尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

メダリストの価値-ピョンチャン五輪をめぐって②

2018年02月26日 22時43分11秒 | 社会(世の中の出来事)
 オリンピックに出場するだけで、考えられないぐらい凄い。入賞するのは全世界で数人なんだからさらに凄い。その上に3人だけがメダルを授与される。一番が金メダル、次に銀メダル、そして銅メダル。スピードスケートで活躍した清水宏保がテレビでこんなことを言っていた。自分は三つの色のメダルを取ったけれど、金メダルはうれしい銀メダルは悔しい銅メダルはホッとする。なるほどなあと思わせる言葉だが、オリンピックを見ると「メダルの価値」を考えさせられる。 

 いやスポーツの価値はメダルの色だけでは測れない国ごとにメダル数を競うのもおかしいといえば、まったくその通りだと思う。特に国家としてメダル数の数値目標を作るのは止めて欲しい。でも、そんな僕だって入賞しただけの選手は名前を忘れてしまう。(報道も少ないから、「忘れる」前に「覚えていない」と言うべきか。)メダルを取って初めて名前を覚えているのである。それが現実だし、世界選手権じゃダメでやっぱり五輪メダリストに大きな意味がある

 五輪終盤に「4位」の結果になった競技があった。女子フィギュアスケートの宮原知子は、ケガを克服し自己ベストの美しい演技をしたんだけど、残念ながら4位だった。得点はソチ五輪だったら、2位のキム・ヨナを超えていた。(もっとも得点基準が変わっているので比較は意味がないというが。)でも、金のサギトワ、銀のメドヴェージェワは圧倒的だったし、銅のオズモンドも素人目でも宮原知子を上回っていたと思う。やっぱり「メダリストは凄い」んだと思った。同様にスノーボード・女子ビッグエアの岩渕麗楽ラージヒルの男子複合チームもメダリストとは差があったと思う。

 だから選手はメダルを取りたいと思うし、周りの人たちも取ってもらいたいと思う。「高梨沙羅は銅メダルだけど、取れてよかったなあ」と多くの人がホッとしたはずだ。そんな中で絶対的な金メダル候補として五輪に出場し、実際に取った人はとてつもなく凄いんだと思う。特に小平奈緒選手。競技だけでなく、人間としての素晴らしさに魅せられる。主将という重責を担いながらの金メダルもすごい。金メダル確定直後に、銀の韓国イ・サンファ選手に歩み寄った姿は感動的だった。

 小平奈緒は2010年のバンクーバー五輪で、田畑真紀、穂積雅子とともに女子パシュートで銀メダルを取っている。正直忘れていたけれど。2014年のソチ五輪では500mで5位、1000mで13位。年齢的に小平奈緒の選手生命はここで終わったのかなと思っていた。その後、オランダに留学し、また科学的トレーニングを積み重ね、30歳を過ぎて頂点に立つことになるとは…。人間はいつまでも諦めずに伸びてい行けるんだと示してくれた。彼女は信州大学教育学部卒で、女子初の大学卒メダリストだという。単にスケート界に止まらず日本を支えていく人になるんじゃないかと思う。

 こんな感じでみな書いていても長くなるから、後は簡単に。今回は「羽生結弦は五輪に間に合うか」というのが多くの人の最大関心事だった。ケガがありながら見事に連続金メダル、これぞ伝説が今作られたという演技に驚くしかない。スケートの高木姉妹も、五輪にまつわる姉妹の因縁、パシュートで今季絶好調の戦績、皆が知っている中でよく活躍できたものだと思う。高木美帆という選手も単にスケートを超えた大変な逸材だと思う。
 
 一方、入賞した選手を2人ほど。スケートは女子の活躍が目立つ中で、男子のメダルはなかった。バンクーバーの500mで、長島圭一郎が銀、加藤条治が銅を獲得したのが最後である。今回1000mと1500mで小田卓郎選手がどっちも5位、500mで山中大地選手が5位、加藤条治選手が6位に入賞した。山中選手は27歳、小田選手は25歳だから、小平選手のことを考えるとまだまだ活躍できる。でも名前知ってるかと言われると、そんな人いたっけ程度。顔を判る人はほとんどいないんじゃないか。僕も同じだから写真を下に載せておく。やはりメダルを取らないと、覚えてない。
  (先が小田卓郎、後が山中大地)
 ノーマルヒル複合個人で渡部暁斗選手が前回に続いて銀メダルを獲得した。金はドイツのフレンツェルで、前回ソチも金メダル。今回は団体も金、ラージヒル個人は銅という大選手である。渡部選手は最後に置いていかれるまで、交互に先頭を交代しながら悪条件のクロスカントリーを戦った。ずっと後ろに付くのではなく、「フェアに戦いたいたかった」ということだった。このように「フェア」という感覚が生きていた。パシュートやカーリングに見られたように、協力、団結などの心も生きていた。日本社会の中で忘れられている、もうなくなっちゃったのかと思うような価値がこのように脈々と生きていたということがうれしい。
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