尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

冒険ふたたび、「キトラ・ボックス」-池澤夏樹を読む⑦

2017年04月07日 21時17分47秒 | 本 (日本文学)
 池澤夏樹の「アトミック・ボックス」(角川文庫)という本のことをちょっと前に書いた。(3.20付記事)ところで、その続編というべき「キトラ・ボックス」(角川書店)という長編小説がちょうど3月に出たばかりだった。最近、池澤夏樹の新刊は買ってなかったんだけど、そうと知ったら買わずにいられない。長そうな「騎士団長殺し」を後回しにして、こっちを読み始めたら、スイスイ読めて一日で終わってしまった。

 まあ、ものすごく出来がいいかというと、ちょっと疑問もあるけれど、とにかく面白い。その一番の理由は、前作「アトミック・ボックス」の主要登場人物が再結集することである。前の本の登場人物はとてもよくできていた。その設定をそのまま使えるんだから、スイスイ進むわけだ。逆に言えば、前作を読まずに、こっちから読んではいけない。前作の結末を前提にして書いてあるから。

 もっとも、前作のヒロイン宮本美汐は今回は脇役である。美汐と一時付き合いながら若い院生に心が移り、その後捨てられてしまったという讃岐大学准教授の藤波三次郎。前回は脇役だったけど、今回の主役は彼の方で、専門の考古学でちゃんと活躍させてもらっている。でも真の主人公はウィグル族の女性研究者で、大阪の民族学博物館で研究職をしているカトゥン、可敦という人である。この人の研究上の活躍と同時に、ウィグル族をめぐる複雑な政治情勢がテーマとなっている。

 藤波は瀬戸内海の高地性集落を研究していたが、もうひとつ、奈良県の天川にある日月神社(フィクション)のご神体の研究を頼まれる。その鏡と似ていると思われるものが新疆で発掘されていて、その報告をした人がいま民博にいると知った藤波はその女性研究者、可敦に連絡を取る。さらにしまなみ海道の大三島に、もう一つ似た鏡があるということで二人で見に行くと…。そこで可敦は何者かによって拉致されそうに…。彼女を守るため、藤波は美汐に助けを求め…。意外な人物まで総結集して救援に動き始める。前回は日本政府が相手だったけど、今度は中国公安(と思われる)が相手とは。

 実はもうひとり、主人公的な人物がいて、それはキトラ古墳の被葬者その人である。なんで関係してくるかというと、可敦さんが鏡の文様とキトラ古墳の壁画の類似に気が付くのである。それは現代の話だけど、小説の中ではキトラ古墳の盗掘から話が始まり、古代の人々が登場してくる。そして、「キトラ古墳の真の被葬者」が判るという設定になっている。なんとも大胆な設定である。歴史上の疑問点を「解決」してしまうんだから。中で書かれているように、キトラ古墳の被葬者は、阿倍御主人(あべの・みうし)とか高市皇子、弓削皇子などの説が出されている。小説もそれに基づいている。

 という、1300年の時空を超えて人々が活躍するという大胆不敵な小説である。だけど、ミステリーや冒険小説としてはちょっと物足りない。そういう小説は、謀略のスケールの大きさ、主人公たちの陥る危険の深さがあってこそ、スリルとサスペンスがいや増すことになる。でも、「キトラ・ボックス」はそこがちょっと弱くて、サスペンスというより「仲間小説」っぽい作り。まあ、いつもいつも緊張して書いてるわけにもいかないだろうから、これはこれで楽しい。むしろ、「古代史ミステリー」の趣も強くて、壬申の乱をめぐる「真相」などちょっと驚く設定になっている。

 ところで、中国の民族問題、特にチベットとウィグルをどう考えるべきか。この小説はその難問を突き付ける面もある。昔のミステリーでは、なんでもアメリカのCIA、あるいはソ連のKGBなんかの謀略にしてしまうことがあった。中国の台頭とともに、日本でも中国公安が出てくる小説がけっこうあると思うけど、そういう時代になっている。「キトラ・ボックス」に出てくる話自体はフィクションだけど、ウィグル族に対する監視が日本でも行われているのは事実だろう。ウィグル人研究者が帰国したまま出国できない事態は、今までにも起きている。そういうことも考えさせる小説である。
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