日本映画史上に異彩を放つ映画監督、川島雄三が生誕百年になる。川島雄三は1918年2月4日に青森県田名部町(むつ市)に生まれ、1963年6月11日に亡くなった。享年45歳。筋萎縮性側索硬化症という難病を若い時から患っていて、晩年は歩行が不自由だったという。脚本家時代に弟子だった作家藤本義一は、「生きいそぎの記」と題した本を書いている。生地のむつ市で特集上映が行われ、衛星放送では50本の放映が行われるというが、東京では(今のところ)大々的な回顧上映が企画されていない。ここで川島雄三再評価の機運を高めたいと思って振り返ってみたい。
(川島雄三監督)
川島雄三は松竹映画「還って来た男」で1944年に監督デビューしている。「戦中派」だったのかとちょっとビックリするが、その後、日活、東宝に移籍し、また重要作品を大映で3本撮っている。今まで生誕百年が大々的に回顧された監督は、小津安二郎なら松竹、黒澤明なら東宝と中心になる会社があった。まあ小津や黒澤も他社で重要作を撮っているが、川島ほど各社にまたがってはいない。中心になって回顧してくれる会社がないのは川島雄三にふさわしい感じもあるが。
川島作品はキネ旬ベストテンには2作しか入選していない。一つは1957年の「幕末太陽傳」の4位、もう一つは1963年の「しとやかな獣」の6位。「幕末太陽傳」はキネマ旬報が2009年に行ったオールタイムベストテン投票でも、堂々の4位になっている。(1位は「東京物語」、続いて「七人の侍」「浮雲」で、5位が「仁義なき戦い」になっている。)日活で作られた「幕末太陽傳」はどんどん評価が高まっているが、川島雄三の最高傑作だということは、誰が見ても揺るがないだろう。
この2作品は僕も若いころから何度か見ているが、昔は他の作品がほとんど上映されなかった。1956年の「洲崎パラダイス 赤信号」や1962年の「雁の寺」ぐらいしか見られなかったものだ。「雁の寺」は水上勉の直木賞作品の映画化で、若尾文子の名演もあって15位にはなっている。でも、「洲崎パラダイス 赤信号」は今見ればすごい傑作だけど、当時のベストテンでは28位にしか入ってない。でも入れた人がいるだけいいので、川島作品の多くはほとんどが作品的には忘れられていた。
(「洲崎パラダイス 赤信号」)
最近は古い日本映画を専門的に上映するところが東京に複数出来て、川島作品もずいぶんやっている。主演級だった俳優が亡くなって追悼上映があったりすると、各社で撮っていただけあって川島作品がよく入っている。そうやって川島映画をかなり見られるようになると、「文芸映画の名手」という面と「時代を突き抜けたカルト作家」という側面が見えてくる。「しとやかな獣」は今見ても強い毒がインパクトがある。設定も構図や色彩なども、かなりぶっ飛んでいるから、調子が悪い時に見ると入り込めない時もある。でも間違いなく傑作である。
(「しとやかな獣」)
しかし、どうも時代が早すぎたようなブラックユーモア作品も多い。どちらも1959年東京映画作品の「グラマ島の誘惑」「貸間あり」などは、もう笑えないレベルすれすれ。飯田匡原作の「グラマ島の誘惑」なんか、皇族と慰安婦が遭難して同じ島に漂着するという設定だから、そんな映画があったんだと驚いてしまう。井伏鱒二の原作「貸間あり」も怪しい間借り人が集まるアパートのセットがすごい。フランキー堺、桂小金治の主要キャストも共通している。落語家の桂小金治をスカウトしたのは川島監督だった。「人も歩けば」「縞の背広の親分衆」「イチかバチか」(遺作)など、後期の東宝作品にブラックユーモア色が強いのは健康状態もあったのだろうか。
一方同時期でも1960年「赤坂の姉妹 夜の肌」(原作由起しげ子)、1961年「特急にっぽん」(原作獅子文六)、「花影」(原作大岡昇平)、1962年の「青べか物語」(原作山本周五郎)、「箱根山」(原作獅子文六)などの安定した文芸作品を連発している。今見ると、これらの映画は風俗的にも興味深く、原作を巧みに映像化した手腕にしびれる。今なら名作と評価されたに違いない。だが、これほど連発することは会社の映画でないと難しい。この時代の最高傑作は、大映で撮った冨田常雄原作の「女は二度生まれる」だろう。神楽坂の芸者、若尾文子の男性遍歴を丹念に描いて、社会批判を忍ばせる。
後期の東宝、大映作品で長くなってしまったが、一番多くの作品を撮っている松竹映画は見てないものも多い。デビュー作の「還って来た男」は織田作之助原作で、教師の田中絹代と帰還した兵士の話。その後24本も撮っている。「とんかつ大将」(1952)、「東京マダムと大阪夫人」(1953)などは傑作コメディ。後者は芦川いづみのデビュー作品。「適齢三人娘」(1951)、「明日は月給日」(1952)は、占領下で復興していく世相も興味深く、コメディとしてなかなか面白いと思う。
日活に移った後は、最初の「愛のお荷物」(1955)が非常に出来が良いコメディ。今と違って、日本は人口抑制が課題と考えられていて、そのことを厚生大臣一家を題材に面白おかしく描いている。最後は山村聰の大臣にも子供が出来てしまう。「あした来る人」や「風船」「わが町」など原作ものも多いが、やはりこの時代は「幕末太陽傳」ということになる。こう見てくると、喜劇的才能を発揮した感じだが、社会風刺やブラックユーモアのスパイスが効いている作品が多い。
安定して原作を任せられると考えられていたと思うが、今見ると当時の世相の映像が貴重である。当時の箱根や浦安は今や川島作品を見るしかない。また「特急にっぽん」は獅子文六ん「七時間半」の映画化だが、新幹線以前の東海道線の最速特急「こだま号」の姿を堪能できる。また売防法施行直前の「洲崎パラダイス」も貴重だ。そのような意味も含めて、川島雄三作品は今も新しい感じで楽しめる。今後も初期作品を中心に発掘が進むことを期待したい。まだ全貌が見えていないと思う。
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川島雄三は松竹映画「還って来た男」で1944年に監督デビューしている。「戦中派」だったのかとちょっとビックリするが、その後、日活、東宝に移籍し、また重要作品を大映で3本撮っている。今まで生誕百年が大々的に回顧された監督は、小津安二郎なら松竹、黒澤明なら東宝と中心になる会社があった。まあ小津や黒澤も他社で重要作を撮っているが、川島ほど各社にまたがってはいない。中心になって回顧してくれる会社がないのは川島雄三にふさわしい感じもあるが。
川島作品はキネ旬ベストテンには2作しか入選していない。一つは1957年の「幕末太陽傳」の4位、もう一つは1963年の「しとやかな獣」の6位。「幕末太陽傳」はキネマ旬報が2009年に行ったオールタイムベストテン投票でも、堂々の4位になっている。(1位は「東京物語」、続いて「七人の侍」「浮雲」で、5位が「仁義なき戦い」になっている。)日活で作られた「幕末太陽傳」はどんどん評価が高まっているが、川島雄三の最高傑作だということは、誰が見ても揺るがないだろう。
この2作品は僕も若いころから何度か見ているが、昔は他の作品がほとんど上映されなかった。1956年の「洲崎パラダイス 赤信号」や1962年の「雁の寺」ぐらいしか見られなかったものだ。「雁の寺」は水上勉の直木賞作品の映画化で、若尾文子の名演もあって15位にはなっている。でも、「洲崎パラダイス 赤信号」は今見ればすごい傑作だけど、当時のベストテンでは28位にしか入ってない。でも入れた人がいるだけいいので、川島作品の多くはほとんどが作品的には忘れられていた。
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最近は古い日本映画を専門的に上映するところが東京に複数出来て、川島作品もずいぶんやっている。主演級だった俳優が亡くなって追悼上映があったりすると、各社で撮っていただけあって川島作品がよく入っている。そうやって川島映画をかなり見られるようになると、「文芸映画の名手」という面と「時代を突き抜けたカルト作家」という側面が見えてくる。「しとやかな獣」は今見ても強い毒がインパクトがある。設定も構図や色彩なども、かなりぶっ飛んでいるから、調子が悪い時に見ると入り込めない時もある。でも間違いなく傑作である。
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しかし、どうも時代が早すぎたようなブラックユーモア作品も多い。どちらも1959年東京映画作品の「グラマ島の誘惑」「貸間あり」などは、もう笑えないレベルすれすれ。飯田匡原作の「グラマ島の誘惑」なんか、皇族と慰安婦が遭難して同じ島に漂着するという設定だから、そんな映画があったんだと驚いてしまう。井伏鱒二の原作「貸間あり」も怪しい間借り人が集まるアパートのセットがすごい。フランキー堺、桂小金治の主要キャストも共通している。落語家の桂小金治をスカウトしたのは川島監督だった。「人も歩けば」「縞の背広の親分衆」「イチかバチか」(遺作)など、後期の東宝作品にブラックユーモア色が強いのは健康状態もあったのだろうか。
一方同時期でも1960年「赤坂の姉妹 夜の肌」(原作由起しげ子)、1961年「特急にっぽん」(原作獅子文六)、「花影」(原作大岡昇平)、1962年の「青べか物語」(原作山本周五郎)、「箱根山」(原作獅子文六)などの安定した文芸作品を連発している。今見ると、これらの映画は風俗的にも興味深く、原作を巧みに映像化した手腕にしびれる。今なら名作と評価されたに違いない。だが、これほど連発することは会社の映画でないと難しい。この時代の最高傑作は、大映で撮った冨田常雄原作の「女は二度生まれる」だろう。神楽坂の芸者、若尾文子の男性遍歴を丹念に描いて、社会批判を忍ばせる。
後期の東宝、大映作品で長くなってしまったが、一番多くの作品を撮っている松竹映画は見てないものも多い。デビュー作の「還って来た男」は織田作之助原作で、教師の田中絹代と帰還した兵士の話。その後24本も撮っている。「とんかつ大将」(1952)、「東京マダムと大阪夫人」(1953)などは傑作コメディ。後者は芦川いづみのデビュー作品。「適齢三人娘」(1951)、「明日は月給日」(1952)は、占領下で復興していく世相も興味深く、コメディとしてなかなか面白いと思う。
日活に移った後は、最初の「愛のお荷物」(1955)が非常に出来が良いコメディ。今と違って、日本は人口抑制が課題と考えられていて、そのことを厚生大臣一家を題材に面白おかしく描いている。最後は山村聰の大臣にも子供が出来てしまう。「あした来る人」や「風船」「わが町」など原作ものも多いが、やはりこの時代は「幕末太陽傳」ということになる。こう見てくると、喜劇的才能を発揮した感じだが、社会風刺やブラックユーモアのスパイスが効いている作品が多い。
安定して原作を任せられると考えられていたと思うが、今見ると当時の世相の映像が貴重である。当時の箱根や浦安は今や川島作品を見るしかない。また「特急にっぽん」は獅子文六ん「七時間半」の映画化だが、新幹線以前の東海道線の最速特急「こだま号」の姿を堪能できる。また売防法施行直前の「洲崎パラダイス」も貴重だ。そのような意味も含めて、川島雄三作品は今も新しい感じで楽しめる。今後も初期作品を中心に発掘が進むことを期待したい。まだ全貌が見えていないと思う。