詩人・評論家の大岡信(おおおか・まこと)氏が亡くなった。1931年2月16日~2017年4月5日、86歳。ごく最近、岩波文庫の「自選 大岡信詩集」を読んだばかりで、感想を書こうかどうしようかと思っていたところだった。他のことを書こうと思ってたんだけど、それではやはり追悼としても書いておきたいと思った。というと、大岡信をたくさん読んできたと思われるかもしれない。実はそうでもないし、有名な「折々のうた」も読んだり読まなかったりだった。
僕は現代詩をそんなに読んでないんだけど、それでも全然読まないという人が多いと思うから、そういう中では読んでる方になると思う。昔、角川文庫で現代詩選集5巻が出たときがあり、それを高校生ころに読んだから、戦後の重要な詩人には一応一回は触れたのである。大岡信の詩ももちろん入っていて、60年代までに書かれた詩を読んで強い印象を受けた。例えば、有名な「マリリン」のラスト「マリリン/マリーン/ブルー」のイメージの飛翔に感銘を受けたのである。
そんな中で一番心を打ったのが「一九五一年降誕祭前夜—朝鮮戦争の時代」という詩だった。読んでいたのが、まさに冬休みのころで、僕にとっては「一九七二年降誕祭前夜—ベトナム戦争の時代」だった。ちょうどニクソン米大統領が猛烈な北ベトナム爆撃(北爆)を行っていた時である。パリで行われていたベトナム和平交渉は最終盤を迎えていると報じられていた。実際、ベトナム和平協定(パリ協定)が締結されたのは、1973年1月27日のことである。それなら北爆などないはずだが、その最後のころに猛烈な爆撃が行われた。国際政治の酷烈なさまを見せつけられたわけだが、僕はこれは和平協定が近いということを逆説的に示しているんだろうとはニュースを聞いて思ったのだった。
ところで、「降誕祭前夜」とは、つまり「クリスマスイブ」のこと。でも漢字で書くだけで、なんだか詩的なムードがグッと高まるではないか。「おれたちの青春は雨にうたれている」と詠まれた冷徹な認識と愛をうたった清冽な詩情が同居する。大岡信の詩的世界に僕は圧倒されたのである。冒頭におかれた「青春」という詩は「あてどない夢の過剰が、一つの愛から夢を奪った。おごる心の片隅に、少女の額の傷のような裂目がある」と始まる。詩だから具体的にはよく判らないんだけど、青春に傷つく心の彷徨が読む者の心に強く伝わってくるではないか。
その後の詩人の歩みも書きたいところだけど、今回「自選 大岡信詩集」を読むと、それ以前の作品が大量に採用されている。そしてその初期詩集は、17歳で知り合い、曲折はありつつも結婚し生涯をともにした妻・深瀬サキ(彼女も詩を書き、筆名が深瀬サキだった)への愛を背景にして書かれている。だけど、知り合う前の16歳に書かれた「朝の頌歌(ほめうた)」もすでに抒情の質において、明らかに後の大詩人を思わせている。
「朝は 白い服を着た少女である/朝は/谷間から/泉から/大空の雲から/野木のささやかな流れから/朽ちた木橋のたもとから/その純白な姿を/風に匂はせながら静かに現れる」と始まる。この詩を16歳で書いていたのだから、驚くほかはない。言葉によって紡がれるイメージの連鎖にビックリする。
僕がこの前書いていた作家日野啓三は、大岡信にとって一高で一年先輩だった。その後、東大入学後、日野、大岡、佐野洋で同人誌を作る。卒業後、読売新聞に入社するまで三人の経路は共通していた。日野啓三が亡くなった時、葬儀委員長を務めたのは大岡信だった。日野啓三は新聞をやめず、ベトナム特派員になるわけだが、大岡信は1963年に32歳で退社。堤清二のあっせんでパリ・ビエンナーレに参加し、以後の国際的活躍が始まるわけである。
詩集にある年譜をみると、1974年のところに、実相寺昭雄監督「あさき夢みし」の脚本を担当。また潤色を担当した「トロイアの女」を早稲田小劇場で上演と出ている。詩や評論に限らず、広いフィールドで活躍する文学者だったのである。ずいぶん僕もその名を見聞きしていた。(ちなみに、この「あさき夢みし」は「とはずかたり」の映画化で、非常に面白い傑作だと思った。近く実相寺監督の特集上映がユーロスペースであるんだけど、この映画が入ってないのは残念だ。)
連歌に通じる「連詩」を提唱・実践しつつも、「うたげと孤心」という評論の名にあるような、双方を日本文化の伝統、詩の本質と見たんだと思う。この「うたげと孤心」という言葉は知っていると人生に役立つと思う。僕にとっての大岡信はそこまでで、その後「折々のうた」で有名になっちゃった後はあまり読んでない。岩波文庫の詩集は、機会があれば読んでてほしい。
僕は現代詩をそんなに読んでないんだけど、それでも全然読まないという人が多いと思うから、そういう中では読んでる方になると思う。昔、角川文庫で現代詩選集5巻が出たときがあり、それを高校生ころに読んだから、戦後の重要な詩人には一応一回は触れたのである。大岡信の詩ももちろん入っていて、60年代までに書かれた詩を読んで強い印象を受けた。例えば、有名な「マリリン」のラスト「マリリン/マリーン/ブルー」のイメージの飛翔に感銘を受けたのである。
そんな中で一番心を打ったのが「一九五一年降誕祭前夜—朝鮮戦争の時代」という詩だった。読んでいたのが、まさに冬休みのころで、僕にとっては「一九七二年降誕祭前夜—ベトナム戦争の時代」だった。ちょうどニクソン米大統領が猛烈な北ベトナム爆撃(北爆)を行っていた時である。パリで行われていたベトナム和平交渉は最終盤を迎えていると報じられていた。実際、ベトナム和平協定(パリ協定)が締結されたのは、1973年1月27日のことである。それなら北爆などないはずだが、その最後のころに猛烈な爆撃が行われた。国際政治の酷烈なさまを見せつけられたわけだが、僕はこれは和平協定が近いということを逆説的に示しているんだろうとはニュースを聞いて思ったのだった。
ところで、「降誕祭前夜」とは、つまり「クリスマスイブ」のこと。でも漢字で書くだけで、なんだか詩的なムードがグッと高まるではないか。「おれたちの青春は雨にうたれている」と詠まれた冷徹な認識と愛をうたった清冽な詩情が同居する。大岡信の詩的世界に僕は圧倒されたのである。冒頭におかれた「青春」という詩は「あてどない夢の過剰が、一つの愛から夢を奪った。おごる心の片隅に、少女の額の傷のような裂目がある」と始まる。詩だから具体的にはよく判らないんだけど、青春に傷つく心の彷徨が読む者の心に強く伝わってくるではないか。
その後の詩人の歩みも書きたいところだけど、今回「自選 大岡信詩集」を読むと、それ以前の作品が大量に採用されている。そしてその初期詩集は、17歳で知り合い、曲折はありつつも結婚し生涯をともにした妻・深瀬サキ(彼女も詩を書き、筆名が深瀬サキだった)への愛を背景にして書かれている。だけど、知り合う前の16歳に書かれた「朝の頌歌(ほめうた)」もすでに抒情の質において、明らかに後の大詩人を思わせている。
「朝は 白い服を着た少女である/朝は/谷間から/泉から/大空の雲から/野木のささやかな流れから/朽ちた木橋のたもとから/その純白な姿を/風に匂はせながら静かに現れる」と始まる。この詩を16歳で書いていたのだから、驚くほかはない。言葉によって紡がれるイメージの連鎖にビックリする。
僕がこの前書いていた作家日野啓三は、大岡信にとって一高で一年先輩だった。その後、東大入学後、日野、大岡、佐野洋で同人誌を作る。卒業後、読売新聞に入社するまで三人の経路は共通していた。日野啓三が亡くなった時、葬儀委員長を務めたのは大岡信だった。日野啓三は新聞をやめず、ベトナム特派員になるわけだが、大岡信は1963年に32歳で退社。堤清二のあっせんでパリ・ビエンナーレに参加し、以後の国際的活躍が始まるわけである。
詩集にある年譜をみると、1974年のところに、実相寺昭雄監督「あさき夢みし」の脚本を担当。また潤色を担当した「トロイアの女」を早稲田小劇場で上演と出ている。詩や評論に限らず、広いフィールドで活躍する文学者だったのである。ずいぶん僕もその名を見聞きしていた。(ちなみに、この「あさき夢みし」は「とはずかたり」の映画化で、非常に面白い傑作だと思った。近く実相寺監督の特集上映がユーロスペースであるんだけど、この映画が入ってないのは残念だ。)
連歌に通じる「連詩」を提唱・実践しつつも、「うたげと孤心」という評論の名にあるような、双方を日本文化の伝統、詩の本質と見たんだと思う。この「うたげと孤心」という言葉は知っていると人生に役立つと思う。僕にとっての大岡信はそこまでで、その後「折々のうた」で有名になっちゃった後はあまり読んでない。岩波文庫の詩集は、機会があれば読んでてほしい。