2019年5月1日から「元号」が変わるはずである。1979年6月12日に公布された「元号法」という日本で一番短い法律がある。その法律によって、以下の通りに決まっている。
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
附則として、「この法律は、公布の日から施行する。」「昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。」というのが付いてるけど、法の条文としてはたった31文字しかない。
これほどわけのわからない法律も珍しい。要するに「天皇の交代」によって元号を改める。つまり「一世一元」を法律化しただけで、元号の目的や決め方などは何も書いてない。1979年、昭和54年というのは、「平成」になる10年前。そろそろ昭和天皇の後をどうするか考えておかないと、と政府が考え始めていたわけである。そして「平成」も30年。天皇の代替わりが2019年5月にあると決まったから、元号法により元号も変わる。しかし、国会の審議や議決は必要ない。
「元号」というシステムはもともと古代中国で始まり、中華文化圏で続いてきたが、今も存在するのは日本だけである。「皇帝の支配は空間だけではなく時間にも及ぶ」という制度だから、本質的に民主主義と相容れない。日本にだけ残ったというのも、何やら暗示的である。次の元号はもう水面下で政府の誰かが考えているんだろうけど、いつ発表するかも秘密だ。「平成」になった時に、あっという間に「商標登録」が殺到した。だから、ある程度秘密は必要だろう。でも元号を続けることだけ法律で決めて、元号そのものは国会と無関係というのもおかしいのではないか。
それはともかく、2018年5月からは毎日が「平成最後」である。「10年ひと昔」が3つ分で「一世代」になるわけだから、なんかノスタルジー(懐古)に浸りたい人が出てくるのも判らないではない。しかし、夏ごろから「平成最後の夏」なんて言って回る人が増えてきた感じがする。もうテレビでは「平成を振り返る」みたいな番組もある。このままでは、仕組まれた「平成最後ブーム」が来年にかけて起こってきそうだ。それはどんな意味を持つのか、冷静になって考えておきたい。
昭和天皇が死んだ1989年というのは、まさに世界が激動した年だった。世界の激動と昭和天皇の死は全く何の関係もない。だけど「平成懐古」では「世界激動」にはほとんど触れられない。これからもっと目にするようになるはずの「小渕官房長官が平成の字を掲げる映像」に始まり、日本国内のバブル崩壊の映像、そして小室哲哉や安室奈美恵の引退などとつなげていく…という展開がすぐに予想される。「平成」をテーマにした時点で世界認識がドメスティックになってしまう。
1989年と言えば、11月9日の「ベルリンの壁崩壊」である。それに続いて、「東欧革命」が起こり、東ドイツ(当時)、ブルガリア、チェコスロバキア(当時)とソ連寄りの「社会主義」政権が平和的に崩壊した。最後にルーマニアで武力衝突が起こり、チャウシェスク政権が崩壊した。その前に「ソ連」でゴルバチョフによる「ペレストロイカ」が起こり、第二次世界大戦後に長く続いた「米ソ冷戦」は終結した。その時に「歴史の終わり」と言った人もいたが、現実は希望を裏切り続けた。1990年の夏にはイラクのクウェート侵攻が起こり、中東情勢が世界を変える時代が始まった。
(ベルリンの壁に立つ人々)
1989年5月、中国で民主化を求める学生たちが天安門広場に集まっていた。しかし民主化運動は6月4日になって戦車で弾圧された。この「天安門事件」は30年経っても中国では自由に語ることができない。その間中国の経済発展は目覚ましく、GDPの規模自体は日本を抜いて世界第2位となった。今や米国とともに世界の2大強国となったことを誰も疑わない。ヨーロッパでは終わった冷戦も、東アジア地域では終わらなかった。30年経って、中国の大国化をどう考えるか。
(天安門広場に集まった人々)
1989年から30年、日本人が一番考えないといけない問題は、冷戦終結から始まった「グローバル化」、そして「中国の大国化」ではないかと思う。「平成最後」をことさらに言挙げする人々は、そういうことに触れない。というか、世界認識を国内に留めること、ドメスティックにすること、それが元号の仕組みなんだなと改めて思ってしまう。自分で気をつけていないと、いつの間にか世界で孤立していることに気づかなくなる。
多分あるだろうなと思って探したらやっぱり見つかった。文科省の資料である。2017年7月に出た「平成33年度大学入学者選抜実施要項の見直しに係る予告について」という文書がある。「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」という法律は、2017年6月に成立している。正式な退位日時は決まってなかったけれど、平成は30年か31年の途中で終わることは誰でも知っていた。文科省の進める大学入試改革と言えば、英語の4技能を評価するために民間の検定などを活用すると言ってるものだ。それを「平成33年度」から実施するって言うけど、そんな年は存在しない。英語を重視する=日本を国際化するとか言ってるけど、頭の中は国内問題しか考えてないことが明白だ。2021年度って言わなきゃ判らないだろうが。(元号の問題を何回か続ける。)
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
附則として、「この法律は、公布の日から施行する。」「昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。」というのが付いてるけど、法の条文としてはたった31文字しかない。
これほどわけのわからない法律も珍しい。要するに「天皇の交代」によって元号を改める。つまり「一世一元」を法律化しただけで、元号の目的や決め方などは何も書いてない。1979年、昭和54年というのは、「平成」になる10年前。そろそろ昭和天皇の後をどうするか考えておかないと、と政府が考え始めていたわけである。そして「平成」も30年。天皇の代替わりが2019年5月にあると決まったから、元号法により元号も変わる。しかし、国会の審議や議決は必要ない。
「元号」というシステムはもともと古代中国で始まり、中華文化圏で続いてきたが、今も存在するのは日本だけである。「皇帝の支配は空間だけではなく時間にも及ぶ」という制度だから、本質的に民主主義と相容れない。日本にだけ残ったというのも、何やら暗示的である。次の元号はもう水面下で政府の誰かが考えているんだろうけど、いつ発表するかも秘密だ。「平成」になった時に、あっという間に「商標登録」が殺到した。だから、ある程度秘密は必要だろう。でも元号を続けることだけ法律で決めて、元号そのものは国会と無関係というのもおかしいのではないか。
それはともかく、2018年5月からは毎日が「平成最後」である。「10年ひと昔」が3つ分で「一世代」になるわけだから、なんかノスタルジー(懐古)に浸りたい人が出てくるのも判らないではない。しかし、夏ごろから「平成最後の夏」なんて言って回る人が増えてきた感じがする。もうテレビでは「平成を振り返る」みたいな番組もある。このままでは、仕組まれた「平成最後ブーム」が来年にかけて起こってきそうだ。それはどんな意味を持つのか、冷静になって考えておきたい。
昭和天皇が死んだ1989年というのは、まさに世界が激動した年だった。世界の激動と昭和天皇の死は全く何の関係もない。だけど「平成懐古」では「世界激動」にはほとんど触れられない。これからもっと目にするようになるはずの「小渕官房長官が平成の字を掲げる映像」に始まり、日本国内のバブル崩壊の映像、そして小室哲哉や安室奈美恵の引退などとつなげていく…という展開がすぐに予想される。「平成」をテーマにした時点で世界認識がドメスティックになってしまう。
1989年と言えば、11月9日の「ベルリンの壁崩壊」である。それに続いて、「東欧革命」が起こり、東ドイツ(当時)、ブルガリア、チェコスロバキア(当時)とソ連寄りの「社会主義」政権が平和的に崩壊した。最後にルーマニアで武力衝突が起こり、チャウシェスク政権が崩壊した。その前に「ソ連」でゴルバチョフによる「ペレストロイカ」が起こり、第二次世界大戦後に長く続いた「米ソ冷戦」は終結した。その時に「歴史の終わり」と言った人もいたが、現実は希望を裏切り続けた。1990年の夏にはイラクのクウェート侵攻が起こり、中東情勢が世界を変える時代が始まった。
(ベルリンの壁に立つ人々)
1989年5月、中国で民主化を求める学生たちが天安門広場に集まっていた。しかし民主化運動は6月4日になって戦車で弾圧された。この「天安門事件」は30年経っても中国では自由に語ることができない。その間中国の経済発展は目覚ましく、GDPの規模自体は日本を抜いて世界第2位となった。今や米国とともに世界の2大強国となったことを誰も疑わない。ヨーロッパでは終わった冷戦も、東アジア地域では終わらなかった。30年経って、中国の大国化をどう考えるか。
(天安門広場に集まった人々)
1989年から30年、日本人が一番考えないといけない問題は、冷戦終結から始まった「グローバル化」、そして「中国の大国化」ではないかと思う。「平成最後」をことさらに言挙げする人々は、そういうことに触れない。というか、世界認識を国内に留めること、ドメスティックにすること、それが元号の仕組みなんだなと改めて思ってしまう。自分で気をつけていないと、いつの間にか世界で孤立していることに気づかなくなる。
多分あるだろうなと思って探したらやっぱり見つかった。文科省の資料である。2017年7月に出た「平成33年度大学入学者選抜実施要項の見直しに係る予告について」という文書がある。「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」という法律は、2017年6月に成立している。正式な退位日時は決まってなかったけれど、平成は30年か31年の途中で終わることは誰でも知っていた。文科省の進める大学入試改革と言えば、英語の4技能を評価するために民間の検定などを活用すると言ってるものだ。それを「平成33年度」から実施するって言うけど、そんな年は存在しない。英語を重視する=日本を国際化するとか言ってるけど、頭の中は国内問題しか考えてないことが明白だ。2021年度って言わなきゃ判らないだろうが。(元号の問題を何回か続ける。)