まだチャペックを読んでたのかという感じだが、「山椒魚戦争」(1936)を読まなくちゃ。チャペックは軽妙なエッセイ、時事的な評論などをいっぱい書いてるけど、本職は小説家である。純文学的な作品、ミステリーなど様々な傾向の著作がある。今も評価が高いのはSF作家としての仕事だろう。何しろロボットという言葉は、チャペックが作ったぐらいである。その中でも大著「山椒魚戦争」は傑作であり、チャペックの小説で一番知られている。
昔から有名で、日本でも何種か翻訳が出ている。初めてチェコ語から訳した栗栖継訳は、1978年に岩波文庫に入った。僕は1989年の7刷を買っていたので、30年近く放っておいた本を見つけ出してきた。これがめっぽう面白い。ホラ話と物語性、風刺と警世、評論と時事的関心などが絶妙に交じりあっている。最後の方は警世の書としての性格が強くなりすぎている感もあるが、チェコスロヴァキアという国がナチスに侵略される危機にあったんだから仕方ないだろう。
ヴァン・トフ船長はインドネシア(当時はオランダ領東インド)でオランダ船の船長をしていたが、ある島の入り江で原住民に怖れられる不思議なサンショウウオを知る。他の島へ行く能力はないが、道具を使えて人間の言葉を理解できた。そこで真珠貝を割らせる仕事をさせるための「家畜」として使うことを思いつく。もともとはヴァントフというモラビア人(チェコ中央部)だったので、帰郷した時に同郷の富豪G・H・ボンディに出資を仰ぎ大々的な事業展開を始める。
この第一部のホラ話がとても面白い。冒険的気風の船長ものという定型をなぞりながら、なんとサンショウウオかよという驚きを読者にもたらす。それがあれよあれよと世界に広まり、サンショウウオをどう理解するべきか大問題になっていく。なんでサンショウウオかと思うと、もともとはヨーロッパで19世紀に見つかった化石がノアの箱舟以前の人間と誤解された事実からだという。
サンショウウオというのは、現在はほぼ東アジアの固有種で、特に日本にしかいないものも多い。この小説で出てくるオオサンショウウオは学名も「Andrias japonicus」と日本の名が入っている。シーボルトがヨーロッパに紹介したという。日本では井伏鱒二「山椒魚」が有名だから、なんとなく小説の題名にあっても不思議じゃない感じがするが、世界的には珍種。(日本でも特別天然記念物。)なんだかけっこう気持ち悪い外見だけど、「キモカワイイ」というやつかもしれない。
ボンディ家の門番ポヴォンドラ氏はヴァントフ船長の訪問を門前払いしても良かったわけだが、勘が働いて主人に会わせた。それが歴史を変えたと自負する彼は、世界に広まったサンショウウオに関する新聞記事、ビラ、研究論文等を収集するようになる。夫人によってかなり燃やされたが、残った資料が第2部という設定。そんなバカなという論文や記事が満載で、バカバカしい設定を大真面目に語っている。少し長すぎるかもしれないが。メルヴィルの「白鯨」が鯨百科になっているのと同様だが、こっちは全部がデタラメである。デタラメが過ぎて、日本語のチラシ(読めない)まである。日本は国際連盟で「有色人種代表」としてサンショウウオ問題を取り上げていたのだ。
そして第三部になって、サンショウウオが増えすぎて人間の大地を侵食し始める。人間は利用しようとして統御できなくなり、そうなってもお互いの利益のために争い続ける。そのバカげた有様を思う存分風刺している。それは当時の大恐慌やファシズムを背景にしているが、今読んでもまったく古びてない。原子力を利用として制御できない現実。それは今週書いた映画「スリー・ビルボード」が突き付ける怒りの連鎖の問題にも通じる。トランプ政権、安倍政権の政策に見られる発想にも通じる。ありえない設定のように見えて、人間の愚かなふるまいは全く変わっていないのだ。今もなお生きている小説なのである。
戯曲「ロボット」(1920)も岩波文庫にある。これは前に読んでいたけど、今もなお面白い。もちろんロボットを作り過ぎてロボットは反乱を起こすという筋立て自体は今では古いだろう。でも「科学の発達で便利になったものが、かえって人類を滅亡させる」というテーマそのものが今も生きているということなのである。どこかの島にあるロボット工場という設定が、マッドサイエンティストが住む島というSFの類型に則っている。セリフの中に今では問題もあるし、人物設定も古い。だから今では上演は難しいかもしれないが、読む分には面白く読める。当時は日本でも築地小劇場で上演された。なお、「ロボット」という言葉自体は兄のヨゼフが示唆したと言われている。
昔から有名で、日本でも何種か翻訳が出ている。初めてチェコ語から訳した栗栖継訳は、1978年に岩波文庫に入った。僕は1989年の7刷を買っていたので、30年近く放っておいた本を見つけ出してきた。これがめっぽう面白い。ホラ話と物語性、風刺と警世、評論と時事的関心などが絶妙に交じりあっている。最後の方は警世の書としての性格が強くなりすぎている感もあるが、チェコスロヴァキアという国がナチスに侵略される危機にあったんだから仕方ないだろう。
ヴァン・トフ船長はインドネシア(当時はオランダ領東インド)でオランダ船の船長をしていたが、ある島の入り江で原住民に怖れられる不思議なサンショウウオを知る。他の島へ行く能力はないが、道具を使えて人間の言葉を理解できた。そこで真珠貝を割らせる仕事をさせるための「家畜」として使うことを思いつく。もともとはヴァントフというモラビア人(チェコ中央部)だったので、帰郷した時に同郷の富豪G・H・ボンディに出資を仰ぎ大々的な事業展開を始める。
この第一部のホラ話がとても面白い。冒険的気風の船長ものという定型をなぞりながら、なんとサンショウウオかよという驚きを読者にもたらす。それがあれよあれよと世界に広まり、サンショウウオをどう理解するべきか大問題になっていく。なんでサンショウウオかと思うと、もともとはヨーロッパで19世紀に見つかった化石がノアの箱舟以前の人間と誤解された事実からだという。
サンショウウオというのは、現在はほぼ東アジアの固有種で、特に日本にしかいないものも多い。この小説で出てくるオオサンショウウオは学名も「Andrias japonicus」と日本の名が入っている。シーボルトがヨーロッパに紹介したという。日本では井伏鱒二「山椒魚」が有名だから、なんとなく小説の題名にあっても不思議じゃない感じがするが、世界的には珍種。(日本でも特別天然記念物。)なんだかけっこう気持ち悪い外見だけど、「キモカワイイ」というやつかもしれない。
ボンディ家の門番ポヴォンドラ氏はヴァントフ船長の訪問を門前払いしても良かったわけだが、勘が働いて主人に会わせた。それが歴史を変えたと自負する彼は、世界に広まったサンショウウオに関する新聞記事、ビラ、研究論文等を収集するようになる。夫人によってかなり燃やされたが、残った資料が第2部という設定。そんなバカなという論文や記事が満載で、バカバカしい設定を大真面目に語っている。少し長すぎるかもしれないが。メルヴィルの「白鯨」が鯨百科になっているのと同様だが、こっちは全部がデタラメである。デタラメが過ぎて、日本語のチラシ(読めない)まである。日本は国際連盟で「有色人種代表」としてサンショウウオ問題を取り上げていたのだ。
そして第三部になって、サンショウウオが増えすぎて人間の大地を侵食し始める。人間は利用しようとして統御できなくなり、そうなってもお互いの利益のために争い続ける。そのバカげた有様を思う存分風刺している。それは当時の大恐慌やファシズムを背景にしているが、今読んでもまったく古びてない。原子力を利用として制御できない現実。それは今週書いた映画「スリー・ビルボード」が突き付ける怒りの連鎖の問題にも通じる。トランプ政権、安倍政権の政策に見られる発想にも通じる。ありえない設定のように見えて、人間の愚かなふるまいは全く変わっていないのだ。今もなお生きている小説なのである。
戯曲「ロボット」(1920)も岩波文庫にある。これは前に読んでいたけど、今もなお面白い。もちろんロボットを作り過ぎてロボットは反乱を起こすという筋立て自体は今では古いだろう。でも「科学の発達で便利になったものが、かえって人類を滅亡させる」というテーマそのものが今も生きているということなのである。どこかの島にあるロボット工場という設定が、マッドサイエンティストが住む島というSFの類型に則っている。セリフの中に今では問題もあるし、人物設定も古い。だから今では上演は難しいかもしれないが、読む分には面白く読める。当時は日本でも築地小劇場で上演された。なお、「ロボット」という言葉自体は兄のヨゼフが示唆したと言われている。