ここには書いてないけど、実はピョンチャン五輪を見たり、昔の映画を見たりして日々が過ぎている。五輪をめぐる話はいずれまとめて書きたいが、昔の映画の話は書きだすと毎日長くなってしまうからあまり書いてない。フィルムセンターでは、小津の「浮草」のカラー修復版を見たし、五所平之助の「大阪の宿」「朝の波紋」を見た。また、大映女優祭をあちこちでやってたが、今度は大映男優祭も始まる。大体見ているから全部通うわけじゃないが、何本かは見たい。
ところで新文芸座で「貴族の階段」と「何がジェーンに起こったか」という映画を見たんだけど、「階段映画」というものがあるなあと思った。「怪談映画」はいっぱいあるけど、そっちじゃなくて「階段映画」。映画史的に思い出してみても、階段を利用した名シーンは数多い。まずは「戦艦ポチョムキン」のオデッサ階段。あるいは「ローマの休日」のスペイン広場の階段。
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どっちも外の階段だけど、中にある階段が印象的な映画と言えば、まずはヒッチコックの「めまい」か。日本映画なら「蒲田行進曲」の「階段落ち」シーンか。今はCGで宇宙空間の大スペクタクルを見せられるけど、昔の技術だと階段が「上下」の動きを一番見せやすいということか。特に日本だとちょっと前まで「平屋建て」がほとんどで二階も珍しかった。(この前見た脚本家の水木洋子の家も平屋。)だから「階段」の持つ意味も今よりも大きかったに違いない。
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さて題名に階段が付いている「貴族の階段」。1959年の吉村公三郎監督作品。武田泰淳の原作を新藤兼人脚本で映画化したものである。原作は持ってるけど読んでない。でも新藤のシナリオはかなりよくまとまっているように思う。間野重雄の美術が見どころがある。ここで「階段」というのは、一種の比喩であるとともに、華族の頂点にある貴族院議長西の丸家の階段をもさしている。ここには滝沢修演じる陸軍大臣が訪れ、密談の後に帰るときに階段を転がり落ちる。
(「貴族の階段」)
西の丸公爵(森雅之)は貴族院議長で、後に首相となるから近衛文麿に近いが、近衛は2・26事件で襲撃されてはいない。襲われた牧野伸顕や多くの人のイメージが交じって作られたんだろう。陸軍の皇道派軍人は歴史に闇に消え、貴族が生き残って「階段」を上る。そういう意味の題名だろう。日本では上流階級を描く映画、小説があまりない。歴史研究も遅れていた。
そういう中で50年代に作られた「貴族の階段」は重要だと思う。吉村監督は1956年の「夜の河」が最高だが、以後も文芸作品の映画化などで安定した力を発揮している。陸軍軍人の娘役の叶順子、あるいは西の丸公爵の娘役の金田一敦子がとても良かった。大映女優陣のトップ級が出てない分、今は忘れられたような女優の力演がかえって効果を挙げていると思う。公爵長男の若き本郷功次郎も初々しい。老練なベテランもいいが、若手も見ごたえがある。
「何がジェーンに起こったか」は1962年のアメリカ映画。ロバート・アルドリッチ監督。新文芸座はワーナー映画の旧作特集を続けているが、テレビでしか見たことがなかった映画を大スクリーンで見られるとは。1940年代に毎年のようにアカデミー賞にノミネートされていた大女優ベティ・デイヴィスが心が壊れてしまった老いた子役スターを演じてビックリさせたホラー的なサスペンス映画である。ジェーンはかつて大人気の子役だったが、やがて姉が映画女優としてスターになり忘れられた。その姉は謎の自動車事故で車いすの生活となり、今は妹が世話をしている。
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姉は2階の部屋で暮らすが、妹の様子が完全におかしいので、何とか医者に電話したいと思う。妹が外出したすきに、なんとか電話のある1階に下りようとする。車いすで階段に近づき、何とか下りていくが…。2階に住む姉と1階にいる妹は階段でつながっている、あるいは階段で分離されている。障がい者の姉にとっては、階段を下りるということだけで大アクション映画並みのスリルが生まれる。果たして電話まで行けるか。そして医者は来てくれるのか。
ベティ・デイヴィスは、キャサリン・ヘップバーンに抜かれるまで最多のアカデミー賞ノミネート記録を持つ女優だった。(11回。「青春の抗議」「黒蘭の女」で2回受賞。今はさらにメリル・ストリープが20回という大記録を持っている。)リアルタイムで見たのは「八月の鯨」だけなわけだが、あの時も驚いた。1950年の「イヴの総て」もかなり強烈な役だが、このジェーンという役ほどすごい役でアカデミー賞にノミネートされた人もいないのではないか。ところで、階段を下った姉はジョーン・クロフォードだから、ベティ・デイヴィスの話は「階段映画」には関係なかった。
多くの家で主人の部屋は1階にある。2階は子どもや客室などのことが多いのではないか。多くの映画で子ども部屋は2階にあったように思う。昔は2階だけ人に貸したりすることもあった。「煙突の見える場所」でもそうだし、山田洋次監督の「二階の他人」でもそう。男はつらいよシリーズでは、寅さんが帰ってくるたびに階段を上って2階の部屋で寝る。「小さいおうち」では2階に特徴があり、子ども部屋も2階。映画の中で階段がどのように描かれてきたか。もっといろんな映画があると思うけど、「階段映画」というジャンルをめぐって。
ところで新文芸座で「貴族の階段」と「何がジェーンに起こったか」という映画を見たんだけど、「階段映画」というものがあるなあと思った。「怪談映画」はいっぱいあるけど、そっちじゃなくて「階段映画」。映画史的に思い出してみても、階段を利用した名シーンは数多い。まずは「戦艦ポチョムキン」のオデッサ階段。あるいは「ローマの休日」のスペイン広場の階段。
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どっちも外の階段だけど、中にある階段が印象的な映画と言えば、まずはヒッチコックの「めまい」か。日本映画なら「蒲田行進曲」の「階段落ち」シーンか。今はCGで宇宙空間の大スペクタクルを見せられるけど、昔の技術だと階段が「上下」の動きを一番見せやすいということか。特に日本だとちょっと前まで「平屋建て」がほとんどで二階も珍しかった。(この前見た脚本家の水木洋子の家も平屋。)だから「階段」の持つ意味も今よりも大きかったに違いない。
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さて題名に階段が付いている「貴族の階段」。1959年の吉村公三郎監督作品。武田泰淳の原作を新藤兼人脚本で映画化したものである。原作は持ってるけど読んでない。でも新藤のシナリオはかなりよくまとまっているように思う。間野重雄の美術が見どころがある。ここで「階段」というのは、一種の比喩であるとともに、華族の頂点にある貴族院議長西の丸家の階段をもさしている。ここには滝沢修演じる陸軍大臣が訪れ、密談の後に帰るときに階段を転がり落ちる。
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西の丸公爵(森雅之)は貴族院議長で、後に首相となるから近衛文麿に近いが、近衛は2・26事件で襲撃されてはいない。襲われた牧野伸顕や多くの人のイメージが交じって作られたんだろう。陸軍の皇道派軍人は歴史に闇に消え、貴族が生き残って「階段」を上る。そういう意味の題名だろう。日本では上流階級を描く映画、小説があまりない。歴史研究も遅れていた。
そういう中で50年代に作られた「貴族の階段」は重要だと思う。吉村監督は1956年の「夜の河」が最高だが、以後も文芸作品の映画化などで安定した力を発揮している。陸軍軍人の娘役の叶順子、あるいは西の丸公爵の娘役の金田一敦子がとても良かった。大映女優陣のトップ級が出てない分、今は忘れられたような女優の力演がかえって効果を挙げていると思う。公爵長男の若き本郷功次郎も初々しい。老練なベテランもいいが、若手も見ごたえがある。
「何がジェーンに起こったか」は1962年のアメリカ映画。ロバート・アルドリッチ監督。新文芸座はワーナー映画の旧作特集を続けているが、テレビでしか見たことがなかった映画を大スクリーンで見られるとは。1940年代に毎年のようにアカデミー賞にノミネートされていた大女優ベティ・デイヴィスが心が壊れてしまった老いた子役スターを演じてビックリさせたホラー的なサスペンス映画である。ジェーンはかつて大人気の子役だったが、やがて姉が映画女優としてスターになり忘れられた。その姉は謎の自動車事故で車いすの生活となり、今は妹が世話をしている。
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姉は2階の部屋で暮らすが、妹の様子が完全におかしいので、何とか医者に電話したいと思う。妹が外出したすきに、なんとか電話のある1階に下りようとする。車いすで階段に近づき、何とか下りていくが…。2階に住む姉と1階にいる妹は階段でつながっている、あるいは階段で分離されている。障がい者の姉にとっては、階段を下りるということだけで大アクション映画並みのスリルが生まれる。果たして電話まで行けるか。そして医者は来てくれるのか。
ベティ・デイヴィスは、キャサリン・ヘップバーンに抜かれるまで最多のアカデミー賞ノミネート記録を持つ女優だった。(11回。「青春の抗議」「黒蘭の女」で2回受賞。今はさらにメリル・ストリープが20回という大記録を持っている。)リアルタイムで見たのは「八月の鯨」だけなわけだが、あの時も驚いた。1950年の「イヴの総て」もかなり強烈な役だが、このジェーンという役ほどすごい役でアカデミー賞にノミネートされた人もいないのではないか。ところで、階段を下った姉はジョーン・クロフォードだから、ベティ・デイヴィスの話は「階段映画」には関係なかった。
多くの家で主人の部屋は1階にある。2階は子どもや客室などのことが多いのではないか。多くの映画で子ども部屋は2階にあったように思う。昔は2階だけ人に貸したりすることもあった。「煙突の見える場所」でもそうだし、山田洋次監督の「二階の他人」でもそう。男はつらいよシリーズでは、寅さんが帰ってくるたびに階段を上って2階の部屋で寝る。「小さいおうち」では2階に特徴があり、子ども部屋も2階。映画の中で階段がどのように描かれてきたか。もっといろんな映画があると思うけど、「階段映画」というジャンルをめぐって。