政府が「明治150年」を顕彰する記念式典を行うという。今時こんな愚なる歴史認識なのかと思うが、やはり現在の首相が「長州藩閥」に属しているということなのか。どんな時代、どんな社会にも「光と影」がある。両面を合わせ見て構造的に理解することが大切だが、おそらく日本政府は「アジアで唯一の近代化に成功した」として明治を讃えたいのだろう。
「昭和」になると、アジア太平洋戦争で日本人だけでも310万人もの死者が出て敗北した。一方、明治時代の日清、日露戦争は「勝った戦争」として記憶され、明治時代は日本が上り坂だった栄光の時代と認識される。そんな心理も働いているのかもしれない。しかし、「明治の戦争」と「昭和の戦争」は同じ大日本帝国憲法のもとで遂行された。昭和の戦争だけが悲惨であって、明治の戦争は「義戦」(正しい戦争)だったということがあるだろうか。
明治という時代を見直してみたいと思う。まずは横山百合子「江戸東京の明治維新」(岩波新書)の紹介。横山氏は歴史民俗博物館教授で、錦絵や地図などを使いながら、江戸から東京へと移り変わる時代の民衆の姿を浮かび上がらせた。歴史の複雑さを新鮮に示してくれる。
全部で5章ある内容を紹介しておきたい。「江戸から東京へ」「東京の旧幕臣たち」「町中に生きる」「遊郭の明治維新」「屠場をめぐる人々」。目次を見れば一目瞭然、武士や町人だけでなく、遊女や被差別民なども視野に入れて、複眼で見る民衆像を描き出す。そこが貴重である。
この本で教えられたのは「身分制度」の重みである。身分制度と言えば、生まれですべてが決まる仕組みだから、今の感覚では絶対に認められない。身分制度が崩壊すれば、上層階級は特権を奪われるから反対するだろうが、下層の民衆はみな大歓迎だったように思ってしまう。「身分」は個人に貼りついたもので、政治権力が決めて押し付けた制度と考えがちだ。しかし、現実社会における「身分」とは、それを通して職業も保証される社会システムだった。
人々は「身分」を通して世界を認識していた。「明治維新」は「民衆革命」ではない。資本主義の世界システムに強制的に組み込まれた日本で、支配階級の一部が権力機構を奪取したが、実際の統治経験はなかった。次々に立ち現れる政治課題にぶつかり、版籍奉還、廃藩置県と進む。日本全土を天皇が統治するタテマエの下に、全国を中央政府が掌握することになる。身分ごとに把握されていた人々は、住んでいる土地によってとらえることにならざるを得ない。
今までも被差別の民衆にとって、解放令によっても「遅れた人々」の身分意識はすぐには変わらず、かえって明治になって職業を失い過酷な状況に追い込まれたという見方はされてきた。江戸では「えた」階級は「弾左衛門」の支配下にあって、刑事事件の処分権を含む独自の支配を認められていた。実は「遊郭」も一種の身分組織で、遊郭内の支配は独自になされていたという。寺社は寺社で、武家は武家で独自の支配を認められていたわけである。
実は町人階級も同様で、「町中」(ちょうちゅう)の支配権を独自に決められていた。落語でよく「大家と言えば親も同然」というけど、まさにその通りで実際に家父長権を行使できたわけである。ヨーロッパ史では「都市の空気は自由にする」と言って、都市空間から新時代の自由が生まれた。もちろん日本でも都市の中で自由な知的空間がまったくなかったとは言えないが、なかなかヨーロッパ社会のような段階には達していなかったのだと思う。
でも個々の自由を求める闘いは生まれていた。遊女から脱却しようともがき続けた「かしく」という女性の存在は特に忘れがたい。「遊女いやだ」と述べて嘆願を続けた女性が史料に出てくるのだ。だが彼女の願いは実らず、行方を追跡することもできない。一方、被差別民衆にとって明治とは何だったか。牛肉の需要が高まり、屠場を作った人々は政府の官営政策により職場を奪われる。官営施設はやがて払下げになるが、その時払下げを受けたのは警視総監川路利良の知人である木村荘平だった。やがて牛鍋店チェーン「いろは」で大成功を収める人物である。
被差別民衆の闘いは続くが、その時は「営業の自由」という新しい論理で立ち向かうことになる。武士は武士で特権を失い没落してゆく。大名屋敷がなくなり人口減となった「東京」では、町人たちも振るわない。近代の波に直面して、すべての「身分」が特権を失ったことで、一部の高級官僚と特権商人を除けば、生きてゆくすべを失った。それが明治という「御一新」の実情だった。身分制度の崩壊は多くの人々にとって、戸惑いにの中にもたらされたんだろうと思う。
「昭和」になると、アジア太平洋戦争で日本人だけでも310万人もの死者が出て敗北した。一方、明治時代の日清、日露戦争は「勝った戦争」として記憶され、明治時代は日本が上り坂だった栄光の時代と認識される。そんな心理も働いているのかもしれない。しかし、「明治の戦争」と「昭和の戦争」は同じ大日本帝国憲法のもとで遂行された。昭和の戦争だけが悲惨であって、明治の戦争は「義戦」(正しい戦争)だったということがあるだろうか。
明治という時代を見直してみたいと思う。まずは横山百合子「江戸東京の明治維新」(岩波新書)の紹介。横山氏は歴史民俗博物館教授で、錦絵や地図などを使いながら、江戸から東京へと移り変わる時代の民衆の姿を浮かび上がらせた。歴史の複雑さを新鮮に示してくれる。
全部で5章ある内容を紹介しておきたい。「江戸から東京へ」「東京の旧幕臣たち」「町中に生きる」「遊郭の明治維新」「屠場をめぐる人々」。目次を見れば一目瞭然、武士や町人だけでなく、遊女や被差別民なども視野に入れて、複眼で見る民衆像を描き出す。そこが貴重である。
この本で教えられたのは「身分制度」の重みである。身分制度と言えば、生まれですべてが決まる仕組みだから、今の感覚では絶対に認められない。身分制度が崩壊すれば、上層階級は特権を奪われるから反対するだろうが、下層の民衆はみな大歓迎だったように思ってしまう。「身分」は個人に貼りついたもので、政治権力が決めて押し付けた制度と考えがちだ。しかし、現実社会における「身分」とは、それを通して職業も保証される社会システムだった。
人々は「身分」を通して世界を認識していた。「明治維新」は「民衆革命」ではない。資本主義の世界システムに強制的に組み込まれた日本で、支配階級の一部が権力機構を奪取したが、実際の統治経験はなかった。次々に立ち現れる政治課題にぶつかり、版籍奉還、廃藩置県と進む。日本全土を天皇が統治するタテマエの下に、全国を中央政府が掌握することになる。身分ごとに把握されていた人々は、住んでいる土地によってとらえることにならざるを得ない。
今までも被差別の民衆にとって、解放令によっても「遅れた人々」の身分意識はすぐには変わらず、かえって明治になって職業を失い過酷な状況に追い込まれたという見方はされてきた。江戸では「えた」階級は「弾左衛門」の支配下にあって、刑事事件の処分権を含む独自の支配を認められていた。実は「遊郭」も一種の身分組織で、遊郭内の支配は独自になされていたという。寺社は寺社で、武家は武家で独自の支配を認められていたわけである。
実は町人階級も同様で、「町中」(ちょうちゅう)の支配権を独自に決められていた。落語でよく「大家と言えば親も同然」というけど、まさにその通りで実際に家父長権を行使できたわけである。ヨーロッパ史では「都市の空気は自由にする」と言って、都市空間から新時代の自由が生まれた。もちろん日本でも都市の中で自由な知的空間がまったくなかったとは言えないが、なかなかヨーロッパ社会のような段階には達していなかったのだと思う。
でも個々の自由を求める闘いは生まれていた。遊女から脱却しようともがき続けた「かしく」という女性の存在は特に忘れがたい。「遊女いやだ」と述べて嘆願を続けた女性が史料に出てくるのだ。だが彼女の願いは実らず、行方を追跡することもできない。一方、被差別民衆にとって明治とは何だったか。牛肉の需要が高まり、屠場を作った人々は政府の官営政策により職場を奪われる。官営施設はやがて払下げになるが、その時払下げを受けたのは警視総監川路利良の知人である木村荘平だった。やがて牛鍋店チェーン「いろは」で大成功を収める人物である。
被差別民衆の闘いは続くが、その時は「営業の自由」という新しい論理で立ち向かうことになる。武士は武士で特権を失い没落してゆく。大名屋敷がなくなり人口減となった「東京」では、町人たちも振るわない。近代の波に直面して、すべての「身分」が特権を失ったことで、一部の高級官僚と特権商人を除けば、生きてゆくすべを失った。それが明治という「御一新」の実情だった。身分制度の崩壊は多くの人々にとって、戸惑いにの中にもたらされたんだろうと思う。