外省人の公務員だけど、融通が聞かない清廉な人物で、その子小四(シャオスー)も試験でうまく行かず、名門建国中学の昼間部には落第し、夜間部に通っている。(建国中というのは、日本統治下の台北一中である。)家族は夜間部に多い不良グループとつるむことを心配している。そんな小四は毎日のように仲間と学校の隣にある映画撮影所に忍び込んでいる。そんな彼がある日、小明(シャオミン)という少女と運命的に出会う。家庭的に恵まれない小明は、不良グループのリーダーの彼女である。
そんな二人を中心に、不良グループの抗争、小四の家族のあり方などが語られていく。10代半ばほどの幼い恋であり、幼い抗争事件なんだけど、彼らにとって生死を賭けたものである。その出口のない痛ましさは、10代の青春映画で多く描かれたものであるとともに、60年代初期の台湾社会の行き詰まりと暗さを象徴している。50年代から60年代にかけて、世界的に「不良青年もの」の映画が多数作られた。ジェームス・ディーンが、石原裕次郎が、ジャン・ピエール・レオが、ズビグニエフ・チブルスキーが…大人社会への反抗と孤独をヒロイックに演じていた。
この映画でも、不良青年たちは自分たちの仕切る音楽会を開き、そこではエルヴィス・プレスリーが歌われる。英語題の「A Brighter Summer Day」は60年に出たプレスリーのシングル「今夜はひとりかい?」(Are You Lonesome Tonight?)の歌詞から取られている。)だけど、憧れのアメリカは歌詞の中では輝いているけど、現実の台湾社会は暗かった。その中で起きた、ある少年による殺人事件。
現実に起きた事件がモデルで、建国中夜間部を退学になった少年が、在学中の少女を殺害して台湾社会に大きな衝撃を与えたという。エドワード・ヤンはその時建国中昼間部にいたというから、その衝撃は大きかっただろう。日本で言えば、「小松川事件」のようなものである。大島渚は事件をもとに「死刑と国家」を問う「絞死刑」を作ったけど、エドワード・ヤンはもっと乾いたタッチで大叙事詩「牯嶺街少年殺人事件」という大作で台湾社会の過去を総括したのである。
ところで、以前に見た時は「不良青年もの」の側面から見たと思う。でも、今回見てみると、家族映画の側面がかなり強いと思った。父親を先頭に、誠実で不器用な家族である。大陸から逃れて、両親と子ども5人の家庭。外省人だから支配の末席に連なるけれど、うまく世渡りができない。父は政治に絡んで取り調べも受ける。とても幸せに生きていけそうもない。息子の小四もどちらかというと、うまく生きていけないタイプに見えてくる。それが最後に悲劇につながってしまうのではないか。
今回は長い分、脇役的人物の描写が多く、それが世界の複雑さをより一層明確にしていると思う。でも、登場人物が多くて、画面はほとんど夜のシーンだから、長い映画を見ているうちに人物がこんがらかってくる。DVDで細かく見直せば新しい発見も多いかと思うけど、判らなくても大画面で少年少女たちの瞳を見つめていたい気がする。(ところで、ヒロイン役はなんでこんなにモテるのか。イマイチわかるような、わからんような…。モテるというよりも「守ってあげたい」ということかな)