アメリカ映画の賞レースで話題沸騰の「スリー・ビルボード」。アメリカの地方都市の人間模様を細密に描いたすごい脚本で、映像も演技も素晴らしいが、傑作という以上に、まずは「問題作」。不穏な気配がずっと画面に漂い、一瞬も目が離せない予測不能の展開に心震える。見逃せない映画だ。原題は、〝Three Billboards Outside Ebbing, Missouri”で、「ミズーリ州エビング郊外の三枚の広告掲示板」という意味。ビルボードというと、ヒットチャートの音楽雑誌を思い出しちゃうけど、屋外にある広告板のことを指している。
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ミズーリ州というのはアメリカ中西部の真ん中あたりにある。大都市としてはセントルイスがある。しかし、ここはイメージ的には「ヤバい地域」だとプログラムに出てた。映画で言えば「ウィンターズ・ボーン」や「ゴーン・ガール」等、現実の事件では「ファーガソン事件」(セントルイス郡ファーガソンで起きた白人警官による黒人青年射殺事件)。大統領選挙ではずっと共和党候補が勝つ、そんな州。エビングは架空の地名だが、そこの郊外に住むミルドレッド・スミスという女性が、見捨てられていた広告板に警察を非難する広告を掲示する。そこから静かな町が微妙に歪んでいく。
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ミルドレッドの娘アンジェラはレイプされ殺害された。7カ月経っても事件は解決しない。「警察は怠慢だ、早く犯人を逮捕しろ」という広告である。親の心情としてはまさに同情に値する。さっそく地元テレビに取り上げられ、ミルドレッドは「黒人を虐待しているヒマがあったら、娘の事件を捜査しろ」と挑発する。母親とは言え、なかなかどうして大したもんである。この母親役はフランシス・マクド-マンド。兄弟で脚本、監督、製作を行うコーエン兄弟の「ファーゴ」でアカデミー賞主演女優賞を得た。兄の方、ジョエル・コーエンの妻でもある。もう圧倒的な存在感で、ゴールデングローブ賞の主演女優賞。アカデミー賞にもノミネートされている。
しかし、白人女性のレイプ殺人なんだし、いくら何でも警察もわざと遅らせるとも思えない。実際、非難された署長も自ら説明にやってくる。そして事情もあるんだと言う。自分はガンだと。彼女は知っている、町の人は全員知ってると返す。住民は署長に同情していて、彼女はやり過ぎだといろんな人が言ってくる。署内には黒人に偏見を持っていたり、容疑者に暴力をふるう警官も実際にいる。そんな町で彼女が突出していくことで、「平穏な日常」が微妙に狂いだすのである。
その後の予測不能の展開を書いてはつまらないから止めておく。だけど、途中でふと思う。この映画はものすごく面白いんだけど、一体何が言いたいんだろう。いや、映画に直接的なメッセージ性を求めているわけじゃないんだけど、それでもどう終わるんだろうかと。そう思って見ていると、後半のある時点から、はっきり見えてくることがある。人間は完全ではないんだと。そして、「怒りは怒りを来す」ということに。怒るべきことは世界に山のようにある。だが、怒りに怒りを対峙させることで、復讐の連鎖になっていることはないか。アメリカの小さな町で起こっていることが、実は世界を映し出していたのである。このエビングという町は、今の日本でもあったのだ。
この映画の脚本、監督はマーティン・マクドナー(1970~)。アイルランドを舞台にした演劇作品で評価された劇作家だったが、最近は映画を主にしているらしい。「セブン・サイコパス」という映画が日本でも公開されている。舞台でも何作も上演されているというが、僕が名前を知らなかった。(何作も上演してきた長塚圭史により、2018年5月に「ハングマン」という劇が上演される。)「スリー・ビルボード」ではヴェネツィア映画祭脚本賞、ゴールデングローブ賞脚本賞を受賞している。登場人物の造形が見事であるだけでなく、関係性がどんどん変容していくところが素晴らしい。
助演陣も素晴らしく、特に暴力警官役のサム・ロックウェルがゴールデングローブ賞で助演賞を取っている。同時にウィロビー署長役のウディ・ハレルソンも非常に素晴らしく、ゴールデングローブ賞にノミネートされていた。他にも忘れがたい脇役が多いが、ここでは省略する。この映画を見て思うのは、「加害者」「被害者」の相対性である。人はただ被害者であることはなく、何かしら加害者でもあるという現実である。そして、その加害者性、被害者性は絶対不変であるわけではなく、状況に応じていくらでも変わっていく。それは単に「人間は変わる」というだけではない。人間の持つ不可思議な深さに思いを致す。そんな映画だと思う。まさに今見るべき映画だ。
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ミズーリ州というのはアメリカ中西部の真ん中あたりにある。大都市としてはセントルイスがある。しかし、ここはイメージ的には「ヤバい地域」だとプログラムに出てた。映画で言えば「ウィンターズ・ボーン」や「ゴーン・ガール」等、現実の事件では「ファーガソン事件」(セントルイス郡ファーガソンで起きた白人警官による黒人青年射殺事件)。大統領選挙ではずっと共和党候補が勝つ、そんな州。エビングは架空の地名だが、そこの郊外に住むミルドレッド・スミスという女性が、見捨てられていた広告板に警察を非難する広告を掲示する。そこから静かな町が微妙に歪んでいく。
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ミルドレッドの娘アンジェラはレイプされ殺害された。7カ月経っても事件は解決しない。「警察は怠慢だ、早く犯人を逮捕しろ」という広告である。親の心情としてはまさに同情に値する。さっそく地元テレビに取り上げられ、ミルドレッドは「黒人を虐待しているヒマがあったら、娘の事件を捜査しろ」と挑発する。母親とは言え、なかなかどうして大したもんである。この母親役はフランシス・マクド-マンド。兄弟で脚本、監督、製作を行うコーエン兄弟の「ファーゴ」でアカデミー賞主演女優賞を得た。兄の方、ジョエル・コーエンの妻でもある。もう圧倒的な存在感で、ゴールデングローブ賞の主演女優賞。アカデミー賞にもノミネートされている。
しかし、白人女性のレイプ殺人なんだし、いくら何でも警察もわざと遅らせるとも思えない。実際、非難された署長も自ら説明にやってくる。そして事情もあるんだと言う。自分はガンだと。彼女は知っている、町の人は全員知ってると返す。住民は署長に同情していて、彼女はやり過ぎだといろんな人が言ってくる。署内には黒人に偏見を持っていたり、容疑者に暴力をふるう警官も実際にいる。そんな町で彼女が突出していくことで、「平穏な日常」が微妙に狂いだすのである。
その後の予測不能の展開を書いてはつまらないから止めておく。だけど、途中でふと思う。この映画はものすごく面白いんだけど、一体何が言いたいんだろう。いや、映画に直接的なメッセージ性を求めているわけじゃないんだけど、それでもどう終わるんだろうかと。そう思って見ていると、後半のある時点から、はっきり見えてくることがある。人間は完全ではないんだと。そして、「怒りは怒りを来す」ということに。怒るべきことは世界に山のようにある。だが、怒りに怒りを対峙させることで、復讐の連鎖になっていることはないか。アメリカの小さな町で起こっていることが、実は世界を映し出していたのである。このエビングという町は、今の日本でもあったのだ。
この映画の脚本、監督はマーティン・マクドナー(1970~)。アイルランドを舞台にした演劇作品で評価された劇作家だったが、最近は映画を主にしているらしい。「セブン・サイコパス」という映画が日本でも公開されている。舞台でも何作も上演されているというが、僕が名前を知らなかった。(何作も上演してきた長塚圭史により、2018年5月に「ハングマン」という劇が上演される。)「スリー・ビルボード」ではヴェネツィア映画祭脚本賞、ゴールデングローブ賞脚本賞を受賞している。登場人物の造形が見事であるだけでなく、関係性がどんどん変容していくところが素晴らしい。
助演陣も素晴らしく、特に暴力警官役のサム・ロックウェルがゴールデングローブ賞で助演賞を取っている。同時にウィロビー署長役のウディ・ハレルソンも非常に素晴らしく、ゴールデングローブ賞にノミネートされていた。他にも忘れがたい脇役が多いが、ここでは省略する。この映画を見て思うのは、「加害者」「被害者」の相対性である。人はただ被害者であることはなく、何かしら加害者でもあるという現実である。そして、その加害者性、被害者性は絶対不変であるわけではなく、状況に応じていくらでも変わっていく。それは単に「人間は変わる」というだけではない。人間の持つ不可思議な深さに思いを致す。そんな映画だと思う。まさに今見るべき映画だ。