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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

東映実録映画とは何だったのか③-タブーはどう描かれたか

2017年04月22日 23時38分13秒 |  〃  (旧作日本映画)
 社会の裏側で「汚れ仕事」を行っている私的な暴力組織はどこの社会にもあるだろうと思う。そんなものはないという国があったとしたら、それは「公的な組織」(軍や秘密警察など)が汚れ仕事を引き受けているということだろう。ソ連やユーゴスラビアが崩壊してしまうと、ロシアやセルビアにも「組織暴力」がはびこるようになった。中国も経済開放を進めたら、同じようになった。

 どこの社会にも、売春や違法薬物などがあるものだけど、それ以上に「体制内」で問題が起こった時にそれを秘密裏に処理する「汚れ仕事」が必要とされたということだ。また、そういう組織には、一般社会で受け入れられないような「はみ出し者」が集中して、独特の対抗文化が形成される。だから、それらの組織には「社会的なタブー」がいっぱいあるもんだけど、実録映画ではどう描かれただろうか。

 そういうタブー的なテーマは本当は娯楽映画ではまず描かれない。だから「タブー」なわけだけど、この頃の東映実録映画ではかなり触れられている。もともと「仁義なき戦い」などは現実の抗争をもとに映画化したわけで、それ自体が一種の「タブー破り」だった。主人公は手記を著した美能幸三(映画では広能昌三=菅原文太)なので、抗争の中で反対の立場だったものには不満が大きかった。

 しかし、大ヒットしたことで、東映はある種「面白ければなんでもいい」的に企画を進めていく。もともとそういうスタンスが強い会社で、「良識派」からは非難されることが多かった。そこで大ヒットした深作欣二監督などは、製作にかなりの力を持ったと思う。もっとも深作欣二は「軍旗はためく下に」(1972)で、単なる反戦平和を超えた反軍から、さらに反天皇制をも見据えた映画を作っていた。実録映画はあくまでも「娯楽映画」の枠内にとどまり、さすがにそこまで深い思想的な映画は作れなかった。

 日本では長い間、暴力団が政界や実業界、あるいは興行界とは深い関係を持っていた。その後ずいぶん変わっていくし、法律の改正で今はなくなったようなことも多い。例えば「総会屋」という存在。松方弘樹主演の「暴力金脈」(1975、中島貞夫監督)では、足を洗った松方が総会屋になって東京進出を目指すが、それに因縁のヤクザ梅宮辰夫が付いてくる。丹波哲郎が大総会屋を演じていて迫力がある。会社の裏に不正ありと嗅ぎつけると「総会屋」の出番となる。誇張も多いだろうが、「そういう時代だったのか」的な作品である。もっともコミカルな作品でタブーに挑戦する感じは少ない。

 強大な権力との癒着そのものを直視する映画はない。(「日本の黒幕」という大作はそういう部分もあるかもしれないけど見ていない。)だけど、警察との癒着は「県警対組織暴力」(1975、深作欣二監督)で描かれた。菅原文太の警察官と松方弘樹の組長が「友情」で結ばれ、そこに組織暴力根絶を目指す県警本部のエリート梅宮辰夫が赴任する。いつもはヤクザを演じた俳優が警察側になる。だけど違法な取り調べなど、やってることはほとんど同じである。ヤクザとも付き合って「情報」を得ている、それなくして暴力団捜査はできないという「現場」的な感覚とあくまでも違法な組織征圧を目指すトップとの対立を鋭く描いている。相当の力作で面白く見られるけど、文太個人の問題に矮小化していて本質を突いているとまでは言えない。岡山の話とされ、梅宮が石油会社に天下るラストが印象的。

 一方、組織暴力の問題は、どこの国でも「差別」と深い関係を持っている。アメリカの場合は、イタリア系移民やアフリカ系、今はさらにアジア系などの民族問題を避けて通れない。日本の場合でも「差別」や「貧困」が背景にあって、暴力集団に参加したという人も多いはずである。そういう面もあまり本格的には描かれなかったけど、朝鮮人差別を直視した映画として「やくざの墓場 くちなしの花」(1976、深作欣二監督、笠原和夫脚本、キネ旬8位)がある。これは娯楽映画としては突出していて、当時は大きな話題となった。この映画も主筋は警察と暴力組織の癒着を描いている。渡哲也主演で、今回は上映がなかったので細かいことは覚えていない。

 「日本暴力列島 京阪神殺しの軍団」(1975、山下耕作監督)は、「朝鮮人」という言葉こそ出てこないが、冒頭に大阪・鶴橋の描写があり、「血」が強調されるので、判る人には容易に民族問題を背景にしていることが判る。これは山口組全国制覇の先駆けとなった「柳川組」をモデルにしていて、実際に組長は朝鮮人だった。組織内には日本人もいたが、内部で微妙ないさかいもあったと描かれている。ただし、この映画のテーマは民族問題ではなく、「大組織に使い捨てされる悲哀」である。小林旭の東映初主演映画。(なお、実録映画のモデルとなっている昭和20,30年代は、韓国との国交前で、「在日韓国人」という呼び方はしなかった。70年代半ばは「朝鮮人差別問題」と呼んでいたと思う。)

 また「沖縄」の問題は、「沖縄やくざ戦争」(1976)、「沖縄10年戦争」(1978、どちらも中島貞夫監督)が描いている。また深作欣二が実録映画以前、というか沖縄復帰以前でもあるが、「博徒外人部隊」(1971)を撮っている。いずれも沖縄進出をもくろむ本土のヤクザ組織と地元の「ウチナンチュー」意識を持つ組織との対立・抗争を描いている。見慣れた俳優たちが、沖縄を強調するのはさすがにちょっと違和感がある。(ヤクザ役俳優が警官役をやるのは、映画の配役なんだからどうってことないけど。)それと復帰直後で沖縄側にヤクザ映画のモデルとされることへの反発が強かった。武器の供出元として米軍が出てくることはあっても、基地問題や沖縄戦もあまり触れられない。

 このように成功の度合いはともあれ、実録映画は結構多彩なテーマに果敢に挑んでいた。しかし、こうしてみると、「問題」は描かれていない。これはさすがにタブーが強かったのか。「利権」とヤクザの関わりは、その後大きな問題となるが、実録映画製作時には同時代すぎたのかもしれない。実録映画そのものが、敗戦から30年ほど経って、過去の抗争が「歴史」になってきた地点で作られている。高度成長も終わり、戦後初期が一種ノスタルジックに語られていく風潮の中で存在したのである。「同和対策」問題は当然、1965年の同和対策審議会答申以後の問題だから、まだ対象化は難しい。

 もっとも山下耕作監督「夜明けの旗」(1976)がこの時代に東映で作られている。山下監督は、時代劇、任侠映画の名作をいくつも作ってきた監督だが、実録映画も何本か作っている。それらは「伝記映画」の色彩が強い。「夜明けの旗」も副題が「松本治一郎伝」とあり、不世出・不屈の反差別運動家だった解放同盟委員長の松本治一郎の正統的な伝記映画である。この映画はある種、大組織の動員を当て込んだ企画でもあるけれど、熱気ある大作になっている。その後ほとんど上映の機会がなく、今では見ていない人が多いと思うが、必見ではないか。大手の会社で製作された映画では、一番問題を直接訴えている映画だろう。だから東映映画人に問題意識はあったのである。
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